基本的に(一つ、参考の投稿を足す等しています)、2013年の1月の後半に行った投稿の再掲で、彼女(私の今の彼女。以下、彼女と書きます)と、2013年の1月の上旬に、浅草(asakusa)の、浅草(sensou)寺に、初詣(hatsumode)に行って来た時の物です。ちなみに、この時、彼女と付き合って、初期の頃で、私は、まだ、30代の後半の初期、彼女は、10代の大学生でした。
1月の上旬に、浅草(asakusa)の、浅草(sensou)寺に、初詣(hatsumode)に行って来た時の物です。初詣(hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。
東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持しています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街であると共に、隣りの有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。
それでも、浅草(asakusa)は、今でも、上野(ueno)と共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、昔の東京の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物店等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。
写真以下6枚は、借り物写真ですが(写真以下3枚は、日本の旅、鉄道見聞録→
http://www.uraken.net/rail/と言うsiteから借りて来た写真)、銀座(ginza)線(下の補足説明参照)の、歴代の車両。銀座(ginza)線は、1927年に開業した、アジアで、最初の地下鉄(主に、地下を走る鉄道)路線です
銀座(ginza)線:路線距離14.3km。東京都心部の、中南西部(渋谷(shibuya)・表参道(omotesando)・青山(aoyama)等)と中北東部(上野(ueno)・浅草(asakusa)等)を、東京都心部の中でも、中心的な地域(銀座(ginza)・日本橋(nihonbashi)等)を経由して結ぶ地下鉄路線。

1000系。1927年に、銀座(ginza)線の開業と共に、デビュー(debut)した車両です。当時、最先端であった、打子式の、ATS(自動停止装置)を備えていました。第二次世界大戦後まで、活躍しました。

100系。1937年にデビュー(debut)した車両です。やはり、第二次世界大戦後まで活躍しました。

2000系。1959年にデビュー(debut)した車両です。1984年に01系がデビュー(debut)してから、徐々に、廃車が進み(車両の置き換えが進み)、1980年代後半には、01系に、主力車両の座を譲りましたが、第二次世界大戦後、長い間、銀座(ginza)線の主力車両でした。私が、幼い頃、銀座(ginza)線と言えば、この車両であったので、個人的に印象が強い車両です(私は、幼い頃から、乗り物に、広く浅く興味があります)。

01系(向こうに見える高架を走っている地下鉄車両)。1984年にデビュー(debut)した(試作車は、1983年にデビュー(debut))、現在の、銀座(ginza)線の主力車両です。写真は、銀座(ginza)線の、渋谷(shibuya)駅(一方の終点駅。ちなみに、もう一方の終点駅は、浅草(asakusa)駅))付近の写真です。銀座(ginza)線は、渋谷(shibuya)駅の部分だけ、地上と言うか、地上よりも、高い場所を走りますが、それ以外の部分は、全て地下を走ります。銀座(ginza)線は、東京で、最初に開業した、地下鉄(主に、地下を走る鉄道)路線なので、東京の、地下鉄(主に、地下を走る鉄道)の中で、全般的に、(おそらく)、最も、浅い地下を走っています(地下鉄(主に、地下を走る鉄道)は、一般的に、新しく開業した路線程、(他の地下鉄(主に、地下を走る鉄道)路線等の邪魔にならない為)、地下深く(深い地下を)、走ります)。

新1000系(写真の作者。Toshinori baba)。写真は、同じく、渋谷(shibuya)駅付近の写真。去年(2012年)にデビュー(debut)した、銀座(ginza)線の、最新の形式の車両です。デザイン(design) は、1927年に、デビュー(debut)した1000系車両をイメージした物となっています。日本では、近年(特に最近は)、近代のデザイン(design)を、再評価する流れにあります。今後、徐々に、01系車両との置き換えが進められ、2016年までに、全て、01系車両と置き換えられ、銀座(ginza)線の、全ての車両が、新1000系車両となる予定です。

工場で完成してから、輸送中の、新1000系車両(2011年。写真の作者。Sui-setz)。
写真以下8枚。銀座(ginza)線の、浅草(asakusa)駅。1927年に、銀座(ginza)線の開業と共に開業した、とても古い地下鉄(主に、地下を走る鉄道)駅です。
写真以下7枚。銀座(ginza)線の、浅草(asakusa)駅にて。。。

