
[日本人で韓国人に帰化した, 日本東大出身のホサカ維持教授- 写真]
プレ試案 : 10年以上独島研究に没頭して来たが, 10年勉強の結論は何か? 独島はどの国地か, 日本か韓国か?
ホサカ : 独島は疑うところない韓国の領土だ. これが 10余年にわたった私の研究の結論だ. ただ, 後で詳らかに言うが, 独島が韓国領土なのを見せてくれる多くの歴史的事例があるにもかかわらず韓国政府がこれをよく活用することができないことが惜しいだけだ.
プレ試案 : 独島問題について韓国人たちの間には一種の固定観念があるようだ. 例えば ¥"独島問題を国際司法裁判所に持って行けば私たちが不利だ¥"とか ¥"もう私たちが独島を実效支配しているというのに独島問題をおいて無駄な論争をする必要があるか¥", または ¥"独島問題に関する論争に跳びこむことは日本の戦略に巻きこまれることなので無対応が上策¥"という意見もある.
例えば島根県の独島併合 100周年 記念行事で韓国がうるさかった 2005年三一節 記念式でノ・ムヒョン大統領は私のそばにいる女が私の奥さんであるとは皆が分かっているのに敢えてこの人あの人に ¥"が女が私の奥さんです¥"と言う必要があるのかは主旨の発言をした. 独島領有権に関して積極的論争をするよりは静かに実效支配を 強化した方が良いという主旨だった.
ホサカ : そうではない. 韓国人に ¥"独島が私たちの地¥"というのはあまりにも当たり前の事実だから今更何の根拠と論争がピルヨハゲッヌンがだと思うかも知れないがそれは韓国人ばかりのつもりだ. 国際社会では緻密な論理と根拠を持って独島が韓国地という事実を説得させなければならない. 世界世論に対する広報前という側面で誰が先に進んでいるかを冷情に言ったら残念ながら日本が韓国に先に進んでいる. 去る 2008年アメリカ地名委員会が独島の主権を ¥"未指定¥"と表記したこともあったが, イギリスと ドイツ など大部分の先進国でも日本側の論理がずっとよく食われているようだ.
例えば, 去年漢陽大学校で ヨーロッパ 各国の中・高等学校社会科 教師 25人を対象で独島問題に関する 2時間の講義をした事があるのに幾多の質問攻勢のため講義を進行しにくい位だった. これら質問の大部分は日本側論理によることだったしこれをいちいち駁するために大変なほどだった. それ位に日本の広報前は緻密だ.
しかしこんな状況は独島領有権に関する韓国の論理と根拠が不実とか薄弱真書ではない. 私たちが持った論理と根拠を土台で積極的な対応をしなかったからだ. 今でも日本側の主張に積極対応したら韓国の滞る理由が全然ない.
プレ試案 : それなら独島領有権に関する歴史的事例たちを一つずつ察してみたらと思う. 先に日本最初の近代政府だと言える 明治政府で 1877年発表した ¥"大政官ジリョングムン¥"について調べよう. この大政官ジリョングムンは独島領有権と係わって韓国側に非常に有利な内容を記していると言うのにどんな内容か?
ホサカ : ¥"大政官¥"は明治政府当時日本の最高権力機関だった. 早い話が日本内閣の電信だと見られる. ところでこの大政官が 1877年東海内 ¥"竹島(竹島) 外一刀(外 一島)は日本と関係がない¥"と, 独島が朝鮮領土という事実を認めた事がある. そしてその結論を 文書で整理した. それが ¥"大政官ジリョングムン¥"だ. (ここで竹島は 鬱陵島を, 外一刀は独島を示す. 当時には鬱陵島を竹島と呼んだのだ.) すなわち, 鬱陵島と独島は日本領土ではなく韓国領土という事実を日本政府が公式認めたのだ.
日本政府はこの文書を絶対公開しない. 大部分の日本学者たちも大政官が独島を ¥"日本領土外¥"で認めた公式文書が存在するという事実に対してほとんど言及しない. 日本の独島領有権主張に絶対的に不利だからわざわざ隠蔽しているのだ.
