
韓国でフィギアが知られるようになったのはつい最近のことですね。
キムヨナが「国民の妹」と騒がれてから初めてフィギアを知った韓国人がほとんどでしょうね。
韓国人がフィギアスケートに興味を持ったのは、国民の妹が世界の主要スケータの一陣に入れて彼女のライバルが日本人ということが主なきっかけでしょう。
そのような歴史の浅い人たちが一生懸命、真央を誹謗するのは滑稽です。
なぜ、NHK杯が世界のメジャー杯になっているのかを考えて御覧なさい。
普通の日本人は小さな頃からフィギアスケートの実況を長いあいだ見ており、その芸術性やジャンプなどに感服や感激して育っているのですよ。
そのような日本人に向かって知ったかぶりをするKJの住民が滑稽なことです。
日本人でフィギアスケートを国威発揚の道具としてみている人はほとんど皆無。
ただ、韓国のマスコミの真央ちゃんに対する誹謗記事や中傷報道を知るにつけ、韓国の異常さを指摘しているだけですよ。
・・・で、この写真は誰でしょう。韓国人で知っている人はいないでしょうね。
下に、あるブログから拾った、写真の女性の説明文を転載しておきます。
http://plaza.rakuten.co.jp/peacemild/diary/200803120001/
そうです。1972年札幌冬季オリンピック女子フィギュアシングルの銅メダリストだ。競技では、シリモチをつく失敗もあったが、終始笑顔をふりまいて観客を魅了した。僕もずっと釘付け状態で、一度でファンになってしまった。学校に行ってもジャネット・リンの話題でもちきりだったのを覚えている。普通なら失敗すると笑顔はなくなるはずだけど・・・彼女の笑顔は最高の笑顔だった。
少しここで彼女のことを話してみよう。
シカゴの郊外で生まれて、3歳半で初めてスケート靴を履き、5歳からフィギュアの訓練を始めた。1966年、12歳でジュニアの国内選手権に優勝。1968年には14歳でグルノーブルオリンピックに出場し9位。金メダルを獲得したペギー・フレミングがプロに転向すると、ジャネット・リンはアメリカ女子フィギュア界のエースとなり、1973年まで5年連続で全米選手権を制した。
1972年、18歳の時に札幌オリンピックに出場。フリーではシットスピンで尻もちをつく失敗があったものの、その美しい演技は札幌の観客を魅了した。芸術点で満点の6.0も出るなど高得点を獲得したが、当時のルールで重要視されていたコンパルソリーが苦手であったため、合計点で3位にとどまった。この出来事は翌年からコンパルソリーの比重を下げ、ショートプログラムを導入する一因ともなった。演技中、失敗したにもかかわらず終始笑顔で滑っていたことは、全世界で大絶賛された。
その愛くるしい笑顔から「札幌の恋人」「銀盤の妖精」と呼ばれ日本中で人気を得、カルピスのCMにも出演。選手村の自室の壁に「Peace & Love」と書き残して日本を離れたが、この建物が分譲アパートとなった後もこの落書きは消さずに保存されている。
1973年、145万ドルという破格の契約金でプロに転向した。また1998年に開催された長野オリンピックにおいて、オリンピック親善大使として任命され、マクドナルドのCMに出演。久しぶりに公の場に姿を現した。
その後、2007年1月に、キリスト教の文書伝導を目的とするパワー・フォー・リビングのキャンペーンに、日本ハムのヒルマン監督(当時)、かつて「久保田早紀」の芸名で活動していた歌手久米小百合、音楽ユニットm-floのMCであるVERBALとともに出演。
2001年、世界フィギュアスケート殿堂入り。