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KJCLUB 日韓文化交流へようこそ。

韓国人と在日のイメージを素直に教える

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(・∀・) 

昔から、日本人が見ている韓国人と、日本に居座る在日韓国人に対するイメージを率直に教えてあげますね。


ぜひ、韓国人も日本に居座る在日同胞の街を見に来てください!


在日が居座る日本の街を見るときに、韓国人の皆さんは最高に気分が良くなるでしょう!!

絶対に、在日同胞が居座る日本の街に行きたいと思うことでしょう。


日本人の皆様へ

詳しいことは、首都圏のコリアタウンで、ググってね!




▲JR新大久保・大久保・地下鉄東新宿駅周辺

【新大久保】まず東京でコリアタウンと聞いて最初に思い浮かぶのが新宿の隣「新大久保」の存在だ。
見たところニューカマー系韓国人が多いが、新大久保がコリアタウン化したのは戦後の事で、それまで木賃宿が並ぶドヤ街だった新大久保界隈は戦後になり在日系企業であるロッテの工場が出来た事もあり、ロッテの工場に勤める在日韓国人や韓国からの出稼ぎ労働者が集住し始めたのが新大久保コリアタウンの素地であると言われている。

今では韓国人旅行者を対象にした安宿や土産物屋、韓国人の定住地として店が乱立している。まさにパスポートのいらない韓国。街を歩けば日本語より韓国語が多く聞こえてくる。
有名なのは大久保通りと職安通りに挟まれた一帯だが、職安通り南側の歌舞伎町エリアにもコリアタウンがはみ出している。街の猥雑さは首都圏随一の規模。一見の価値あり。

 
▲麻布十番は韓国大使館のお膝元である

 地下鉄麻布十番駅周辺
【麻布十番】麻布十番と言えば今どきの感覚で言えばセレブタウン扱いされてオシャレなカフェが並ぶような場所だと認識されているが、韓国大使館や民団本部ビルがあるなど実はコリアタウンとしての側面を持つ街なのだ。

大使館がある影響で日本に住む在日韓国人も多く訪れる場所で、当然それに合わせて韓国料理店も多いというわけである。

駅前には綺麗なビルに収まってパチンコ屋や焼肉屋が地味に存在しているし、少し離れた元麻布の善福寺前の道には下町の臭いを残す長屋も残っている。
 
▲TBSの赤坂はコリアタウンの赤坂

 地下鉄赤坂・赤坂見附駅周辺
【赤坂】政府官庁街に程近い赤坂の街は戦前は旧陸軍の街として軍事施設が密集する土地で、空襲の標的となり灰燼と帰した街に再興したのがコリアタウンと反日放送局とウヨに叩かれるTBS放送センターという皮肉。

現在の赤坂は韓国企業の日本法人が密集する、在日経済の中心地。韓国大使館などがある麻布十番が在日韓国人のワシントンなら赤坂は在日韓国人のニューヨークである。

まだ白黒の街頭テレビだった時代に国民的英雄として人気を集めたプロレスラーの力道山も、在日朝鮮人である出自を隠して日本で実業家としての才能をこの赤坂の地で奮い、何の因縁か、若くして赤坂で命を落とした。

高級料亭街はなりをひそめ、かつて「ヤクザと韓国人しかいない」ヤッカン通りと呼ばれたエスプラナード赤坂通りや隣のみすじ通りを中心に、新大久保に負けないハングル看板が踊る、高密度コリアタウンである。

 
▲西日暮里から東日暮里まで範囲が広い

 JR西日暮里・日暮里・三河島・京成新三河島駅周辺
【三河島】いまや東京のコリアタウンの座は新大久保に明け渡された感が強いが、昔から脈々と続くコリアタウンはやはり荒川区三河島界隈であろう。
JR西日暮里駅・日暮里駅・三河島駅・地下鉄三ノ輪駅・京成新三河島駅に囲まれた大規模なエリアである。

その多くは寂れた感じを見せているが、純朴な下町風景にハングル文字が飛び込む独特の光景はここでしか味わえない。

戦前から町工場が点在していたこの界隈に済州島出身者を中心に住み着いた歴史的経緯は大阪の生野区などと共通している。
「在日」でも三代続けて東京に住めば「チャキチャキの江戸っ子」と言えるのか。

 
▲周囲はパチンコ村。高密度のキムチ臭

 各線上野駅・御徒町駅から東側へ徒歩5分程度
【上野】上野駅の東側一帯にはパチンコメーカーのオフィスばかりが立ち並ぶ異様なエリアが存在しているが、その一角に戦後のドサクサ感を残す「キムチ横丁」がある。焼肉屋やキムチ屋ばかりが土地の一画を占領している独特の光景が見られる。

キムチ横丁の成り立ちは戦後の昭和23(1948)年にアメ横あたりにあった闇市に居た在日朝鮮人を立ち退かせてこの場所に移転させたのが始まりだそうだ。狭いコリアタウンだが密度が非常に高く雰囲気が凄い。
 
▲不忍池の南側、文京区湯島に跨っている

 JR御徒町駅から西側へ徒歩3分程度
【上野】上野駅近くには「キムチ横丁」の他にももう一箇所韓国人が多い繁華街「仲町通り」が存在する。上野広小路交差点の北西、不忍池南側に広がる歓楽街で、風俗街やストリップ劇場に紛れて韓国系居酒屋が乱立している。

