さて、日本人は様々な資料を持ち多角的に物事を考え結論を導き出します。
ですから、脳弱奇無知(キムチ)のような愚行を犯さずに済んでいる訳ですね。
では、具体的に資料を提示して、脳弱奇無知(キムチ)を教育してあげましょうw
三国史記(百済本紀)
*397年夏五月.王は倭国と友好関係を結び,太子の腆支を人質として倭に送った.
*402年五月.使者を倭国につかわして,大きな珠を求めた.
*403年春二月.倭国の使者が来たので王は彼を迎えて慰労し特に厚く遇した。
*405年腆支太子は倭国にて訃報を聞き,哭泣し帰国する事を請う.
倭王兵士百名を伴わせ護送.
[日本書紀]には日本は百済の王子を人質にとり,その王子は故国を偲んで泣き暮らした,と書いてある.
三国史記(百済本紀):日本書紀=一致w
三國史記 卷第二十五 百済本紀第三 阿王
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokushiki/kudara/250317gen.htm
三國史記 卷第二十五 百済本紀第三 腆支王
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/sangokushiki/kudara/250318gen.htm
日本書紀-第10巻-応神紀
http://www.j-texts.com/jodai/shoki10.html
《応神天皇16年(乙巳285)是歳》
是歳。百済阿花王薨。天皇召直支王謂之曰。汝返於国以嗣位。
-訳-
是歳。百済阿花王薨
この年、百済のAKA王が死んだ
天皇召直支王謂之曰
天皇が直支を呼んで言った
汝返於国以嗣位
お前は、国に帰って葬式をしなさい。
仍且賜東韓之地而遣之。東韓者。甘羅城。高難城。爾林城是也。
宋書 倭国伝-任那存在の証拠
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku15/souwa242.jpg

一番左の行に任那の記述
倭国が都督として、百済、新羅、任那を任されていた事が
書かれていますね。
さて、百済の王仁博士は、どこに[文字を朝貢]に行ったのでしょうか?
七支刀が倭に朝貢された訳ですが、それが日本に有るのは何故でしょうか?

脳弱奇無知(キムチ)は、無理をして自爆するのがKJ名物ですけど。
どうして学習できないのでしょうかね?
やっぱり、人類未満…なのでしょうねw