日本軍は、1945年に砲撃してきたソ連の重砲4門を、応戦した1門で撃破しています!
韓国軍もがんばってください!
重砲隊は四嶺山の南側に10cm加農砲1門と15cm加農砲1門の陣地を構築し、敵上陸部隊の打撃を与えるように準備すると共に、15cm加農砲にはカム チャッカ半島のロパトカ岬にソ連軍が配備している重砲4門に対応するよう準備していました。しかし、この15cm加農砲は50kgの重量の弾丸を26km の遠距離まで射撃できるという当時の最新兵器で、機密扱いされていたため、終戦の詔勅が下されると、すぐ射撃諸元表等の機密書類は焼却してしまいました。 ソ連軍が上陸を開始すると、ロパトカ岬のソ連軍重砲が射撃を開始してきたので、濃霧のため観測困難でしたが、15cm加農砲の小隊長は覚えていたロパトカ 岬のソ連軍重砲に対する射撃諸元により射撃を開始しました。しかし1門だけの同一諸元での射撃では効果が薄いと判断し、射距離と射撃方向を少しずつ変化さ せて地域射撃の効果が得られるような方法で射撃を継続しました。これにより我方の射撃の効果が現れ、ソ連軍の重砲射撃の間隔が長くなり、遂には我砲弾がソ連軍の火薬庫に命中しました。折から霧が薄くなってきたので、この爆発音と火炎が上がるのを我観測所で確認しています。この結果、それ以降はロパトカ岬の 重砲は一発も射撃してきませんでした。この重砲はわずか1門の砲でソ連軍の4門の重砲を壊滅させたのです。10cm加農砲はロパトカ岬を射撃するには射程 が不足するため上陸部隊に対して射撃し、多大の損害を与えました。
(活躍した96式十五糎加農砲(平成17年9月の現状)の側面・正面写真)
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