満ち足りていれば、または満ち足りなくても過程においての努力があれば自己の社会的、生理的欲求は満たされ、それが自己概念においての自尊心というべきものになりえる。
また、自己の行動を決定する個人の基準にもなるものでしょうか?
韓国人の自尊心を考えてみれば、世界的な位置や評価、歴史的立場など満たされざるものが多すぎる。
自尊心は願望が大きいほど水準が低くなる。取り立てて問題にならない事、他者の功績を自尊心と叫ぶようになり、相対する者の評価に反発し怒りの感情を示すようになる。
このように相手に認めさせようとしたり、認めない相手への怒りも低質な自尊心と言えない事もないのです。
(*"‐"*) ウフフフ♪