古代の日本語 半島倭語を話してたと考えられる日琉語族 のちの弥生人 japonic
その後、鉄器を持つ騎馬軍団の朝鮮語族 koreanicに半島から追い出されたようなイメージを勝手に持っていた。 どうも違うようだ

The emergence of ‘Transeurasian’ language families in Northeast Asia as viewed from archaeological evidence Miyamoto2022
AI先生の説明
日琉語族(日本語族):紀元前1500年頃中国東海岸または遼寧省方面から、稲作農耕とともに朝鮮半島へ流入したとされています。その後、紀元前10世紀〜紀元前300年頃にかけて半島を経由し、日本列島へ渡ったグループが現在の日本語・琉球語の祖先(日琉祖語)となりました。半島に残ったグループ(大陸倭語)は、4〜7世紀頃まで存在したとされています。 朝鮮語族:紀元前300年頃
マンチュリア(満州)南部からシベリア方面にかけての地域から、農耕の拡大とともに朝鮮半島へ南下したと考えられています。この時期(朝鮮式銅剣文化の拡散期)に半島へ入り、既存の日琉語族の話者と接触・共存しながら、半島南中部へ勢力を拡大していったと推定されています。
koreanic に追い出されたのか?
1. 朝鮮語族も最初は「馬に乗る戦士」ではなかった朝鮮語族の祖先が朝鮮半島に南下し始めた紀元前300年頃(無文土器時代の後期から初期鉄器時代)、彼らは確かに鉄器技術を携えていましたが、「広大な騎馬軍団」ではありませんでした
- 半島に流入した初期の朝鮮語族は、キビやアワ、あるいは稲作を取り入れた農耕民(定住民)が主体でした
- 東アジアで本格的な「馬を戦闘に用いる騎馬戦術」や「大規模な騎馬部隊」が普及するのは、時代が下った紀元後4世紀〜5世紀(三国時代)になってからです。
- 日琉語族は、朝鮮半島南部で人口が増えすぎた(人口圧)ため、またはより稲作に適した未開の地を求めて自然に海を渡った(農業の拡散<!--TgQPHd|[]-->)と考えられています。<!--TgQPHd|[]--><!--TgQPHd|[]-->
- つまり、「鉄器軍団に攻め込まれて命からがら九州へ逃げた」のではなく、「優れた水田稲作技術を持って新天地(日本列島)へ版図を広げた」<!--TgQPHd|[]-->というのが実態に近いとされています<!--TgQPHd|[]-->。
Millet vs rice 2020 Jangsuk Kim Jinho Park Seoul National University

韓国学者 の論文の図表をみても 縄文の少ない北部九州の人口が増えている期間 半島には逆に空白期のようになっている。
後からやってきたkoreanic??とは戦っていないようである。