中国人経営の未登録の朝鮮人慰安婦




1953(昭和28)年 富士書苑 森高繁雄編 「秘録大東亜戦史ビルマ篇」所収 読売新聞経済部 斎藤申二 「ラングーン脱出行」
ビルマのシッタン川流域には一民家に広東と朝鮮の慰安婦が6人ばかりいる。シッタンの渡しでは、我々より後に残されたのに、よく危険な道を引率者もなく女だけでここまで来たものである。その足の強さにおどろく。
朝鮮の女
何日続くかわからぬ。とうてい重いものは持ってゆけないのだ。しかし担架をかわるがわるかつがなければならないので、背の荷は軽くても、いつしか本隊におくれてしまった。
「ありゃ、ありゃ」
「すごいな」
一行の横手をすたすた追いぬいてゆく女に一同は感嘆した。それは朝鮮の女だった。いうまでもなく、慰安所に連れてこられた不幸な女たちの一人である。かの女は、大きなトランクを頭上にのせ、はだしのまま、鉄路の上をどんどん歩いてゆく。
「ひとりで大丈夫かい」
「大丈夫よ」
それだけ答えると、かの女(おんな)はおそろしく早い足で、闇に消えてしまった。
↑上の記録はビルマで未登録(モグリ)で中国人経営の慰安所で働いていた朝鮮人慰安婦の記録である。
日本軍がラングーンに来た時も、勝手に着いてきたと書いており、ラングーンから脱出する時にも慰安婦達が一緒に行動してたことが分かる。
このようなモグリの未登録の慰安所は上海にも有ったことが記録されている。
