東条英機って、そんなに日本にとって悪い存在だったのか?。
以下疑問点を挙げてみる。
① 東條内閣が発足したのは昭和16年(1941)10月18日です。
真珠湾攻撃まで、2ヶ月もありません。
あれだけの作戦の立案は1年以上かかります。
それでも、東条英機に責任があるのでしょうか。
② 真珠湾攻撃を立案したのは山本五十六です。
彼は、日米開戦の1年半以上前から真珠湾攻撃を立案し
鹿児島で訓練を実施していました。
更に、真珠湾用の浅海魚雷も開発しました。
そして、海軍の軍令部(陸軍でいう参謀本部)に、こう強要しました。
「本作戦が採用されなければ私は連合艦隊司令長官を辞する。」
軍令部は苦慮しました。
そして、やっと当該作戦の採用が決定したのは、昭和16年10月19日です。
③ 陸軍はどうだったでしょうか。
東条英機は陸軍です。
陸軍の一部、所謂、青年将校の中には日米開戦を主張する者もいました。
しかし、上層部は日米開戦には消極的でした。
なぜなら、陸軍は中国大陸での戦争で手一杯だったからです。
陸軍が、これ以上、手を広げたくなかったのは、頷けます。
④ 開戦の決定はどうだったでしょうか。
この件に関して、御前会議が3回開かれました。
2回目で、ほぼ、開戦が決まりましたが、天皇陛下が反対しました。
そこで、東条英機は3回目の御前会議を行いました。
御前会議とは、文字通り、天皇陛下の御前で行う会議です。
しかし、本来、天皇には発言権はありません。
だから、天皇陛下が反対しても、2回目の会議で開戦が決定すれば
それ以上の協議は不要なのです。
しかし、東条英機は、敢えて3回目の御前会議を開きました。
他にも色々ありますが、私は自分なりに考えた末に
東条英機が合祀されていても、5年程前から
終戦記念日には、靖国神社にお参りしています。
今年も、当然、お参りする予定です。