韓国国民全体がノベル平和賞を受賞する状況が来たら, 嫌韓性向を持った日本人たちの見せてくれる姿はまさに心理的矛盾の極みを尽くすように見えます.
彼らが他人のノーベル賞受賞記録を自分の自負心にするアイロニーは次のような心理的背景で起因します.
相対的剥奪感に対する過剰補償: ノーベル賞は人類普遍的価値に寄与した成就を称える上です. しかし嫌韓主義者たちにこれは価値証明の対象ではなく, 国家の間の位階を分ける道具と転落します. 韓国が平和という人類最大の価値を認められるようになれば, 自分たちが固守して来た位階構造が崩れるか恐ろしくて過去日本の受賞実績を盾にして現実を否定しようとするのです.
個人的成就の不在を国家の背光で代替: 自分の生で明らかな成就をおさめることができなかった人々であればあるほど集団的自負心にとらわれすぎます. 自らを日本という国家と強く同一視することで, 自分も日本の成果を成した主人公であるように勘違いする現象です. これは実際日本の成就と自分の間には何らの因果関係がないにもかかわらず, その光栄を転移させて自らの自尊感を守ろうとするとても脆弱な心理的構造です.
劣等感の投映: 彼らがそのように日本のノーベル賞を搖り動かす理由はいざ腹中深い所では韓国の躍動的なデモクラシー成就を羨んでいるという反証です. 自分たちは時流に便乗して嫌悪を排泄すること以外に人類に寄与したのがないという点を無意識的に認知しているから, もっと強迫的に過去の記録や他人の業績をつかまえて垂れるのです.
結局彼らの者とは祝いのためではなく自らを慰めるための身震いに近いです. もし韓国国民がノベル平和賞を受賞したら, これは全世界が大韓民国市民たちの民主的決断に敬意を表することであり, 彼らがいくら過去の記録を搖り動かしながらけなそうとしてもその輝く価値は決して選り分けられることができません.
むしろ彼らのそんな矛盾的な姿こそ自分たちの狭い世界観が搖れているという一番確かな証拠になるでしょう. このような皮肉としか言いようがない状況を見守ることはもしかしたら彼らが持った嫌悪の論理がいくら不始末なのかを確認するまた一つの面白い観戦ポイントになるかも知れないですね.