上野二丁目(旧地名・池之端仲町)あたりは江戸時代から連れ込み旅館が並んでいた風俗地帯で、その名残りが続いている。
 
▲浅草寺裏周辺に韓国人街が密集している

 各線浅草駅から徒歩5分程度
【浅草】観光客の多い浅草寺参道を表の浅草とするなら、浅草寺の裏手に広がるやさぐれた居酒屋街は裏の浅草と言える。その「裏浅草」の顔が伝法院の裏手にずらりと並ぶ「ホッピー通り」などの安飲み屋街。

上野と同じく戦後のドサクサでバラック酒場を開いていた在日朝鮮人が多く集まる土地で、その名残りが続いている。
ホッピー通りの裏手には朝鮮総連事務所の跡地、それにひさご通り商店街脇にも焼肉屋ばかりが並ぶ独特の地帯が隠れている。殆ど観光客も来ないような場所で、まさしく裏の浅草である。
 
▲井筒映画「パッチギ!LOVE&PEACE」の舞台

 地下鉄豊洲駅から徒歩5分
【豊洲】今ではタワーマンションだらけのオシャレゾーンに変わってしまった豊洲駅から運河を一つ跨いだ先にある枝川一丁目。1928年に造成された東京湾埋立地の一つで、1940年に開催される予定だった東京オリンピックに合わせて当時の東京市が江東区内の塩浜付近のスラム街に住んでいた在日朝鮮人を一斉にこの地に移転させたと言われている。

今ではしなびた下町風景を残すだけとなっているが、ちらほらと韓国系ショップや焼肉屋が残る一方で、一部には当時の面影を残すバラック住宅が現存している。

在日コリアン一家の生き様を描いた井筒映画「パッチギ!LOVE&PEACE」の舞台にもなった場所で、今も土地問題で揉めている「東京朝鮮第二初級学校」が現存している。
 
▲墨東病院のそばが超ヤバイ

 JR錦糸町・亀戸駅周辺
【錦糸町】JR総武線の東側エリアは総じて在日外国人が多く暮らすエキゾチックタウンに変貌しつつあるが、その中でも極端なのが錦糸町の存在。

駅周辺のパチンコ屋や場外馬券売り場、それに外人バーやヤクザの姿が多いのもさすがと言った所だが、その一方でニューカマー系韓国人を相手にした飲食店も数多く存在する。

今では錦糸町の韓国人街が増殖してしまい、隣の亀戸にまで伸びてしまっている。亀戸もホルモン焼きや焼肉屋が乱立している肉食系下町で、当然韓国人の食文化とマッチしている。韓国人だけではなく、タイやフィリピンなど東南アジア系住民も非常に多い。

▲小岩駅東側に歓楽街が集まっている

 JR小岩駅周辺
【小岩】錦糸町や亀戸が外国人だらけの街となっているように、その延長線上で小岩もすこぶるニューカマー系韓国人街として発展中。主にその傾向が顕著に現れているのが駅東側に伸びる「地蔵通り」から東側の通りまでの一帯だ。小さいながらも戦後のドサクサのような風景も残っていて、新興マンション街が多いイメージの江戸川区の中ではベタな下町となっている。
 
▲旧駒沢練兵場跡「世田谷韓国会館」が見所

 東急三軒茶屋駅周辺
【三軒茶屋】猥雑さとは比較的縁がなさそうな東急沿線でも三軒茶屋だけは訳が違う。駅前の所謂「三角地帯」には区画整理の手が付かない闇市時代から残る細かい路地が広がっていて、居酒屋や商店街、廃墟や銭湯などが乱雑に密集している。

さらに首都高を跨いだ南側の商店街にも、大久保辺りにある「オムニ食堂」の支店があるなど、地味にコリアタウンが存在する。その先の都営下馬アパート脇に建つ築100年のオンボロ木造建築は旧駒沢練兵場時代の施設で、現在は民団の「世田谷韓国会館」に使われている。

 
▲解体された大谷口上町のバラック群

 東武大山駅から南西一帯
【大山】東武東上線沿線はどちらかと言えば池袋を起点とする在日中国人の生活文化が旺盛なエリアだが、大山界隈はオールドカマー系のコリアタウンとして地味に存在している。

駅前の雑多な居酒屋横丁も見逃せないが、商店街の先、川越街道南側には朝鮮学校が現存している他、大谷口上町の日大病院裏手に広がる窪地のスラム街はつい最近まで強烈なインパクトを示していた。現在取り壊されて改良住宅に建て替え中。

 
▲芝浦四丁目高浜橋に建つバラック

 JR品川・田町・地下鉄泉岳寺駅から徒歩
【品川】巨大ターミナル「品川駅」の東側は意外な事に見捨てられたような空間が広がっているが、品川と田町の間の運河に架かる芝浦四丁目の「高浜橋」北側のたもとには拍子抜けするようなバラック家屋が数軒残っている。

民家の中央をぶち抜いて走るガス管や、運河に半分迫り出したバラック民家の危うさも見た目に凄いが、特筆すべきが西側に3軒ほど焼肉屋が残っている事だ。
ここは食肉の本場「芝浦屠場」を目前とした焼肉とホルモンの穴場で知る人ぞ知る存在。年老いたオモニが一人で店を切り盛りする「やまや」は日テレのテレビドラマ「銭ゲバ」のロケ地にもなった。

 
▲荒川沿いに広がる西新井周辺の韓国人街

 東武西新井・大師前駅周辺
【西新井】東武伊勢崎線西新井駅から大師線でひと駅、西新井大師から荒川河川敷方面に広がる下町地帯は戦前から町工場が多く、三河島などと同じように在日朝鮮人が多く集住していた地域だ。

特に足立区関原・興野の一帯は戦前に荒川放水路の建設に携わった在日朝鮮人が集まった土地で、現在も濃密なコリアタウンが残っている。中でも朝鮮総連関係者が経営する某病院の存在はよく知られている。

*(荒川アンダーザブリッジですか?)
 