写真以下3枚。アジアで最初の、地下鉄(主に、地下を走る鉄道)、即ち、現在の、銀座(ginza)線の、開業に関する、(1927年の)新聞記事の展示。



写真以下2枚。アジアで最初の、地下鉄(主に、地下を走る鉄道)、即ち、現在の、銀座(ginza)線の、開業時の、ポスター(poster)(1927年)の展示。


ちなみに、第2次世界大戦前には、既に、(日本の2都市を含む)世界の15都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていました。以下、第二次世界大戦前に、既に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業していた、世界の15の都市、開業順に(()内は、開業年)、イギリスのLondon(1863年)、ハンガリーのBudapest(1896年)、イギリスのGlasgow(1896年)、アメリカのBoston(1898年)、フランスのParis(1900年)、ドイツのBerlin(1902年)、アメリカのNew
York(1904年)、アメリカのPhiladelphia(1907年)、ドイツのHamburg(1912年)、アルゼンチンのBuenos
Aires(1913年)、スペインのMadrid(1919年)、スペインのBarcelona(1924年)、日本の東京(1927年)、日本の大阪(1933年)、ロシア(当時は、ソビエト連邦)のMoscow(1935年)。第二次世界大戦前に、既に、国内の、複数の都市で、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が走っていた国は、世界でも、アメリカ(3都市)、イギリス(2都市)、ドイツ(2都市)、スペイン(2都市)、日本(2都市)の、五カ国だけでした。スウェーデン(1950年に、Stockholmに、地下鉄が開業)、カナダ(1954年に、最初の地下鉄が、Torontoに開業)、イタリア(1955年に、最初の地下鉄が、Romeに開業)、オランダ(1968年に、最初の地下鉄が、Rotterdamに開業)等に、地下鉄(主に地下を走る鉄道)が開業したのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、韓国の方は、ご存知の方もいると思いますが、韓国で、最初の地下鉄(主に地下を走る鉄道)は、香港(1979年に開業)とシンガポール(1987年に開業)に、先んじて、1974年に、ソウルに開業しました。
写真以下2枚。その他、古いポスター(poster)の展示。
写真以下2枚。三越(Mitsukoshi)(下の補足説明参照)の、1910年代のポスター(poster)。デザイン(design)は、何れも、杉浦
非水(suguiura
hisui。1876年生まれ。1965年に亡くなる。特に、1910年代から1930年代に活躍(1910年に、三越(Mitsukoshi)の図案(design)主任となる)。近代日本を代表するグラフィックデザイナー(graphic
designer)の一人。1906年から1965年に亡くなるまで、渋谷(shibuya)区に居住)。
三越(Mitsukoshi):日本で最もbrand力のある、デパートchainの一つ。1673年に、東京で創業。本店は、東京の日本橋(nihonbashi)(江戸(edo)時代(17世紀)から、東京を代表する商業地)にある日本橋(nihonbashi)店。東京に基盤を置く。

1914年。三越(Mitsukoshi)の、日本橋(nihonbashi)本店の新館(1914年の完成当時、スエズ運河(Suez Canal)より東で、最大の、(近代)建築と言われた)の完成の、ポスター(poster)。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店に関する参考の投稿。
東京の歴史のあるデパート他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3822748/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2

1915年。
写真以下3枚(借り物写真)は、おまけ。。。かつて、浅草(asakusa)に存在した、近代建築の搭、凌雲閣(ryounkaku)。1890年に完成(開業)した、観光用のタワー(tower)で、東京で最初の、近代・現代建築の、高層且つ、観光用の展望台が付いた、搭(tower)です。設計は、イギリス人が行いました。12階建て、高さは、約52.4m(約66.7mと言う説もあり)で、1階は、入口(ロビー(lobby)と言った感じかな)、2階から7階は、世界中の(世界各国の)品物を販売する店舗が入り、8階は、休憩室、10階から12階は、展望台となっていました。開業して、しばらくの間(1890年代)は、東京の主要な観光場所の一つとして、とても多くの人々で賑わった様ですが、1900年代に入ると、飽きられ、徐々に、人気を失って行った様です。巨大地震に耐えられる様な、近代建築の設計技術・耐震技術が未熟であった事から、1923年の、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)で、8階部分よりも上が崩壊し(地震発生当時、展望台には、12、3名(12名から13名)がいたが、1名を除き、全員が崩壊に巻き込まれ即死しました。wikiより。。。)、運営していた会社が、復旧を諦めた事から、同年(1923年)、爆破解体処理されました。ちなみに、凌雲閣(ryounkaku)が開業してから、およそ120年後の、現在は、浅草(asakusa)の近くには、東京ski
tree(高さ634m)が、そびえ立っています(もちろん、巨大地震が起きても、大丈夫である為の技術が、投入されています)。




