↑ 脱解王陵 / 慶北慶州市冬天洞. 史跡第174号. 新羅第4代脱解王の御陵.
元々の称号は 脱解尼師今(脱解尼師今)だ. 姓は石(昔)だ. 竜成局(竜城国)の王と 嫡女国(積女国)の王女の間に生まれた卵がひつに盛られて漂流している途中 BC 19年(朴赫居世 39) アジンポ(阿珍浦:迎日)で一老婆が発見, 育てたのが後に脱解王になったという説話が伝える.
8年(南海王 5) 王の壻になって 10年大宝(大輔)に上がって軍国情事(軍国政事)を引き受けて見た. 57年 儒理王が死ぬと先王(先王) 南海王の遺言によって王位に上がった. 即位後百済をよく攻撃したし, 日本とは和親した. 65年冷え(始林)で キム・アルジ(金閼智)を得て冷えることを桂林(鶏林)と改称して国号で情と株(州)に株主(州主), 軍(郡)に君主(郡主) などの官職を新たに作った. 77年硫酸陣(黄山津)から伽揶(伽耶)と争って大きく勝った. 御陵は量定(壌井:競走北)にある.