▲規模と歴史と存在感では首都圏随一

 JR川崎駅からバス、京急川崎大師駅から徒歩20分
【川崎大師】首都圏のコリアタウンで見逃してはならないのはやはり川崎であろう。戦前、日本の近代化に伴なう京浜工業地帯の労働力として日本統治下にあった当時の朝鮮から多数の人間が渡ってきた。

川崎区桜本・大島・浜町の地名から地元の在日コリアンが「おおひん地区」と名付けたものが、そのまま地区の名称として各所で使われている。
川崎駅からも遠く、寂れきった桜本商店街や焼肉屋が並ぶセメント通り商栄会などを歩くとただ寂しいの一言である。

特に日本鋼管(現・JFEスチール)の労働者だった在日朝鮮人が戦後のドサクサで日本鋼管の土地に居座って今なお土地問題が続く池上町、通称「群電前」は今も区画整理が入らずバラック家屋がバラバラに建つ独特の風景を見る事ができる。
 
▲バラック村は消えてなくなろうとしている

 JR川崎駅から徒歩20分
【川崎】川崎駅から多摩川に沿って1キロほど北上した所にある幸区戸手四丁目の河川敷バラック群は戦前から多摩川の砂利採取作業に従事していた朝鮮人労働者が集まってできた土地だが、戦後になって再び在日朝鮮人らが河川敷を不法占拠し住み続けていた。「土手下」とも呼ばれるスラム街で、長年インフラ整備が行き届かない劣悪な環境の土地に人々が生活を続けていた。

川崎駅にも比較的近いため、近年はマンション開発で戸手四丁目の河川敷もすっかりバラック家屋が取り壊されて、綺麗な新興住宅街へと姿を変えてしまった。
しかしバラック村の北端一帯は古紙リサイクル業者「木下」の本社工場がそのまま残っていて、戸手四丁目バラック村の名残りを今に残している。
 

▲武蔵小杉駅近く。小さなコリアタウン

 東急新丸子駅周辺
【新丸子】中目黒、自由が丘、田園調布と、ひたすらオシャレタウンというイメージ一色の東急東横線が多摩川を境に180度真逆のド下町に変貌する。神奈川県最初の駅、新丸子駅を降りると目の前に広がるのはパチンコ屋や微妙な風俗店などである。

ベタな下町に混じって韓国料理店や民団事務所の建物が存在していて、さすが川崎と思わされる。街の雰囲気から感じられるように、昔は遊郭も存在していたと言われる。

隣の武蔵小杉駅も、JR横須賀線の駅が開業したりタワーマンションが乱立するなど開発ラッシュに湧いているが、昔からの商店街はひたすら地味。無防備宣言のプロ市民事務所まであって、雰囲気は完全に川崎の下町といったところ。
 
▲まるで外国のダウンタウンそのもの

 JR関内駅から徒歩8分、京急日ノ出町駅から徒歩5分
【日ノ出町】横浜の旧市街地、伊勢佐木町界隈は街の中心地が横浜駅やみなとみらい方面にシフトしたことで寂れる一方の姿を見せているが、その反面で活気を見せているのが、イセザキモールから一歩内側に入った福富町を中心とした韓国人街だ。

まるで外国のダウンタウンを想起するようなやさぐれた繁華街に並ぶのは韓国料理店や中国系の店、そして横浜最大規模のソープランド街。ハングル文字が並び雰囲気は日本の街並みではない。

隣接する若葉町や末吉町あたりにも韓国人街が広がっていて、古いヨコハマの景色はエスニックタウンとして急速に塗り替えられようとしている。

 
▲根っからの下町、横浜の鶴橋

 JR関内駅から徒歩15分、京急黄金町駅から徒歩6分、地下鉄阪東橋駅から徒歩2分
【阪東橋】横浜一のド下町商店街「横浜橋通商店街」は落語家桂歌丸氏の地元でもあり激安店舗が並ぶ庶民派商店街で知られているが、その一方で多いのがキムチ屋や韓国料理店などの在日コリアンの経営する店舗。

近年増加の一途を辿る韓国人街だが、イセザキモールや福富町、黄金町あたりまでのニューカマー系韓国人街と一体化していて、街中を歩いている人々も韓国語を話している光景が非常に目立つ。

商店街脇の真金町も元赤線地帯で、韓国料理店やタイ料理店が並ぶエスニックタウンだ。
 
▲埼玉を代表するソープランド街

 JR西川口駅周辺
【西川口】埼玉県西川口と言えば、あまりにも有名な関東随一の性風俗の街として悪名轟かせる存在だが、ダメオヤジの溜まり場としてだけではなく韓国人、中国人、その他外国人が集住する国際色豊かなカオスゾーンでもある。

ソープランド街に留まらず街中のハングル率の高さは埼玉でも群を抜いていて、隣の蕨なども含めて東京近郊で地価の安い街ということで貧民も国内外から多数流れ込んでいる。
鋳物産業が盛んだった川口市を含めて埼玉県南部は工業地帯が多い事もあり、戦前から労働力として集まった在日コリアンがそのまま住んでいる事が多い。
 
▲高句麗の王族の末裔が住むとかなんとか

 西武高麗駅、JR高麗川駅周辺
【高麗】秩父山地の手前、日高市という田舎地帯にも古代朝鮮にゆかりのある地名が存在している。朝鮮半島から逃れた高句麗の王族が住み着いたのがこの付近であると言われていて、高麗王若光を祭神とする高麗神社がある。

