|┏ω┓・`)ノ ども。umibozeですよ。
先日ドライブに出掛けたときのお話をば。
翌日の目的地の天気を確認してみると、朝の9時頃までは曇り、それ以降は晴れとなる模様。
( `・ω・´)逝ってみるか。
まずは旭川で数ヶ月ぶりに散髪。このとき、ここ一年ほど利用していた(安い)床屋が5月中に閉店してしまうと聞いて軽く衝撃を受ける。今後は札幌まで髪を切りに行かなきゃならないのか。
散髪後、軽くお買い物を済ませて19時頃ドライブ再開。しばらく走ると、道路脇に風呂屋が見えた。HPをググってみると、23時まで営業している様子。
( ´・д・)さっぱりして行こうか。襟元も何だかチクチクするし。

てなわけで駐車場に車を止めて店内へ。

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本日の営業時間は終了致しました。
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営業時間の変更と臨時休館のご案内
平素は当館をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。この度の緊急事態宣言に伴い、下記の通り営業時間を変更させていただきます。(中略)
5月18日(火)~5月31日(月)まで
平日 浴場 10:00~20:00
※最終受付19:00
土曜・日曜 終日休館
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( ゜д゜)
ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン
さっぱりと出来ないまま、悶々としつつドライブ継続。
富良野の街に20時過ぎに着いたら、ろくな店が開いていないので、山岡家で遅めのディナーを済ませる。

『新型コロナまん延防止のため不要不急の外出は自粛を』
南富良野の道の駅に22時過ぎに到着。ここで車中泊と洒落込む。

ここも臨時休業ですか。さすがに便所は使えるけど。
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道の駅で迎えた朝。お空はどんより雲に覆われてる。


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南富良野町物産センター臨時休業のご案内
新型コロナウィルス感染拡大による緊急事態宣言の発令に伴い、感染拡大防止のため臨時休業いたします。(以下略)
休業期間
5月16日(日)~5月31日(月)
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朝の5時過ぎにドライブ再開。国道38号を進む。
根室線の幾寅駅。いつぞやの台風被害から復旧を放棄されて、不通になってからもう何年経つんだろう。

この駅舎は、映画「鉄道員(ぽっぽや)」のロケに使用されたもので、駅舎内にはその際の資料を展示していますよ。

『緊急事態宣言発令中のため 閉館中』
( ´-д-)
駅前には、映画に使用されるために改造され、更には同期(?)の仲間がまだ現役で頑張って北海道中を走り回っている中、早々に退役させられ胴体をぶった切られて晒し者にされた可哀想な40。


『緊急事態宣言発令中のため 閉館中』
( ´-д-)
ドライブを再開し、狩勝峠の手前で車を停め、オモチャを取り出して遊んでみる。
遊んでいると、雨がぱらついてきましたよ。・・・そんな天気予報だったか?
雨が降ってきたから、とりあえず車で新得側の線路跡を走ってみようかと乗り入れてみると、道に無数の枝が張り出していて鬱陶しい。この大柄な車で乗り入れるべきじゃなさそうだな。
とりあえず、狩勝隧道の新得側出口まで行ってみた。

( ´・д・)なるほど。
この時点で時刻は8時前。もうそろそろ天気が良くなるはず・・・なんて思っていると、雨はどんどん酷くなってくる。何故だ?
仕方ないので、狩勝峠の駐車場で雨が収まるのを待つ。
( ´-д-)2時間以上経ってようやく雨が収まった。
少し車を移動して、長靴に履き替えて路外を歩いて行く。

目の前に川が現れた。
横切って進んで行く。

目の前に開けた土地が現れた。

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官設鉄道十勝線(旧狩勝線)狩勝信号場
狩勝信号場は峠の落合側に設けられた上り方に引き込み線2線と下り方折り返し線1線を持つ信号場です。
信号場は単線区間において、列車の行き違いを行う為に設けられた客扱いしない駅です。
周囲には商店、学校等は無く駅員9家族、堡船員21家族の30世帯が生活し、列車や鉄路を守っていました。
昭和41(1966)年10月1日、落合-新得間の新線切替で廃止されました。
2009年2月に経済産業省より近代化産業遺産として旧狩勝線が認定されました。
2009年11月に土木学会推奨土木遺産に選定されました。
新得町役場産業課
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( ´・д・)峠の稜線からこっちは南富良野町のはずなのに、新得町が看板を立ててるのか?
ちなみに、余所のサイトから勝手に持って来た構内配線略図はこんな感じ。