松屋(matsuya)デパート(1869年創業)、浅草(asakusa)店(1931年開店。写真は、借り物で、1931年開店当時の物)。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店は、1931年の開店以来、長らく、庶民の為のデパートとして賑わって来ましたが、長引く不況と、デパートと言う営業形態自体が、時代遅れとなって来た事等から(おそらく。。。)、2010年に、4階以上の営業を休止しました。ちなみに、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店には、日本で最初の、本格的な、デパートの屋上の遊園地が設置されましたが(上の1931年の開店時の写真にも、屋上に、遊園地が見えます)、この、屋上の遊園地も、2010年、4階以上の営業の休止と共に、閉鎖されました。もう一つ、ちなみに、1925年に開店した、松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店(現在の、松屋(matsuya)デパートの本店)は、三越(mitsukoshi)デパートの銀座(ginza)店と、銀座(ginza)のデパートの中で、売上高、1位を争う人気を誇っています(wikiより。。。)。松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店の、現在の建物は、1925年の開店時からの物ですが、内外装に、大きな改装が、加えられており、昔の面影は、ほとんど感じられません(松屋(matsuya)デパート、銀座(ginza)店の、開店当初(1925年から1930年代)の内装は、非常に豪華な物であった様です)。

借り物写真(写真の作者。663highland)ですが、少し前の、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物の姿。松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物は、1931年の開店時からの物ですが、少し前までは、内外装に大きく改装が加えられており、昔の、面影は、あまり感じられませんでした。
松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物は、去年(2012年)、建物を覆っていた、(建物の外観を、現代的に見せる為の)外装材が取り外される共に、かつての(開店時の)姿に、外観が、復元されました。また、同じく、去年(2012年)、2010年から営業を休止していた、4階以上の部分が改装され、新たに、「EKIMISE」と言う、ショピングモール(shopping
mall)としてオープン(open)しました(ちなみに、この日、「EKIMISE」を、初めて、ちょっと覗いて見ました)。

かつての(1931年の開店時の)姿に、外観の復元が完了した、現在の、松屋(matsuya)デパート、浅草(asakusa)店の建物の姿。日本では、1950年代から1980年代において(特に、1950年代から1960年代の、日本の、現代化の過程において)、古ぼけた、時代遅れの物と、見做され勝ちであった、日本の、(西洋式の・西洋の影響を受けた)近代(19世紀後期から1930年代頃)のデザイン(design)ですが、近年(特に最近、東京において)、三菱(mitsubishi)一号館(ichigou
kan)(下の補足説明参照)の復元再建、東京駅(東京を代表する鉄道駅)の駅の建物の開業時(1914年)の姿への復元(2012年完了)、銀座(ginza)線の新1000系地下鉄車両(2012年デビュー(debut))等に見られる様に、近代のデザイン(design)が、再評価される流れにあります(新しい物だけに目を奪われるのではなく、日本(東京)の文化面における歴史を、従来、伝統的な物とされて来た物(近代よりも前の物)だけでなく、近代の物も含めて、大切にしようとする(西洋の影響を受けた、日本(東京)の近代も、日本(東京)の伝統の一つとして、大切にしようとする)動き)。
三菱(mitsubishi)一号館(ichigou
kan):1894年完成。三菱(mitsubishi)財閥(近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)の一つ。現在の三菱(mitsubishi)グループ)が、丸の内(marunouchi)(東京の、古くからの、ビジネス(business)の中心地区。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する。最寄り駅は、東京駅等)に建てた、同財閥(三菱(mitsubishi)財閥の)、初めての、西洋式のオフィス(office)用ビル。1960年代に、現代建築のオフィス(office)用ビルに建て替える為に、取り壊されてしまったが、近年、新しい再開発により、(三菱(mitsubishi)一号館(ichigou
kan)の建物を取り壊し、建て替えた)現代建築のオフィス(office)用ビルを、取り壊し、その跡地に、出来る限り、忠実に復元する形で、再建され、美術館としてオープン(open)した。

神谷(kamiya)bar。1880年創業の、浅草(asakusa)にある、バー(bar)です。長い間、東京の、酒飲み庶民の、社交場として親しまれて来ました。現在の建物は、1921年に建てられた物です。神谷(kamiya)barは、電気ブラン(denki bran)と言う、1882年に誕生した、神谷(kamiya)bar独特の、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)(アルコール(alcohol)度数は、30%と40%の2種類)で、有名で、電気ブラン(denki bran)は、同bar(神谷(kamiya)bar)で、古くから、人気の、飲み物となっています。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
浅草散歩・歴史のある喫茶店他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3926120?&sfl=membername&stx=nnemon2