その事がきっかけで高麗神社を含めて日本の朝鮮として街おこしが繰り広げられていて、西武高麗駅前に巨大な韓国の道標が置かれたり、高麗神社の境内に行くと在日韓国人団体や在日コリアンが多いと言われる芸能人の名前が参拝者名簿に書かれていたり、韓流ドラママニアのオバハンが置いたと思われる、ヨン様の健康を祈る絵馬が飾られていたりする。

 
▲風俗店だらけで酷い県庁所在地の繁華街

 各線千葉駅から徒歩5分
【千葉】千葉駅から目と鼻の先にある中心市街地の栄町は、昭和38年に千葉駅が現在の場所に移転してくるまでは市内最大の繁華街だったそうだ。しかし今では県内有数の風俗街としてその名を轟かせる。

猥雑なファッションヘルス店に混じってキムチ専門店や焼肉屋などが軒を連ねるのだが、廃屋や駐車場が斑模様に広がっていて雰囲気は「栄町」という名とは180度違っていてどこが栄えてるねん!といった感じだ。

夜の栄町商店街はひと気も少なく不気味だが韓国人向けの24時間スーパーだけが眩しい。ニューカマー系住民が増えているのか、ハングル率が非常に高い。

千葉市が軍都だった事もあって戦時中に大規模な空襲の標的になり焼き尽くされた中心市街地を戦後のドサクサで駅前一等地を三国人ヤクザが不法占拠した事で再開発計画に収拾が付かなくなり、結果千葉駅を含めた中心市街地を移転させるきっかけになったのではないかと言われている。

 
▲平成の世に残る驚愕の倒壊バラック群

 各線船橋駅から南側一帯
【船橋】船橋駅南口は大規模なペデストリアンデッキや西武百貨店などが建っているものの、一歩外れると戦後のドサクサで荒らされたような猥雑な街路が残っていて一見すると奇妙だ。

再開発道路の未着工部分にキリスト教会が立ちはだかっていて、その向かいは風俗街とパチンコ屋。いかにも駅前コリアタウン的な街である。韓国料理店の数も多い。

船橋市役所に近い南本町の「山谷澪」と呼ばれる水路に沿って、戦後の住宅不足で不法に建てられたバラック住居が今も生々しく残っている。この南本町一帯が放棄された塩田の跡地に、戦時中から戦後に掛けて都内から疎開させられて集まった人々が家を建てて出来た住宅地で、その経緯から「都疎浜」と呼ばれている事も興味深い。


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한국인과 재일의 이미지를 솔직하게 가르치는

(・∀・) 

옛부터, 일본인이 보고 있는 한국인과 일본에 눌러 앉는 재일 한국인에 대한 이미지를 솔직하게 가르쳐 주네요.


꼭, 한국인도 일본에 눌러 앉는 재일 동포의 거리를 보러 와 주세요!


재일이 눌러 앉는 일본의 거리를 볼 때, 한국인의 여러분은 최고로 기분이 좋아지겠지요!!

반드시, 재일 동포가 눌러 앉는 일본의 거리에 가고 싶다고 생각하겠지요.


일본인의 여러분에게

자세한 것은, 수도권의 코리아 타운에서, 그그는!




▲JR신오오쿠보・오오쿠보・지하철 히가시신슈쿠역 주변

【신오오쿠보】우선 도쿄에서 코리아 타운이라고 (들)물어 최초로 생각해 떠오르는 것이 신쥬쿠의 근처「신오오쿠보」의 존재다.
보았는데 신참자계 한국인이 많지만, 신오오쿠보가 코리아 타운화한 것은 전후의 일로, 그것까지 싸구려 여인숙이 줄선 드야거리였던 신오오쿠보 근처는 전후가 되어 재일계 기업인 롯데의 공장을 생긴 일도 있어, 롯데의 공장에 근무하는 재일 한국인이나 한국으로부터의 객지벌이 노동자가 집주하기 시작했던 것이 신오오쿠보 코리아 타운의 소지이다고 말해지고 있다.

지금은 한국인 여행자를 대상으로 한 값싼 여인숙이나 선물물 가게, 한국인의 정주지로서 가게가 난립하고 있다.확실히 패스포트의 필요 없는 한국.거리를 걸으면 일본어보다 한국어가 많이 들려 온다.
유명한 것은 오오쿠보 거리와 공공 직업 안정소 대로에 끼워진 일대이지만, 공공 직업 안정소 대로 남쪽의 가부키쵸 에리어에도 코리아 타운이 초과하고 있다.거리의 추잡함은 수도권 제일의 규모.일견의 가치 있어.

 
▲아자부쥬우반은 한국 대사관의 무릅 밑이다

 지하철 아자부쥬우반역 주변
【아자부쥬우반】아자부쥬우반이라고 하면 요즘의 감각으로 말하면 세레부 타운 취급해 되어 멋진 카페가 줄서는 장소라고 인식되고 있지만, 한국 대사관이나 민단 본부 빌딩이 있는 등 실은 코리아 타운으로서의 측면을 가지는 거리다.

대사관이 있는 영향으로 일본에 사는 재일 한국인도 많이 방문하는 장소에서, 당연 거기에 맞추어 한국요리점도 많다고 하는 것으로 있다.

역전에는 깨끗한 빌딩에 들어가 파칭코가게나 불고기가게가 수수하게 존재하고 있고, 조금 멀어진 모토아자부의 젠푸쿠지앞의 길에는 변두리의 수상한을 남기는 연립 주택도 남아 있다.
 
