日韓基本条約とは?
1965年(昭和40年)6月22日に日本と大韓民国との間で結ばれた条約。
1951年7月頃からアメリカ政府の主導があったことが知られており、韓国がサンフランシスコ講和条約の当事国になることができず、
当時の李承晩大統領が日本との直接対話を希望し
東京の連合軍最高司令部(SCAP)でシーボルト外交局長の立会いのもとに会談(予備会談が1951年10月20日から)が開始された経緯がある[1]。
1965年当時、アメリカはベトナム戦争に本格参戦を企図しており、アジアにおける重要な橋頭堡であった日本と韓国の関係を正常化し、韓国軍の派兵を含め当時世界最貧国のひとつであった韓国を強化し、日韓双方が協力してベトナム戦争を支えるようアメリカ合衆国が日本と韓国に圧力をかけて双方の妥協を強要したのだという。
竹島(独島)をめぐる漁業権の問題、戦後補償(賠償)の問題、日本在留の韓国人の在留資格問題や北朝鮮への帰国支援事業の問題、歴史認識を含めた謝罪の問題など当初から多くの問題を含んでおり、李承晩大統領の対日姿勢もあり予備交渉の段階から紛糾し、
1953年1月5日から7日までの非公式訪日のさいの吉田茂と李承晩の直接会談も非常に険悪なものであったとされる。
交渉が進展しはじめたのは将軍時代の朴正煕が1961年に訪日し池田勇人と会談したことが契機であるとされ、歴史認識問題や竹島(独島)の帰属問題は「解決せざるをもって、解決したとみなす」の有名な密約により棚上げとなり条約の締結に至った。
・・・日本は韓国に漁船ごと人質となった竹島漁民4000人を返してもらいたい。
韓国は、朝鮮半島に無傷で残っていた日本人個人資産が欲しい。日本に密入国していた大量の韓国人を放棄したい。今後の国家運営のための資金も欲しい。
かなり日本にとって不公平な条約が結ばれた!