夕張とともに127年、JR支線廃止 市民ら黄色いハンカチとペンライト
04/01 00:28 更新
最終列車出発前、報道陣の写真撮影に応じるJR新夕張駅の田渕浩二駅長。列車出発後、涙をぐっとこらえた=31日午後7時30分、JR夕張駅
線路沿いの民家の窓には「ありがとう さようなら」と大きく書いた紙が張り出された。亡き夫が好きだった窓から列車を見送りたいという家主の女性らがハンカチを振った=31日午後4時15分、夕張市末広(いずれも野沢俊介撮影)
大勢の人が黄色いペンライトを振って見送る中、JR夕張駅を出発する最終列車=31日夜、北海道夕張市
【夕張】JR石勝線夕張支線(新夕張―夕張、16・1キロ)は31日、夕張駅を午後7時34分に出発した最終列車で運行を終え、127年の歴史に幕を下ろした。石炭輸送のため開通した後、炭都・夕張の盛衰とともに歩んできた。最終運行日、沿線は終日、夕張の往時を思わせるにぎわいを見せ、満員の列車が山あいのまちを駆け抜けた。「ありがとう」―。感謝の思いを込めて黄色のハンカチを振る市民の声が各駅に響いた。
沿線には、早朝から多くの鉄道ファンが訪れた。夕張駅の日めくりボードには「0」の表示。駅前のホテル従業員三ツ山佳織さん(31)が1年前に取り付け、最終運行日までの日数を毎日、めくった。「とうとうこの日が来てしまいました」
夕張支線は1892年(明治25年)開通した。石炭輸送を担ったが、炭鉱衰退と過疎化で乗客は減少。2017年度の輸送密度(1キロ当たりの1日平均輸送人数)は69人と1980年比で約25分の1になった。2016年、夕張市が代替交通に向けた協力を条件に廃止を提案し、JRと合意。昨年3月、JRが「単独では維持困難」とする10路線13区間のうち初めて廃止・バス転換が正式決定した。
それでも、夕張の市民には、日本の近代化を支えた石炭と輸送を担った鉄道に、誇りと愛着がある。主婦野尻千佳子さん(73)は夕張の最盛期の石炭列車を「何十両も連なって、力強く煙を吐いていた」と懐かしそう。パート渡辺恵さん(35)は小学生と幼稚園児の3人の娘と、最後に列車に乗った。「この子たちに故郷の歴史や鉄道を忘れないでほしいですから」。夕張駅で、JRが開いた「お別れセレモニー」では、祖父母が駅隣で喫茶店を営む夕張高生の宮岸由海(ゆかい)君(17)が「鉄道があったから道内外の人に会えた。これから高校生の力で夕張を盛り上げる」と決意を込めた。
約500人を乗せた最終列車は、定刻を6分遅れて夕張駅を出発した。「ブオーー」。ひときわ大きな汽笛が鳴った瞬間、見送りの市民が「ありがとう」と声を響かせた。黄色いハンカチが揺れ、ペンライトが、満員の車内を照らし出す。
ハンカチは、夕張が主舞台の映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」にちなみ「また来てね」「待っている」の意味を込めている。市内の主婦本間輝子さん(78)はホームで、ハンカチを手に涙ぐんだ。「新婚旅行、一人旅。列車に乗ったさまざまな場面が浮かんできて…。『私たちハンカチを振る夕張のお母さんたちのことを忘れないで』と一生懸命ハンカチを振りました」
夕張出身の双子デュオリリーズの燕(つばめ)奈緒美さん、真由美さんは、最終列車を見送るため急きょ、東京から駆け付け、夕張駅で最終列車を見送った。清水沢駅前の電器店で生まれ育ち、石炭を積んだ貨車の数を数えて遊んだ。奈緒美さんは「今まで頑張って走ってくれて感謝したい」。2人は夕張の未来を思い、乗客にこう声をかけた。「線路がなくなっても、また来てね」
夕張支線のほぼ中間にある南清水沢駅では、簡易委託駅長の村上美知子さん(70)が「長い間ありがとう。夕張を覚えていてね」と、最終列車の乗客に声をかけた。JRから委託されて16年間、切符販売や駅の管理をしてきた。傍らには、村上さんが交流を続けてきた道内外の鉄道ファンや地元住民約40人。
村上さんは、休日も窓口に座る。温かなもてなしは全国の鉄道ファンの間で有名だ。最終日に駅を訪れた埼玉県の医師須藤佳昭さん(60)は「寒い日にお茶を出してくれるなど温かくしてもらった。『いい思い出をありがとう』と言いたい」と話した。村上さんは列車を見送ると「ありがとう。忘れません」とつぶやき、愛着のあるホームとレールにそっと日本酒を注いだ。(吉田隆久、藤田香織里)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/292016
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どちらも石炭輸送で始まった路線なのね。
時代だねぇ。
( ´・ω・)

