今回韓国で起きたSTARBUCKS不買運動の原因は、CMの台詞が1987年に警察による集団拷問で殺害されたソウル大生の拷問致死事件を巡り、捜査当局が「机をドンとたたいたら、『うっ』となって死んだ」と嘘の説明したことを想起させるためだ。韓国は西大門刑務所で日帝が拷問していたという嘘の教育をしているが、実は日帝は李氏朝鮮時代に行われていた惨い拷問の数々を全て法律で禁止した。ところが、日本から解放されると、韓国政府はまた拷問ばかりするようになり、ソウル拘置所(西大門刑務所)だけでは足りなくなり、1976年には拷問専用ビルまで建築して大勢の市民を拷問しまくっていたのだ。この頃の韓国には韓国中央情報部(KCIA=現在の国家情報院)という秘密警察のような北朝鮮の工作員を彷彿とさせる地下秘密工作機関が有り、政府に批判的な一般人はいつ捕まるか分からない時代だった。拷問ビル建設前年の1975年12月には、韓国で留学していた在日韓国人留学生21人をKCIAが大量に逮捕し、ソウル拘置所(西大門刑務所)に収監して拷問していた事件なども発生し、韓国が民主化する1987年までずっと収監されて多くの在日韓国人が死刑囚として扱われた。
何と韓国警察は拷問専用ビルを作って拷問してた!
21歳ソウル大学 学生、朴鍾哲(박종철) 集団拷問死事件



1976年、韓国警察は、当時の内務大臣、金致烈が発注し、ソウル五輪の競技場も手掛けた韓国現代建築の巨匠、金寿根キムスグン氏の設計で建設された拷問に特化したビルを建設する。
5階の拷問室の窓が非常に小さくなっており逃亡も不可能で、外部との断絶が図られている。拷問されるのは主に左翼思想を持った市民や学生で、建物の裏側に設けられた小さな裏口を通り、5階の尋問室に直結する螺旋階段を上り尋問室へ通される。螺旋階段は、方向感覚を失わせ、自分が何階まで上がったか分からなくなる。尋問室は全部で15室有り、ドアは互いに向かい合わないように設計されており、ドアを開けていてもお互いが見えないようになっていた。扉は防音が施されて拷問による悲鳴が聞こえないようにしていた。外観も「富国海洋研究所」という看板で民間施設に偽装して警察組織の建物だと分からないようにして、1970~1980年代民主化運動をしていた多くの人事を取組・拷問していたとされる。
1987年1月13日。当時、21歳でソウル大学言語学科の学生だったパク・ジョンチョルは、治安本部対空紛失所属捜査官6人によって強制的に引き摺られて連行され、24時間集団で浴槽に頭を叩きつけ、電気ショックや手足をタオルで縛り、逆さ水責めの拷問を受け翌日の1987年1月14日に死亡した。
逮捕した理由は大学の文化研究会の先輩パク・ジョンウンが民主化推進委員会指導委員として手配されたため、行方を聞き出す為に文化研究会の後輩だったパク・ジョンチョルを連行した。
警察は残酷な暴行と電気拷問、水拷問などを加えた。
夜11時45分ごろ、警察に呼び出された中央大龍山病院医師が到着して検診した時には既に死んでいた。
漢陽大学病院での検屍の結果、首と胸や膝など全身に15箇所の穴が空いて、親指と人差し指と爪の間を刺して出血した跡や、足の付け根が脱臼、肺などが毀損され、腹部が腫れており、肺から受胞音が聞こえた。
捜査官5人はパク・ジョンチョルを全裸にして、拷問室の中にある浴槽に引っ張って行って結ばれた二本の足を持ち上げ、何度も浴槽に逆さまに頭を沈める拷問を繰り返した。
中央日報シン・ソンホ記者は1987年1月15日、「警察で調査された大学生がショック死」という記事を報道した。
内務省治安本部長は記者会見で「水を飲んでたら突然倒れて死んだ」と嘘を付いた。
しかし、東亜日報が、検屍の医師陳述を確保し、拷問による死亡の可能性を報道し拷問が明るみになった。後に全5人が加担した集団拷問致事件を部下の2人だけが拷問に加担したものと偽り、警察上層部が口止めのために1億ウォンの大金を部下に支払ってすぐに仮釈放すると約束していたことなどが明るみになった。
こんな拷問しておきながら拷問は日帝時代の西大門刑務所で行われてたと嘘をつく韓国人



上記のような拷問専用施設をわざわざ作るほど拷問が日常化してた国でありながら、拷問は主に日帝時代の西大門刑務所などで行われてきたと嘘つく韓国。上の写真は西大門刑務所で行われていた拷問の為に作られたものとする実物大模型だ。ようするに原物ではなく韓国人がこんなのが有ったらしいとして作ったものだ。しかし日本中の刑務所探しても過去にこんな器具が存在していた情報は一切無いし例えば台湾の刑務所は当時のままで大事に保管されているが、こんな器具は何処にも無い。
そもそも棺桶みたいな奴とかドラキュラの椅子をcopyしたような木の釘の拷問装置とか発想がキリスト教というか西洋っぽい。中国にも似たようなのが有った。しかし日本には類似の装置が無い。
実際に西洋や中国には似たような拷問装置が存在していた。



