朝鮮人は唐辛子を毒だと思ってた

トウガラシ(唐辛子)が朝鮮の文献に初めて記録されたのは、李氏朝鮮時代の学者、李晬光(イ・スグァン)によって1614年に編纂された朝鮮の百科事典「芝峰類説(チボンリュソル)」であるとされている。
現代語訳(大意)
「南蛮椒(トウガラシ)には強い毒がある。もともと日本(倭国)から伝わったため、世間では俗に「倭芥子」と呼んでいる。最近ではあちこちで栽培されているのを見かける。居酒屋ではその強烈な辛さを利用して焼酎に混ぜて売っているが、これを飲んだ者の多くが死んでいる。」
朝鮮人が唐辛子を食べて沢山死んだと書かれている。


江戸時代、対馬藩から朝鮮へは、主に「倭館(わかん)」を通じて大量の唐辛子が輸出されていた。17世紀中頃〜19世紀にかけて、対馬から朝鮮への輸出量は増加傾向にあり、ピーク時には年間にかなりの量(数千〜1万斤以上)の唐辛子が輸出されていた記録が存在する。朝鮮半島で唐辛子の現地生産が本格化する前、対馬は朝鮮への主要な唐辛子供給源だった。つまり、19世紀まで朝鮮で唐辛子は富裕層しか食べる事が出来ない贅沢品だったのだ。
なんと朝鮮で唐辛子が栽培され始めたのは、日帝時代になってからである。「朝鮮総督府統計年報 農産」「作付面積と収穫量」によると、日本から複数の唐辛子の品種が朝鮮に持ち込まれ、作付けや品種改良で現地化なども行われ、1910年代半ばから1930年代にかけて、作付面積と収穫量は共に右肩上がりで増加しており、特に昭和期に入ると「産業作物」としての性格を強めていった。
「明太子製造元祖ヒ(マルヒ)、創業明治40年、樋口伊都羽商店」の唐辛子の「明太子漬」が日帝時代に産まれたのも理由があるのだ。

更に、朝鮮料理が唐辛子だらけになったのは朝鮮戦争後になってからだ、だから北朝鮮のキムチは真っ赤じゃないらしい。
白菜1株当たりの唐辛子の平均使用量は、1930年代に5・75グラムだったものが徐々に増え、2010年代に至っては71・26グラムになっていた。なんと12倍だ。農林畜産食品部(省)のデータでは、国民1人当たりの唐辛子の年間消費量も1970年の1・2キログラムから2010年代には3キログラム以上に増えている。
国立民俗博物館学芸研究員の2009年の論文解釈によると、辛い味が大衆に拡散した時期を1950年代と見て、「朝鮮戦争、貧困と飢餓のストレスで辛い味を求めるようになった」と指摘する。唐辛子の辛さが中毒症状とエンドルフィン効果を出すのだという。
