ハンミョンギ教授は 『壬辰の乱と韓中関係』を 1999年発行した以来壬辰の乱研究と係わって代表的に指折り数えられて来た所長歴史学者だ. 日本と中国と言う(のは)強大国の間に挟まったサンドイッチとしての韓半島状況は 400余年の前や今日や大きく変わらなかったというところ二人は共感した. また私たちの力が弱い時度に韓半島の自尊はもちろん東アジアの平和まで割れる状況が繰り返されたという点を振り返って見なければならないと言った.
ソングボック(以下ソング)=私は今日韓半島分断の源流を壬辰の乱で捜す. 日本と中国が 400余年の前韓半島をおいて激突した歴史が今日現実で現われている. 壬辰の乱は結果的に ‘朝鮮分割戦争’だった. 当時日本は ‘朝鮮するか(割地)’という表現を書いた. 明が救援軍を送った理由は搖れと北京を守る垣根として朝鮮が必要だったからだ. リュソングリョングは 『懲泌録』から ‘ボンリジゾン(藩籬之戦・垣根戦争)’と記録した. 日本と名医朝鮮分割意図を突き通してそれを沮止する卓越なリーダーシップを発揮した人物がすぐ西涯リュソングリョングだった. 壬辰の乱当時や今や韓半島は中・日だという大きいホドカギに挟まったくるみみたいな世話だ.
ハンミョンギ(以下たいてい)= 壬辰の乱は 16世紀朝鮮の対日政策が破綻に至った状況で起きた. 15世紀まで朝鮮はよほど開放的で弾力的だったし軍事力も強かった. 一例で申叔舟が使った 『解凍帝国期(海東諸国記)』は今も日本で外国人が使った歴代最高の人文地理書で評価を受ける. このような対外感覚が 16世紀に入って弱化されながら, 結局日本で起きた変化を読み出すのに失敗した. 韓国の国力がとても弱い時なら東アジアで戦争が起こった. 私たちの自尊だけでなく東アジアの平和を維持するためにしても私たちはある程度水準以上の力を維持する必要がある. 壬辰の乱の意味をまた振り返って見なければならない理由だ.
ソング=壬辰の乱当時朝鮮は日本が割れば割れるしかなくて中国が合議しようとすると合議するしかない位力がなくて貧しい国だった. 将軍は禄俸がなくて兵士は兵器がなかった. 軍隊だとできなかった. よく壬辰の乱すれば栗谷李イの ‘10万佯病では’を思い浮かぶ人々が多いのに, これは虚構だ. 栗谷の死後数十年が経って彼の弟子が書いた碑文にだけ出る. 当時朝鮮人口はおおよそ 400万名だった. この中ビョングノングが分離した軍隊に行くことができる 20代男性は 30万名位だ. 両班・奴婢・障害者などを除いてまた農業をする人力を計算して見れば兵士 10万名を養成するあてがない. 当時米穀生産量はとても多い時が 500万石位で, 政府歳入が 60万石だった. 10万名の軍隊を養成するとしても彼らを食べさせる軍糧米も問題だ. リュソングリョングの計算によれば 70万石が入る. 兵曹判書まで勤めた栗谷がこんな事実が分からなかったわけない. 一方壬辰の乱頃日本は世界有数の軍隊を持った国だった. 新武器である弔銃の生産量が当時ヨーロッパ全体の生産量のような位だった.
たいてい=それでも二つの強国の間に挟まった朝鮮は壬辰の乱で亡びるとか分割されないで生き残った. むしろ朝鮮は壬辰の乱以後にも王朝が維持された一方人は請いで, 日本は徳川幕府が立ち入って王朝が入れ替えされた点も注目しなければならない. とにかく多い副作用があったが名君を呼び入れたことは世宗大以後下った朝鮮の外交的力量が決定的な瞬間に成功したという点を傍証する. 中国との外交はそれなりに成功的だったことだ. 日本に対する文化的な優越意識は抵抗の基盤になったし戦争が終わった後にもずっと維持された. また戦争期間の間義兵がずっと起きたことは朝鮮の支配層が地方社会を統制する能力を喪失しなかったという点を見せてくれる. 下層民から民心を完全に失わなかったのだ.
ソング=私は壬辰の乱当時の朝鮮社会を ‘依命派(依明派・明依存勢力)’と ‘自強派(自彊派・自ら力を育てようという勢力)’で分けて見る. 歴史学者たちが同人・西人・ナムイン・北人・老論・少論で分けて見るのに, それは政治権力上ではどの位意味があるが国家権力の側面では意味がない. 国権を維持するには意味がないという意味だ. 自強派にはリュソングリョング・李舜臣と義兵が属する. 依命派は先祖と大部分の臣僚たちがあたる. 朝鮮分割を阻んだ最大の功労者は自強派のリーダーリュソングリョングだった.
たいてい=壬辰の乱克服の三つの功臣を指折ったら李舜臣・リュソングリョング・クァクゼウを指折りたい. 李舜臣は東アジア海域の覇権を掌握して明の安保も守り出した. リュソングリョングは展示受賞として, 一方では王権を守るのに汲汲している先祖を宝位して, 他の一方では争うつもりはしないのに朝鮮の内政干渉をほしいままにした名君指揮部をなぐさめるために苦闘をした. 忠誠心と愛国心で団結したクァクゼウは義兵長の表象だった.
ソング=リュソングリョングの卓越なリーダーシップが一番引き立った部分は陸軍だった李舜臣を水軍長水路任命して 7段階や昇進させた仕事だ. パラダイムを完全に切り替えたあいさつ起用だった. 李舜臣とリュソングリョングが海と陸地で全身を捧げて守り出した国を 300年後子孫たちは戦争一度なしにそっくりそのまま日本に渡してやってしまった. リーダーシップの大切さを節減するようになる.
たいてい=当時リュソングリョングが引き受けた一番恥ずかしい事が名君指揮部に会って日本軍と決戦をしてくれと言って訴えるのだった. 人は自国の戦略的目標(戦争を搖れで拡大させないこと)がどの位達成された以後に朝鮮の立場(入場)を全然考慮しなかった. 強大国たちが他人の国戦争に割りこんで目標を果たした以後の行動様態は概して似ている. 名菓日本の強化交渉が始まった以後 ‘朝鮮問題’は人内部の政治問題になる. 朝鮮は徹底的に疏外されて ‘中・日戦争’で戦争の性格が変わって行くことだ. 朝鮮としては思うことができなかったディルレごとに. 名君は戦うつもりはなくて長期間駐屯しながら民弊をかけたし, 日本軍は南海岸に長期間とどまって掠奪と虜狩りをほしいままにした. この状況で朝鮮民衆は最悪の苦痛を経験しなければならなかった. 壬辰の乱で一番注目しなければならない部分はこんな点だと思う.
進行・整理=背泳台・李エステル記者写真=朴種根記者
◇懲泌録(懲〓録)=朝鮮先祖の時の領議政で壬辰の乱を総括指揮した西涯リュソングリョング(1542〜1607)が戦争が終わった後戦争の状況を回考しながら記録した本. 戦争に対する反省とともに後患を警戒する内容を記した. 日本の長所も加減なしに積むなど史料的客観性を取り揃えたという評価を受ける.