プレ試案 : 大政官指令お問い合わせ内容は今も有效だと言ったがどんな点でそうなのか?
ホサカ : 大政官は 1885年に廃止されたが大政官が発汗法令などは 1889年に公布された ¥"大日本帝国憲法(明治憲法)¥" などによって法的效力が今まで維持されているからだ. 例えば明治憲法には違憲ではない一大政官の下った法令は皆有效だという主旨の名文規定が入っている. また 1946年施行された日本国憲法にはこれに対する名文規定がないが明治憲法から命令事項になっていたものなどは憲法に違背されない限り命令の效力があると解釈されていて今も有效だということが分かる.
去る 2006年 9月 <連合ニュース>わ私は ¥"大政官ジリョングムン¥" 複写本を日本政府と自民党, 民主党, 公明党, 社民党, 共産党などに送りながら明治政府が ¥"独島は日本領土外にある¥"と決めたのに対してどう思うかどうかを問った. これに対して共産党だけが好意的な答を送った.
共産党は独島が日本領土という前提の下に竹島が日本に編入された 1905年は日本が韓国を侵略する過程だったということを認めるという内容が込められた メールを送った. 自民党では答が来なかったから私たちの方で直接 電話をかけたら自民党側担当者はその文書は独島が日本外にあると言っただけ, 朝鮮地とは言わなかったと神経質的な反応を見せたと言う. 一方, 日本政府は2ヶ月以上回答を延ばしている途中 2006年 11月初旬くらい ¥"大政官指令お問い合わせ存在は分かっている. この問題に対しては現在 調査 中であり現時点では返事することができない¥"は貧乏たらしい返事を送った.
2009年 1月には日本国会で分かりなさい 他で 当時総理に ¥"大政官ジリョングムン¥"に対する質のがあった. これに対して分かりなさい総理はこの問題は領土問題なので返事することができないと返事を回避した. あれほど ¥"大政官ジリョングムン¥"は日本の独島領有権主張に致命的な弱点であることだ. 現在日本は ¥"大政官ジリョングムン¥"が一般国民に知られないようにこの文書の自由閲覧を事実上禁止させている.
プレ試案 : 日本は 1905年島根県に独島を編入させた. 日本は当時朝鮮政府がここに抗議をしなかったしこれは島根県編入を 国際法上見逃したことなのでこの措置が有效なことだと主張する. そしてこれを独島領有権主張の主要根拠で立てている.
ホサカ : 日本内閣は 1905年 1月 28日独島を 名前もいなくて(無名) 主人もないし(無主地) 人も住まない無人島で規定して独島を島根県に編入させることに決めた. 隣近Oki島の 漁夫 Nakaiヨザブでが 1903年から独島で 移住日 2年間ガングチザブイをしながら独島を 経営したから ¥"茂朱だ先行獲得(先占)¥"の条件を取り揃えたというのだ. これによって独島を元々鬱陵島の日本名前だった竹島で名付けた後に(当時まで独島の日本名前はMatsushimaだった) 島根県に編入すると決めたし, 2月 22日編入措置が取られた. 日本政府は独島が仕事をしたのではないということを大政官ジリョングムンを通じて分かっているのに終えるのも上になかった全然新しい島であるように無影, 茂朱だ, 無人島だと言いながら ¥"茂朱だ先行獲得¥" 原則を立ててこのような措置を取ったのだ.
このような措置に対して今まで韓国は次のように駁して来た.
第一, 大韓帝国が 1900年の勅令 41号で独島を石刀(石島)という名前で鬱陶だね(鬱陵島) 管轄に銘記したので独島は茂朱誌ではなかった. 第二, Nakaiヨザブでは独島で移住したのではなく 1年に二つ三つの回 2週位とどまっただけでこれを実效支配の根拠にすることができない. 第三, 1906年 3月鬱陶軍需シムフングテックが独島の仕事をした地になったという話を聞いて ¥"本郡(鬱陶だね) 所属独島¥"と言いながら独島が鬱陵島所属なのをはっきりと記録に残した. 第四, 独島は カイロ 宣言に言及されたように ¥"貪欲と暴力に略取された地¥"なので韓国に返還されなければならない. 五番目, 1905年当時は日本が韓国を侵略する過程だったからが韓国が日本の措置に抗議することができなかった.