▲TBS의 아카사카는 코리아 타운의 아카사카

 지하철 아카사카・아카사카 미츠케역 주변
【아카사카】정부 관청가에 가까운 아카사카의 거리는 전쟁 전은 구육군의 거리로서 군사시설이 밀집하는 토지에서, 공습의 표적이 되어 잿더미와 돌아간 거리에 재흥 했던 것이 코리아 타운과 반일 방송국과 우요에 얻어맞는 TBS 방송 센터라고 하는 야유.

현재의 아카사카는 한국 기업의 일본 법인이 밀집하는, 재일 경제의 중심지.한국 대사관등이 있는 아자부쥬우반이 재일 한국인의 워싱턴이라면 아카사카는 재일 한국인의 뉴욕이다.

아직 흑백의 가두 TV였던 시대에 국민적 영웅으로서 인기를 끈 프로 레슬러의 역도산도, 재일 조선인인 출자를 숨겨 일본에서 실업가로서의 재능을 이 아카사카의 땅에서 떨쳐, 무슨 인연인가, 젊게 하고 아카사카에서 목숨을 잃었다.

고급 요정거리는이든지를 찌푸려 일찌기「야쿠자와 한국인 밖에 없는」약칸 대로로 불린 에스프라나드 아카사카도리나 근처만 비비 꼬아 대로를 중심으로, 신오오쿠보에 지지 않는 한글 간판이 춤추는, 고밀도 코리아 타운이다.

 
▲니시닛뽀리에서 히가시닛뽀리까지 범위가 넓다

 JR니시닛뽀리・닛포리・미카와시마・게이세이 신미카와시마역 주변
【미카와시마】지금 도쿄의 코리아 타운의 자리는 신오오쿠보에 명도해진 감이 강하지만, 옛부터 맥들과 계속 되는 코리아 타운은 역시 아라카와구 미카와시마 근처일 것이다.
JR니시닛뽀리역・닛포리역・미카와시마역・지하철 미노와역・게이세이 신미카와시마역에 둘러싸인 대규모 에리어이다.

그 많게는 쇠퇴해진 느낌을 보이고 있지만, 순박인 상인들의 기질경에 한글 몬지가 뛰어드는 독특한 광경은 여기서 밖에 맛볼 수 없다.

전쟁 전부터 작은 공장이 점재하고 있던 이 근처에 제주도 출신자를 중심으로 정착한 역사적 경위는 오사카의 이쿠노구등과 공통되고 있다.
「재일」에서도 삼대 계속하고 도쿄에 살면「체키체키의 에도 사람」라고 말할 수 있는 것인가.

 
▲주위는 파칭코마을.고밀도의 김치취

 각선 우에노역・오카치마치역에서 동쪽에 도보 5분 정도
【우에노】우에노역의 동쪽 일대에는 파칭코 메이커의 오피스만이 나란히 서는 이상한 에리어가 존재하고 있지만, 그 일각에 전후의 드사크사감을 남기는「김치 골목」가 있다.불고기가게나 김치가게만이 토지의 한 획을 점령하고 있는 독특한 광경을 볼 수 있다.

김치 골목의 과정은 전후의 쇼와 23(1948) 년에 사탕옆근처에 있던 암시장에 있던 재일 조선인을 떠나게 해 이 장소에 이전시켰던 것이 시작이라고 한다.좁은 코리아 타운이지만 밀도가 매우 높게 분위기가 굉장하다.
 
▲시노바즈노이케의 남쪽, 분쿄구 유시마에 걸치고 있다

 JR오카치마치역에서 서쪽에 도보 3분 정도
【우에노】우에노역 가까운 곳에는「김치 골목」외에도 이제(벌써) 한 개소 한국인이 많은 번화가「나카쵸 거리」가 존재한다.우에노 히로코지 교차점의 북서, 시노바즈노이케 남쪽으로 퍼지는 환락가에서, 풍속거리나 스트립 극장에 잊혀져 한국계 선술집이 난립하고 있다.

우에노 니쵸메( 구지명・이케노하타 나카쵸) 근처는 에도시대부터 데리고 들어가 여관이 줄지어 있던 풍속 지대에서, 그 아쉬움이 계속 되고 있다.
 
▲센소사뒤주변에 한국인거리가 밀집하고 있다

 각선 아사쿠사역으로부터 도보 5분 정도
【아사쿠사】관광객이 많은 센소사 참배길을 겉(표)의 아사쿠사로 한다면, 센소사의 뒤쪽으로 퍼지는이나 뒤질 수 있었던 선술집거리는 뒤의 아사쿠사라고 말할 수 있다.그「뒤아사쿠사」의 얼굴이 뎀보우원의 뒤쪽으로 죽 줄선「홉피 대로」등의 안술집거리.

우에노와 같이 전후의 드사크사로 발락 술집을 열고 있던 재일 조선인이 대부분 모이는 토지에서, 그 아쉬움이 계속 되고 있다.
홉피 그대로의 뒤쪽에게는 조총련 사무소의 철거지, 거기에 히대로 상가겨드랑이에도 불고기가게만이 줄선 독특한 지대가 숨어 있다.대부분 관광객도 오지 않는 것 같은 장소에서, 바야흐로 뒤의 아사쿠사이다.
 
