韓国の列車事故は日本の無責任のせい
http://www.idomin.com/?mod=news&act=articleView&idxno=504509南道民日報(韓国語) 2016.3.28

1945年8月15日、我が民族は夢に描いていた光復を迎えた。我が民族を強制的に統治した日本人はこの地を急に去った。鉄道と列車を運営した日本人が一斉に消えたため、朝鮮人がその場所を引き受けた。
しかし、日本人たちは、本当に文字通り何も教えずに無責任に韓国を去った。鉄道庁にいた朝鮮人たちは、日本人の下っ端の使い走りに過ぎなかった。彼らは鉄道を運営・維持・管理するあらゆるノウハウを学ぶ機会もなかった。その結果、解放直後から1946年末まで、ほぼ毎日列車事故が起こった。米国軍政の厳格な統制で、言論に報道された物はそのうちのごく少数に過ぎなかった。

最も多い事故は、路線の調整に失敗して起こった列車間の正面衝突事故であった。1945年9月、永登浦駅で通勤列車2台が正面衝突した。正確な犠牲者の数は公開されていないが、数百人が死んだという。 永登浦駅では翌年11月にも作業中の電車と列車が正面衝突し、火災で42人が死んだ。
大邱駅でも1945年の列車の正面衝突事故で、機関車が相手側の客車4両に乗り上げた。やはり数百人が死んだ。1946年にも大邱駅で大惨事が起きた。 通過するトンネルの中で、媒煙で乗客たちが窒息死をして、不良整備で列車が脱線するなど、解放直後の朝鮮半島はそれこそ「列車大乱」だった。少なくとも数千人がこの「列車大乱」で犠牲になった。
解放直後に起きた「列車大乱」は、日帝が作った近代施設は朝鮮の近代化とは全く無関係だという事を証明している。 近代施設は収奪の道具であり、朝鮮人たちの存在理由は、ただ日帝が必要とする末端だけを満たせてくれればよかった。 日帝の植民支配で近代化がなされたという人々に聞かせたい話だ。
