53年続いた犬食文化が終了←戦後に始まった?また嘘?

ロシア人が記録した韓国の食肉文化

ウェーベリ中佐(ウェーベル、ヴェーベル:Karl Ivanovich Weber / Carl Waeber)「1889年夏の朝鮮旅行」
ソウルには夥しい数の犬がおり、食用として販売するため各自が自宅で数頭は飼っている。牛は庶民は食べることは出来ない。朝鮮では牧畜が農村における独立の生業としては成立しない。家畜は農耕にとって必須であり、また家畜自らが耕した畑で獲られた麦藁で飼養される。この飼料の量が、家畜自体の頭数をも決定するが、そのための飼料が不足する以上、余剰の頭数は既に重荷以外の何物でもない。
朝鮮王朝は伝統的に、農業の主動力である牛を勝手に殺して食べることを法律で厳しく禁じており、牛や馬は肉や乳を得るための「商品」ではなく、田畑を耕すための「動力(生産財)」としてのみ飼育されているが、朝鮮の荒廃した土地では飼育も厳しいのだ。余剰の家畜は零細な仲買人へ売却され、仲買人は6頭から10頭の牛の群れを逐って北へ、つまり(ロシア領)南ウスリー地方へ搬送するのである。
朝鮮にとっては、我々による牛の買付けがある程度まで慈善行為でさえあった。朝鮮は自らが飼育しえず、食用にも供さない部分を我々(ロシア)に売り渡している。肉はごく稀な場合に、最高位の貴族層によって食用に供せられるのみで、大都市においてさえ肉の購入は不可能である。肉は市販されていないのだ。
過去数年間、ロシアが購入した牛の年間総頭数は次第に増加を見せて、現在1万頭に達するが、その内の5000頭から6000頭は元山から海路で運ばれてくる。
英国人「朝鮮人の食は質より量が大事」

イザベラ・バード(Isabella Bird Bishop) "朝鮮紀行(Korea and Her Neighbours)" 1898年1月出版(1894年から1897年にかけて、計4回にわたり朝鮮半島各地やロシア沿海州、満州を巡った見聞録)
大食ということに関しては、どの階級も似たり寄ったりである。食事のよさは質より量で決められ、一日四ポンドのごはんを食べても困らないよう、胃にできるかぎりの容量と伸縮性を持たせるのが幼いころからの人生目標のひとつなのである。ゆとりのある身分の人々は酒を飲み、大量のくだもの、木の実、糖菓を食間にとるが、それでもつぎの食事には一週間もひもじい思いをしていたかのような態度でのぞむ。裕福な家では牛肉と犬の肉は大皿に盛る。また客のごちそうは銘々膳で供されるので、もてなす側は特別大事な客にはふんだんにふるまい、ほかの客には最小限度に抑えておくことができる。わたしは朝鮮人が一度の食事で三ポンド(1ポンド=約454グラム)はゆうにある肉を食べるのを見たことがある。「一食分」が大量なのに、一日に三食か四食とる朝鮮人はめずらしくなく、一般にそれを慎む人々は好きなように食事もできないほど貧しい人と見なされかねない。一度の食事で二〇個から二五個のモモや小ぶりのウリが皮もむかれずになくなってしまうのはざらである。赤ん坊にまで食べさせる莫大な消費量の赤トウガラシがこの大食ぶりを助けているのは間違いない。朝鮮人には消化不良のたぐいの疾患が多いというのもうなずける。(p.203-204)
路地は疥癬〈かいせん〉持ちの犬の天国である。どの家も犬を飼っており、四角い穴から犬は家に出入りする。よそ者が来れば激しく吠え、傘をふると逃げていく。犬はソウル唯一の街路清掃夫であるが、働きはきわめて悪い。また人間の友だちでもなければ、仲間でもない。朝鮮語をはじめ人間の話すあらゆる言語に取り合わない。夜間吠えるのはどろぼうがいるからである。飼い犬といえどほとんど野犬にひとしい。若い犬は春に屠殺され、食べられてしまう。(p.67-68)