▲우물 주위의 낮은 울 영화「팟치기!LOVE&PEACE」의 무대

 지하철 토요스역으로부터 도보 5분
【도요스】지금은 타워 맨션 투성이의 멋을냄 존으로 바뀌어 버린 토요스역에서 운하를 하나 넘은 먼저 있는 에다가와 잇쵸메.1928년에 조성된 도쿄만 매립지의 하나로, 1940년에 개최될 예정이었던 도쿄 올림픽에 맞추어 당시의 도쿄시가 코토구내의 염전 부근의 타 `X램 거리에 살고 있던 재일 조선인을 일제히 이 땅에 이전시켰다고 말해지고 있다.

지금은 시든 상인들의 기질경을 남길 만큼되고 있지만, 하나둘씩한국계 숍이나 불고기가게가 남는 한편으로, 일부에는 당시의 모습을 남기는 발락 주택이 현존 하고 있다.

재일 코리안 일가의 삶을 그린 우물 주위의 낮은 울 영화「팟치기!LOVE&PEACE」의 무대로도 된 장소에서, 지금도 토지 문제로 비빌 수 있고 있는「도쿄 조선 제2 초급 학교」가 현존 하고 있다.
 
▲보쿠토 병원의 곁이 초위험

 JR긴시쵸・카메이도역 주변
【긴시쵸】JR소부선의 동쪽 에리어는 대체로 재일 외국인이 대부분 사는 이그조틱 타운에 변모하고 있지만, 그 중에서도 극단적인의가 긴시쵸의 존재.

역 주변의 파칭코가게나 장외마권 판매장, 거기에 외국인 바나 야쿠자의 모습이 많은 것도 과연이라고 한 곳이지만, 그 한편으로 신참자계 한국인을 상대로 한 음식점도 많이 존재한다.

지금은 긴시쵸의 한국인거리가 증식 해 버려, 근처의 카메이도에까지 성장해 버리고 있다.카메이도도 호르몬 구이나 불고기가게가 난립하고 있는 육식계 변두리에서, 당연히 한국인의 식생활 문화와 성냥 하고 있다.한국인 만이 아니고, 타이나 필리핀 등 동남아시아계 주민도 매우 많다.

▲코이와역 동쪽으로 환락가가 모여 있다

 JR코이와역 주변
【코이와】긴시쵸나 카메이도가 외국인 투성이의 거리가 되고 있도록(듯이), 그 연장선상에서 코이와도 대단히 신참자계 한국인거리로서 발전중.주로 그 경향이 현저하게 나타나고 있는 것이 역 동쪽으로 성장하는「지장 대로」로부터 동쪽대로까지의 일대다.작으면서 전후의 드사크사와 같은 풍경도 남아 있고,신흥 맨션거리가 많은 이미지의 에도가와구안에서는 베타인 변두리가 되고 있다.
 
▲ 구코마자와 연병장자취「세타가야 한국 회관」가 볼만한 곳

 토큐 상겐지야야역 주변
【상겐지야야】추잡함과는 비교적연이 없을 것 같은 토큐 연선에서도 상겐지야야만은 (뜻)이유가 다르다.역전의 소위「삼각지대」에는 구획정리의 손이 붙지 않는 암시장 시대부터 남는 세세한 골목이 퍼지고 있고, 선술집이나 상가, 폐허나 목욕탕등이 난잡하게 밀집하고 있다.

한층 더 수도고를 넘은 남쪽의 상가에도, 오오쿠보 근처에 있는「엄니 식당」의 지점이 있는 등, 수수하게 코리아 타운이 존재한다.그 앞의 동경도 경영 시모우마 아파트겨드랑이에 세워지는 축 100년의 온 고물 목조 건축은 구코마자와 연병장 시대의 시설에서, 현재는 민단의「세타가야 한국 회관」에 사용되고 있다.

 
▲해체된 오야구치카미쵸의 발락군

 토부 오오야마역에서 남서 일대
【오오야마】토부 토오조센 연선은 어느 쪽일까하고 말하면 이케부쿠로를 기점으로 하는 재일 중국인의 생활 문화가 왕성한 에리어이지만, 오오야마 근처는 올드 솥-계의 코리아 타운으로서 수수하게 존재하고 있다.

역전의 잡다한 선술집 골목도 놓칠 수 없지만, 상가의 앞, 카와고에 가도 남쪽에는 조선 학교가 현존 하고 있는 것 외, 오야구치카미쵸일 큰 병원 뒤쪽으로 퍼지는 와지의 슬럼가는 바로 최근까지 강렬한 임펙트를 나타내고 있었다.현재 해체되어 개량 주택에 재건축중.

 
▲시바우라 욘쵸메 타카하마 다리에 세워지는 발락

 JR시나가와・다마치・지하철 천악사역으로부터 도보
【시나가와】거대 터미널「시나가와역」의 동쪽은 뜻밖의 일에 버림받은 것 같은 공간이 퍼지고 있지만, 시나가와와 다마치의 사이의 운하에 가설되는 시바우라 욘쵸메의「타카하마 다리 」북측의 소매에는 맥 빠짐 하는 발락 가옥이 몇 채 남아 있다.

민가의 중앙을 구멍내 달리는 가스관이나, 운하에 반 강요하기 시작한 발락 민가의 위험함도 외형에 굉장하지만, 특필해야 할이 서쪽으로 3채 정도 불고기가게가 남아 있는 일이다.
여기는 식육의 본고장「시바우라도장」를 목전으로 한 불고기와 호르몬의 명당에서 아는 사람아는 존재.연로한 오모니가 혼자서 가게를 처리하는「산이나」는 일본 테레비의 텔레비젼 드라마「전권력」의 로케지로도 되었다.

