関東大震災の当時、東京にいた朝鮮人の数、およそ9千人。(労働者6千人、学生3千人。)
横浜と東京近辺の県にいた朝鮮人の数、3千人。
あわせて1万2千人。
夏休みで学生が帰郷したのが-2千2百人。(東京1800人、東京近郊400人)
差し引いて大震災当日、東京とその近郊にいたと思われる朝鮮人の数、9千8百人。
↓ 以下、生存が確認された朝鮮人の数。
深川あたりから避難してきた朝鮮人の数、-3千人。
9月3日~4日ごろ横浜で、
「朝鮮人が震災に乗じて殺人、強姦を行い、井戸に毒を入れようとした」という新聞記事がでた。
横浜では、朝鮮人-2千人あまりが、略奪と強姦をくりかえし、監獄を脱走した囚人と看守の戦いが繰り広げられていた。
品川では、横浜方面から鉄砲や日本刀で武装した朝鮮人-300人が押し寄せ、朝鮮人が、爆弾を投げて大暴れ。
住民が防戦するうち、朝鮮人と間違われて殺された日本人も大勢いた。
大正10年11月4日 原敬 首相、暗殺される。
・・・すくなくとも関東近辺にいた朝鮮人の総数9千8百人中、5千3百人の朝鮮人は生存が確認されていますね。
9800-5300=3500人
関東大震災の地震での犠牲者は多く見積もっても、3千人以下だと思いますね。
「三国人の暴動」と記録される朝鮮人暴動によって、多くの日本人犠牲者が出ました。
そのことを隠し、加害者が被害者として印象付けようと朝鮮人が考え出したのが「朝鮮人大虐殺」。
朝鮮人のいう関東大震災当時における日本人の虐殺事件とは、じつは日本人が多く被害にあった歴史的真実でした。