特に終わり, 独島の島根県編入は日本の韓国侵略過程で起った事だという点を強調する必要がある. 韓国はその頃日本の侵略を受けていた. それで当然日本に抗議することができなかったのだ. しかし日本はこんなに言う.
乙巳條約は大韓帝国が他の国と条約を結ぶ時日本が介入するという意味で, 韓国が日本して 対話ができないことは絶対なかった. いつも日本と大韓帝国は話し合うことができた. 独島問題は日本と韓国の間にあった問題だから抗議する時間が少なくとも 4年間はあった.
しかし実際では当時韓国は絶対日本に抗議することができなかった. 高宗は日本に直接抗議がする事ができなかったから密使と密書を通じて日本の侵略行為を告発した. 1907年 6月に開かれたヘイグ平和 会議で日本の野慾を迂迴的に糾弾したのがそうだ. 日本がいくら話し合うことができたと主張しても実際ではそのようにする事ができなかったという重要で象徴的な 証拠だ. ところで私たちはこの部分に対して論理的深みが弱い. そんな内容も今度本に収めた.
プレ試案 : 日本が主張する 1905年に島根県が独島を強制編入した部分で大韓帝国が 效果敵に駁することができるにもそんなことができなかったから私たちのだという論理が現在国際社会に通用していることか?
ホサカ : 現在まではそうだったが細細しく反駁をすれば全然問題にならない. 私たちはそこに対して細細しい反駁を実際にして来なかった. 日本の主張は減らず口に過ぎないが私たちの論理的対応自体も安易だったということで見られる.
プレ試案 : 独島領有権に関する国際法的根拠という側面で日本との平和条約である サンフランシスコ 平和条約は韓国に非常に不利なことに認識されている. この条約で独島が韓国領土という点を認められることができなかったのみならずアメリカは独島(竹島)が日本領土という立場を表明したことと知られているのに….
ホサカ : 当たる, 今まではそれほど知られている. 実際に日本外務省は ¥"竹島問題¥"という ウェブサイトに ¥"竹島問題を理解するための 10種 ポイント¥"という パンフレットをあげてこの点を大きく広報している. 10種ポイントの中で第7項を見るとサンフランシスコ平和条約基礎過程で韓国は日本があきらめなければならない領土に竹島(独島)を含ませるように要求したんですが, アメリカは竹島(独島)が日本の管轄の下にあると言ってこの要求をゴブヘッスブニダだとなっている.
日本が独島領有権主張の悲壮の武器に立てていることがいわゆる ¥"ラスク書簡¥"だ. この文書は 1951年 8月 10日米国務省 極東担当次官補ディーンラスクが韓国政府に送ったことで主要内容は次のようだ.
(…) 独島または竹島ないしリアングクルアム(岩)と知られた島については, 通常武人(無人)であるこの岩島は私たちの情報によれば朝鮮一部に取り扱いされたことが決してないし, 1905年頃から日本の島根県Oki島支庁の管轄にある….
一言でアメリカは独島が日本管轄であることと判断しているという話でアメリカが日本との平和条約作成過程で日本便を聞き入れたのだ. このラスク書簡は独島問題の真正な始発点ともできる. ところで韓国は今までこれに対して明瞭な反駁を出していることができなかった状態だ. それで世界人々は独島が歴史的には韓国のかも知れなくても国際条約という側面では仕事をしたのが迎えるのがアニンがだと思っている. それが現在状況だ. ここに対して確固な対応策を立てなければ世界の論理はずっと日本便に行くでしょう. 論理というのが恐ろしくて無力以上の力を持っている. これを完壁に乗り越えなければならない. そのようにだからより一層この本を書いたのだ.
こんな状況の中でイギリスはアメリカにだけ平和条約下書き作成を任せることができないと言って独自のイギリス下書きを作成して 1951年 4月にその下書きを公開したがこのイギリス下書きには独島がはっきりと韓国の領土で記載していた. こんな過程を経って 1951年 6月 14日 ¥"2次英米合同下書き¥"が用意されるのに韓国領土条項はこれで最終確定される.