 
▲아라카와가에 퍼지는 니시아라이 주변의 한국인거리

 토부 니시아라이・대사앞역 주변
【니시아라이】토부 이세사키선니시아라이역에서 대사선으로 사람역, 니시아라이 대사로부터 아라카와 하천 부지 방면으로 퍼지는 변두리 지대는 전쟁 전부터 작은 공장이 많아, 미카와시마등과 같이 재일 조선인이 대부분 집주 하고 있던 지역이다.

특히 아다치구 세키하라・오키노의 일대는 전쟁 전에 아라카와 방수로의 건설에 종사한 재일 조선인이 모인 토지에서, 현재도 농밀한 코리아 타운이 남아 있다.그 중에서도 조총련 관계자가 경영하는 모병원의 존재는 잘 알려져 있다.

*(아라카와 언더더 브릿지입니까?)
 
▲규모와 역사와 존재감에서는 수도권 제일

 JR카와사키역으로부터 버스, 도우큐선 가와사키 다이시역으로부터 도보 20분
【가와사키 다이시】수도권의 코리아 타운에서 놓쳐서는 안 되는 것은 역시 카와사키일 것이다.전쟁 전, 일본의 근대화에 따르는 케힌 공업지대의 노동력으로 해서 일본 통치하에 있던 당시의 조선으로부터 다수의 인간이 건너 왔다.

카와사키구 사쿠라모토・오오시마・하마초의 지명으로부터 현지의 재일 코리안이「히응지구」라고 이름 붙인 것이, 그대로 지구의 명칭으로서 각처에서 사용되고 있다.
카와사키역으로부터도 멀고,쇠퇴해져 자른사쿠라모토 상가나 불고기가게가 줄선 시멘트 대로상영회등을 걸으면 단지 외로운 것 한마디이다.

특히 일본 강관(현・JFE 스틸)의 노동자였다재일 조선인이 전후의 드사크사로 일본 강관의 토지에 눌러 앉아 지금 더 토지 문제가 계속 되는 이케가미쵸, 통칭「군전전」는 지금도 구획정리가 들어가지 않고 발락 가옥이 뿔뿔이 흩어지게 세워지는 독특한 풍경을 볼 수가 있다.
 
▲발락마을은 사라져서 없어지려 하고 있다

 JR카와사키역으로부터 도보 20분
【카와사키】카와사키역으로부터 타마가와를 따라서 1킬로 정도 북상한 곳에 있는 사이와이구 도데 욘쵸메의 하천 부지 발락군은 전쟁 전부터 타마가와의 자갈 채취 작업에 종사하고 있던 조선인 노동자가 모여서 할 수 있던 토지이지만,전후가 되어 다시 재일 조선인등이 하천 부지를 불법 점거해 계속 살고 있었다.「도테시타」라고도 불리는 슬럼가에서, 오랜 세월 인프라 정비가 두루 미치지 않는 열악한 환경의 토지에 사람들이 생활을 계속하고 있었다.

카와사키역에도 비교적 가깝기 때문에, 근년은 맨션 개발로 도데 욘쵸메의 하천 부지도 완전히 발락 가옥이 해체되고, 깨끗한 신흥 주택가로 모습을 바꾸어 버렸다.
그러나 발락마을의 북단 일대는 옛 종이 리사이클 업자「키노시타」의 본사 공장이 그대로 남아 있고, 도데 욘쵸메발락마을의 아쉬움을 지금 남기고 있다.
 

▲무사시 코스기역 근처.작은 코리아 타운

 토큐 신마리코역 주변
【 신마리코】나카메구로, 지유가오카, 덴엔쵸후와 오로지 멋을냄 타운이라고 하는 이미지 일색의 토큐 도요코센이 타마가와를 경계로 180도 설마의 드 변두리에 변모한다.카나가와현 최초의 역, 신마리코역을 내리면 눈앞에 퍼지는 것은파칭코가게나 미묘한 풍속점 등이다.

베타인 변두리에 섞여 한국요리점이나 민단 사무소의 건물이 존재하고 있고, 과연 카와사키와 생각하게 해진다.거리의 분위기로부터 느껴지도록(듯이), 옛날은 유곽도 존재하고 있었다고 말해진다.

근처의 무사시 코스기역도, JR요코스카선의 역이 개업하거나 타워 맨션이 난립하는 등 개발 러쉬에 솟고 있지만, 옛부터의 상가는 오로지 수수함.무방비 선언의 프로 시민 사무소까지 있고, 분위기는 완전하게 카와사키의 변두리라고 했는데.
 
▲마치 외국의 다운타운 그 자체

 JR칸나이역으로부터 도보 8분 , 도우큐선 히노데쵸역으로부터 도보 5분
【히노데쵸】요코하마의 구시가지, 이세자키쵸 근처는 거리의 중심지가 요코하마역이나 미나토미라이 방면으로 시프트 한 것으로 쇠퇴해질 뿐의 모습을 보이고 있지만, 그 반면에서 활기를 보이고 있는 것이, 이세자키모르로부터 한 걸음 안쪽에 들어갔다후쿠토미쵸를 중심으로 한 한국인거리다.

마치 외국의 다운타운을 상기하는이나 뒤질 수 있었던 번화가에 줄서는 것은 한국요리점이나 중국계의 가게, 그리고 요코하마 최대 규모의 소프랜드거리.한글 문자가 줄서 분위기는 일본의 거리풍경은 아니다.

인접하는 와카바쵸나 스에요시초 근처에도 한국인거리가 퍼지고 있고, 낡은 요코하마의 경치는 에스닉 타운으로서 급속히 바꿔바를 수 있으려 하고 있다.

