1994年、8党派連立の細川内閣が倒れ、新生党の羽田孜内閣が成立したが、新生党との折り合いの悪い与党第一党だった日本社会党は連立を離脱し、また、新党さきがけも閣外協力として政権と距離を置いた。政権は少数与党となり、事実上の予算管理内閣となった。安定政権への要望、野党に安んじられない自民党等の状況の中、武村正義、竹下登、野中広務などが水面下で動き、社会党を首班とし、自民党とさきがけが参加する大連立政権が構想されていった。
概要 [編集]
日本社会党と新党さきがけの政策合意に自民党が加わった形で「共同政権構想」となり自社さ村山内閣の政策綱領となった。社会党とさきがけ及び自民党ハト派からなる保守系の護憲勢力が政権を主導する構想であった。
イデオロギーで長年対立関係にあった衆議院第1党自民党と衆議院第2党の社会党が連立を組んだため大連立に近い政権であった。また、別の見方をすれば、1993年の第40回衆議院議員総選挙で過半数を割った自民党と、歴史的大敗をした社会党が、敗者同士で手を結び、議席を伸ばした新党を押しのけて政権を奪った野合政権ともいえる。実際に自社さ政権の成立を境に、これら既存政党に愛想を尽かして無党派が爆発的に増え、無党派の支持を受けて東京都の青島幸男知事、大阪府の横山ノック知事が誕生することになったという指摘もある。
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そんな訳で、韓国と日本は全然違いますので、あしからず。