その内容は日本は韓国の独立を承認して 済州も, 巨文島, 鬱陵島を含んだ韓国に対するすべての権利, 権原(権原), そして 請求圏をあきらめるということで独島は含まれることができなかった. しかし独島が韓国領土下書きに含まれなかった理由に対して英米両国は ¥"とても明瞭にしてしまえば日本人に 心理的な圧迫を与えるから¥"と連合国会議で説明した.
すなわち, 独島が日本領土になったという話はイギリスやアメリカ側から出なかった. この時までの流れで見る時連合国は圧倒的に独島は韓国領土で主張したしアメリカだけ独島が日本領土だと主張したのだった. 結局独島が韓国領土という意見が世界の大勢だったことだ.
しかし第2次世界大田終戦以後ずっと韓国領土で認められた独島が対日平和条約 6次下書きから日本領土という主張が出始めたことはアメリカ政府の日本政治顧問官だった ¥"ウィリアムJ時ボールド¥"という人のためだった. この人は知日派で日本女性と 結婚もした. その後J時ボールドは独島が日本領土で記載するようにアメリカ政府に対してしつこく要求した. 結局, 日本便に止まったJ時ボールドによって独島領有権問題は予想できなかった 方向で動くようになったのだ.
一方, 平和条約当事者ではなかった韓国は下書き作成過程に対する情報が十分ではなかった. それで最初韓国領土に銘記された独島が最終案で抜けた事実を一歩遅れて分かった. 韓国政府は当時駐米韓国大使だったヤングユチァンせりふを通じて 1951年 7月 19日韓国の独島領有権を平和条約下書きに明示してくれとアメリカ国務省に要請するようにした. しかし, 問題は韓国大使館で独島の位地図まともに分からなかったというのだ.
アメリカ国務省顧問だったダラスせりふが独島がどこにあるか?と位置を聞いた時韓国大使館の書記官は鬱陵島近くにあると思うと曖昧に返事した. 当時駐米韓国大使館は竹島が独島の日本名前というのも分からなかった. アメリカや連合国立場(入場)では独島という名前自体が分からなかったから独島が竹島というのも分かるあてがなかった. 韓国大使館の下手な措置が問題を起こしたのだ. 正確な位地図分からない島に対して何の措置を取ることができるという話か.
こんな状況で平和条約に関する連合国極東委員会会議が開かれた 1951年 8月 7日ディーンアチソンアメリカ国務長官はダラスせりふに送った書簡で地理学者だけではなく韓国大使館でも独島の位置を確認させてくれることができない. こんな状況でこの島に対する韓国主権を確かにしてくれと言う韓国の要求を考慮しにくいと明らかにしたし, 三日後の 8月 10日ラスク書簡が韓国政府に伝達したのだ.
サンフランシスコ平和条約に独島条項が含まれない一方, アメリカ政府の高位管理が ¥"独島は日本地¥"という主旨の書簡を韓国政府に送った, これが日本が独島領有権を主張する決定的武器になったわけだ. しかし日本政府と日本国民がそのように盲信する ¥"ラスク書簡¥"にも致命的欠陷がある.
が書簡の内容はアメリカ一国だけの意見で国際的合意や公認を受けたのではないというのだ. 連合国たちの 討論は 1951年 6月 1日付けで終わったし, その結果 ¥"2次英米合同下書き¥"は 6月 14日作成された. 独島を韓国領土条項に含ませてくれと言う韓国の要求が申し立てられた 7月 19日以後連合国たちが集まってこの問題を論議したという跡はない. 結局 ¥"ラスク書簡¥"はアメリカが一方的に韓国の要求を聞き入れることができないという立場を伝達したことであるだけ, 連合国皆が合議した事項でもなかったから結局国際法的效力があることで見られない.
それにアメリカはこの書簡を韓国政府にだけ秘密裡に伝達した. すなわち, 当時には国際社会がアメリカ政府のこのような立場(入場)が分かることもできなかったし, 唯一するように分かっている韓国政府がこのようなアメリカ政府の立場を 収容したという証拠もない.