 
▲뿌리로부터의 게노마치, 요코하마의 쓰루하시

 JR칸나이역으로부터 도보 15분 , 도우큐선 코가네쵸역으로부터 도보 6분 , 지하철 반도우교역으로부터 도보 2분
【반도우 다리】요코하마1의 드 변두리 상가「요코하마 하시미치 상가」는 만담가침나무 우타마루씨의 현지이기도 해 염가 점포가 줄선 서민파 상가로 알려져 있지만, 그 한편으로 많은 것이김치가게나 한국요리점등의 재일 코리안의 경영하는 점포.

근년 증가가 일로를 걷는 한국인거리이지만, 이세자키모르나 후쿠토미쵸, 코가네쵸 근처까지의 신참자계 한국인거리와 일체화하고 있고, 거리를 걷고 있는 사람들도 한국어를 하고 있는 광경이 매우 눈에 띈다.

상가겨드랑이의 마가네쵸도 원공창 지역 지대에서, 한국요리점이나 타이 요리점이 줄선 에스닉 타운이다.
 
▲사이타마를 대표하는 소프랜드거리

 JR니시카와구치역 주변
【니시카와구치】사이타마현 니시카와구치라고 말하면, 너무 유명한 관동 제일의 성 풍속의 거리로서 악명 울릴 수 있는 존재이지만, 안 됨 아버지의 집합소로서 만이 아니고한국인, 중국인, 그 외 외국인이 집주 하는 국제색 풍부한 카오스 존이기도 하다.

소프랜드거리에 머물지 않고 거리의 한글율의 높이는 사이타마에서도 빼어나 있고, 근처의 와라비등도 포함해 도쿄 근교에서 지가의 싼 거리라고 하는 것으로 빈민도 국내외로부터 다수 흘러들고 있다.
주물 산업이 번성했던 카와구치시를 포함해 사이타마현 남부는 공업지대가 많은 일도 있어, 전쟁 전부터 노동력으로 해서 모인 재일 코리안이 그대로 살고 있는 것이 많다.
 
▲고구려의 왕족의 후예가 산다든가 어떻게든

 세이부 고려역, JR코마가와역 주변
【고려】치치부산지의 앞, 히다카시라고 하는 시골 지대에도 고대 조선에 연고가 있는 지명이 존재하고 있다.한반도로부터 피한 고구려의 왕족이 정착했던 것이 이 부근이다고 말해지고 있고, 코마왕 젊은 빛을 제신으로 하는 고려 신사가 있다.

그 일이 계기로 고려 신사를 포함해 일본의 조선으로서 거리 부흥이 전개되고 있고, 세이부 고려 역전에 거대한 한국의 도표가 놓여지거나 고려 신사의 경내에 가면 재일 한국인 단체나 재일 코리안이 많다고 말해지는 연예인의 이름이 참배자 명부에 쓰여져 있거나, 한류드라마 매니아의 오바한이 두었다고 생각되는, 욘님의 건강을 비는 말그림 액자가 장식되어 있거나 한다.

 
▲풍속점 투성이로 심한 현청 소재지의 번화가

 각선 치바역으로부터 도보 5분
【치바】치바역으로부터 엎드리면 코 닿을 데에 있는 중심 시가지의 에이마치는, 쇼와 38년에 치바역이 현재의 장소에 이전해 올 때까지는 시내 최대의 번화가였다고 한다.그러나 지금은 현내 유수한 풍속거리로서 그 이름을 울릴 수 있다.

추잡한 패션 헬스점에 섞여 김치 전문점이나 불고기가게등이 처마를 나란히 하는것이지만, 폐옥이나 주차장이 얼룩 모양에 퍼지고 있어 분위기는「에이마치」라고 하는 이름과는 180도 차이가 나고 어디가 번창하고 있구나!그렇다고 하는 느낌이다.

밤의 에이마치 상가는 사람기분도 적고 기분 나쁘지만 한국인 전용의 24시간 슈퍼만이 눈부시다.신참자계 주민이 증가하고 있는지, 한글율이 매우 높다.

치바시가 군도였던 일도 있어 전시중에 대규모 공습의 표적이 되어 구워 다하여진 중심 시가지를 전후의 드사크사로 역전 일등지를 삼국인야쿠자가 불법 점거한 일로 재개발 계획에 수습이 붙지 않게 되어, 결과 치바역을 포함한 중심 시가지를 이전시키는 계기가 된 것은 아닐까 말해지고 있다.

 
▲헤세이의 세상에 남는 경악의 도괴 발락군

 각선 후나바시역에서 남쪽 일대
【후나바시】후나바시역 남쪽 출입구는 대규모 보행자 데크나 세이부백화점등이 세워지고 있지만, 한 걸음 빗나가면 전후의 드사크사로 망쳐진 것 같은 추잡한 가로가 남아 있어 언뜻 보면 기묘하다.

재개발 도로의 미착 코우베분에 크리스트교회가 가로막고 있고, 그 정면은풍속거리와 파칭코가게.그야말로 역전 코리아 타운적인 거리이다.한국요리점의 수도 많다.

후나바시시 관공서에 가까운 미나미혼쵸의「야마타니 미오」로 불리는 수로에 따라서, 전후의 주택 부족하고 불법으로 지어진 발락 주거가 지금도 생생하게 남아 있다.이 미나미혼쵸 일대가 방폐된 시오타의 철거지에, 전시중으로부터 전후에 걸어 도내로부터 피난 당해 모인 사람들이 집을 지어 할 수 있던 주택지에서, 그 경위로부터「도소빈」로 불리고 있는 일도 흥미롭다.


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