落合方へ歩いてみる。

煉瓦造りの橋と石造りの橋が隣り合ってる。素材の違いは、作られた時期が違うんだろうか。
こっちは引き込み線の跡。

落合方の本線跡の路盤は、車が通れるような感じで結構長く残ってる。

あまり先に進んでも、
さんに出会ったりしたら嫌なので、適当なところで引き返す。
新得方を見ると、倒木が行く手を阻んでいる。

狩勝隧道。当然のように立入禁止。

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官設鉄道十勝線(旧狩勝線)化理解隧道(落合側)
馬蹄形の断面をした煉瓦造による単線隧道です。明治34(1901)年、海抜644年の狩勝峠直下の狩勝隧道の工事が着手されました。
工事は、掘削地の岩質が一定せず、また固い岩層に突き当たったり、予想を超えた湧水にはばまれ1日30cm~90cmしか掘削できない日も多く、難工事で開通までに3年半を要し、明治38(1905)年1月に完成しました。
その後、大正11(1922)年に36mの延長工事があり954mになりました。
このルートは北海道の東西を結んだ大動脈として北海道の防備、開拓、発展に大いに寄与しました。隧道と併行する折り返し線(172m)は岩盤を掘削して敷設され豪雪対策として当時日本で唯一の雪覆いが設けられていました。
昭和41(1966)年10月1日、落合-新得間の新線切替で廃止されました。
新得町役場産業課
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トンネルは煉瓦造り。中にはヒカリゴケ。


湧水のせいなのか、ところどころ煉瓦が崩れてきている。
トンネルの脇、折返し線の跡。

木々が生え放題。湧水で足下グチャグチャ。奥まで進む気には到底なれず。路盤の脇には、レールを利用した柱をぶった切った跡が等間隔で並んでいて、これが雪覆いの跡かな。
( ´・ω・)10倍速くらいにしたら、列車の前面展望っぽく見えるかも。

建物の基礎らしき痕跡。苔むした蓋と、その脇に建つ筒。これは・・・今どき街では見かけないねぇ。

蓋の無い方には水が溜まっていた。まさか、中に人が落ちてるって事はないべな。

昔の便所は、冬になると寒さで便槽の水が凍るからウンコがどんどん積み上がって、便器の高さまで積み上がったウンコを突き崩してから用を足した、なんて話を聞いたことがあるな。
こっちのコンクリート基礎は、奥が床が高くなっていて、側面に縦に並ぶ穴が2つ。ということは、こっちに釜があって、向こうには、

やっぱり湯船か。ここは共同の風呂場だったのかな。

(;´・д・)こんな山の中、本来なら人が住むような場所じゃないからな。どんな生活をしていたのやら。
狩勝旧線の新内駅跡の狩勝高原エコトロッコ鉄道。自作の電車や足漕ぎトロッコを体験できる施設ですよ。


『次の運行日 5/29(土)』
( ´・д・)ここは土日だけだったか。

狩勝隧道は上り列車に対して上り勾配になっていて、列車の動力がSLメインだった時代に、機関士や機関助士が窒息しないように新得方の出口に風を遮るための昇降幕を設置して、上り列車がトンネルに入る度に保線社員が幕を下ろしていたそうで、おそらくその作業をしている写真。足下が突っかけなのが気になる。
狩勝を堪能した跡はドライブ再開。新得の街の手前にあるそばの館でランチ。


「カレーそば」(850円)。

( ´・ω・)満足。
上士幌の道の駅。


「しほろ牛ハンバーガー(単品)」(680円+袋代3円)。
道の駅しほろ温泉。


( ´-ω-)足湯♪
本別の道の駅。ここは国鉄・JR池北線、三セクちほく高原鉄道ふるさと銀河線の本別駅跡。廃止当時の駅舎を使用して、ホームや線路があった場所を埋めて駐車場にしていますよ。

ここに車を停めて、南側に少し歩く。

本別川橋梁までもうすぐ。

本別川橋梁。廃止から15年経つのに、まだ残してあるんだね。
この本別方の橋台は煉瓦造り。

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本別川橋梁(百年鉄橋)
橋梁の歴史
1908(明治41)年に建設され、1910(明治43)年9月に網走線が開通して以来、ふるさと銀河線が廃止となった2006(平成18)年4月までの97年間、本別町の鉄道の歴史とともに歩んできた鉄橋。橋台にレンガを使用した工法は、現在ほとんど施工されず、貴重な鉄道遺産といえる。橋げたは1966(昭和41)年に架け替えられ、1974(昭和49)年に塗り替えられているが、橋台は現在まで昔懐かしい姿を残している。
本別空襲
太平洋戦争末期の1945(昭和20)年7月15日午前8時ころ、本別町は米軍機による空襲を受けた。死者40人、全焼家屋279戸、体は家屋112戸、罹災者1915人。これは十勝で最大、北海道でも函館・室蘭・根室・釧路に次ぐ5番目の被害であった。約50分間の銃爆撃で街は三日三晩燃え続け、爆音は近隣の町にもとどろいたという。
橋台に残る銃弾痕
レンガ製の橋台には、空襲で受けた傷が残っている。
本別空襲の爪痕を、忘れること無く後世に伝え残すために、保存・公開しています。
平和を語りつぐまち・本別
本別町では、この本別川橋梁という、町内に残る数少ない戦争跡地を残し、戦争の時事st宇・悲惨さ、そして、平和を語りついでいきます。
この跡地が、本別町歴史の中の戦争の重みを物語っています。
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( ´-д-)鬼畜米軍は、こんな田舎の小さな町まで空襲して非戦闘員を殺戮したんだねぇ。野蛮だねぇ。
レンガ製の橋台。


男根弾痕。

橋の上を歩くことは出来ず。残念。
~ 以上 ~