例えば 1954年アイゼンハウアー大統領特使で韓国, 日本など東アジアを巡回したバンフリットせりふは帰国 報告書でこの島(独島)に対する合衆国の立場は大韓民国に秘密裡に通報されたが我々の立場(入場)はまだ公表されたところがないと明らかにした. またこれより先立って 1953年 7月 22日作成されたアメリカ国務省文書(ボメスト 覚書き)にはこの立場(入場)(独島が日本領土というアメリカ立場(入場))は今まで一番(回)も日本政府に正式で伝達したことがないと言いながらもし独島問題で韓日両国が紛争に突入した時合衆国は最大限この紛争で抜けるのが望ましくて日本がアメリカ政府に対して仲裁を要請する場合これを断らなければならないと勧告した.
結論的に ¥"ラスク書簡¥"は独島が日本地なのを他の連合国と合議した文書ではなかったから平和条約上国際的に公認された文書で見られないという話だ. 一方, 当時アメリカは独島問題が領土紛争に秘話する場合国際司法裁判所に回付するのが望ましいという立場を韓国政府に非公式的に伝達したことと知られた.
プレ試案 : しかし 国内では独島問題を国際司法裁判所に持って行く場合私たちに非常に不利なことと思っている. 一方日本は自分たちが国際司法裁判所行を提案したが韓国が応じていないという式で宣伝戦を広げているのに….
ホサカ : 独島問題を国際司法裁判所で解決する方案は 1965年 6月 22日締結された韓日基本条約で事実上放棄された. 当時韓国と日本は基本条約を仕上げるために両国の間に紛争が起きる場合その解決方法を合議した ¥"紛争処理に関する交換 公文書 議定書¥"というのを作ったが, ここにはまず独島という名称が途中で削除されたのみならず, どんな紛争が起きても両国の間の外交努力, または (第3国による) 調整で解決する事になっている.
当時日本は仲裁による解決も提案したがこれは韓国によって受け入れられなかった. 仲裁は多数決による決定を紛争当事者が受け入れなければならないが調整は紛争当事者の裁量によっているので拘束力がないのだ. 結局調整という解決策には国際司法裁判所を通じる解決策が含まれていないので ¥"紛争処理に関する交換公文書議定書¥" 締結を通じて日本は事実上国際司法裁判所提訴を独島問題の解決策から除いたことで見られる.
具体的内容は今度本 <大韓民国独島>に詳しく出ている. 一つ明らかなことは韓日基本条約が締結される当時日本ではこの条約締結で独島を事実上あきらめたことだという見解が広く広がっていたというのだ. 例えば日本の代表的新聞人 <朝日新聞>は 1965年 6月 22日付け ¥"竹島(独島) 問題, 締め切りに追い回されて譲歩¥"という副題下の記事で次のように指摘した.
(…) あれほど制限時間が優先視されてそれに合わせるために日本側がよほど無理を片面が多い. 竹島(独島)はその例だ. 日本側はその間 ¥"多くの懸案一括解決¥"という基本的立場に立って国際司法裁判所に提訴することを主張したが, 韓国側が 全面敵に反対したから第3国斡旋, 調整で態度を変えてもっとそれを緩和して ¥"その前段階で外交交渉を置く¥"はのにまで譲歩した. (…) これでは韓国側が竹島(独島)は韓国領土という態度を 見地する限り, 実際に紛争を解決することができる見込みは極めて少ないと言うのざるを得ない.
したがって独島問題を国際司法裁判所で解決しようという日本の要求は韓日基本条約が締結されるによって事実上消滅したのだ. ところで多い韓国人たちは ¥"独島問題が国際司法裁判所に行けば韓国が勝つことができるか¥" して不必要な心配をしている. まるで日本政府がまだ国際司法裁判所作を要求していることのように思っている. しかしこれは錯覚だ.
1965年韓日基本条約締結後に日本が独島問題の国際司法裁判所行を韓国政府に公式要請したことが一番(回)もない. そんな提案をすれば韓日基本条約違反素地があるからだ. 一部日本学者や市民たちが国際司法裁判所行を主張しているがそこまで気を使う必要はない. もし韓国政府が韓日基本条約締結過程を綿密に分析したら国際司法裁判所行に対する不必要な心配をしなくても良かったはずだ.
プレ試案 : 韓日基本条約締結で日本が事実上国際司法裁判所による独島問題解決をあきらめたし, ひいては独島自体もあきらめたことに違いないという話をしたが, しかし日本政府は相変らず独島領有権を主張している. どんなイユエソか?
ホサカ : 1965年韓日修交以前まで日本は毎年 ¥"韓国が独島を不法で占拠しているという内容の抗議を送ったが韓日基本条約締結以後何年間は抗議書を送らなかった. そうするうちに 1970年代以後野党の攻勢に滞って, 特に 1970年代後半から 200海里嶺南して時対価始まって独島の 経済敵 価値が大きくなりながらまた領有権主張を強化して出たのだ.
プレ試案 : これからどんなに対応しなければならないし, どんなに解けて行くことで見るか?
ホサカ : 外交通商部を含めて北東アジア歴史財団のような公信力あるサイトに独島領有権に関する韓国の具体的論拠たちをずっとあげなければならない. 必要な部分は積極的に広報をしなければならない. 現在独島問題に関する両国の公式 インターネット ウェブサイトを比べて見ると日本側の根拠と論理が韓国側に比べてずっと緻密だ.
例えば, 日本は自国に不利な事項の中で大政官指令文科島根県編入(日帝侵略行為) など 2項目に対してだけ沈黙を守っている一方韓国は ¥"ラスク書簡¥"とか ¥"国際司法裁判所回附問題¥" ¥"バンフリット帰国報告で¥" などおおよそ 7個項に対して何らの対応をしていない.
こんな状況なら外部人の目に韓国が滞ることと見えるしかない. 実際に冷情に言って韓国側論理より日本側論理を受け入れる世界人たちがもっと多い. 国家も同じだ. 結局, 韓国側論理が日本側論理よりもっと世界的に認められることができるように努力しなければならない. 日本は独島の領有権主張が確かに国家戦略で席を取ったように見える. 目標は独島を基点にする排他的経済水域を確保するのだ.
現在日本民主党政府では独島問題が大きく問題になるように見えない. しかし, 民主党政権が弱いと言うのが問題だ. これからもっと保守的な政権が立ち入ったら独島問題を巡った 葛藤がもっと増幅されることもできる. また, 民主党政権の下でもやっぱり独島問題を強化させていることが事実だ. 私たちはそんなことに備えて最小限の文書作業などをして行かなければならない. 遊んだのを整理して確保するのだ. どうしてこんな基礎作業をしないのか分からない. あまり 感情敵に対抗した側面がある. 戦略的な高麗をしなければならない時である.
一部では広報もしてはいけないと言う人がいる. こちらの武器をそちらに見せてくれる体たらくになるというのだ. すべて出す必要もないが, 日本側論理を駁するほどの論理は出さなければならない. 世界国々は資料を見ながら判断するのだ. 韓国では私たちだけ独島が私たちの地で分かって守って行けば良いと思う人もいる. これはあまり安易な考えだ. 世界に独島が韓国のだと認めなければならない. とても極端的に話せば見れば ¥"独島は日本領土なのに韓国が不法占領している¥"と多くの国々が分かっている.
プレ試案 : ホサカ教授は今は韓国で帰化したが元々は日本人だった. 独島研究のような作業に対して日本で批判はないか?
ホサカ : 私の名前を日本名前で日本サイトに入れて見れば批判文がとても多い. しかし, その中でまた評価してくれる人々もいる. 私の論拠が一面妥当だと思ってくれるのだ. こんな式で論理的接近をして行かなければならない.
プレ試案 : これからの計画は?
ホサカ : 去年 <国史独島>わ今年 <大韓民国独島> 発刊で独島に対する大きい理論(grand theory)は一応仕上げされたと思う. これからは 1998年韓日新語業協定など独島と係わる具体的事項をもっと綿密に追跡して見ようと思う.