오선화저
일본과 다른 아시아제국과의 차이의 그것으로 인한 곳은 무엇인가.
그 가장 본질적인 물건을 눈치챈 것은
「일본인의 뇌」(츠노다 타다노부저)이라고 하는 책을 읽었을 때입니다.
내가 일본인을 아무래도 이해할 수 없다고 느끼고 있던 것은
이런 근본적인 감성의 차이의 부분이었던 것이라면
납득이 말했습니다.
유명한 츠노다 이론에 의하면, 일본인과 폴리네시아 제도인만이,
벌레의 소리를 언어뇌(좌뇌)로 (듣)묻고 있습니다.
말하자면, 벌레의 소리를, 인간의 말과 같이 (듣)묻습니다.
이것에 대해, 구미인이나 한국인 등 다른 아시아인은,
벌레의 소리를, 잡음으로서 비언어뇌(우뇌)로 (듣)묻고 있다고 합니다.
여기에 일본인의 감성의 「가장 본질적인 것」을 찾아냅니다.
벌레의 소리를 마치 의미가 있는 말인 것 같이 (듣)묻고 있다
그렇다고 하는 사실안에
일본인의 본질적인 물건이 나타나고 있다고 생각합니다.
즉, 일본인은 자연물이나 자연현상을
인간과 같이 느끼고 있습니다.
이것은 말 있어 돌아가면, 모든 것에 신령이 머문다고 하는,
아니미슴적인 감성입니다.
일본에서는, 그것이 고도로 세련된 형태로 현대에 남아 있습니다.
즉 일본인안에는 아시아적 농경 사회의 전,
일본에서 말하면 죠몽 시대 이전에 자연과 일체화해
살아 있었던 시대의 감성이 현대에 아직 살아 있다.
일본인 특유의 자연관·사회관을 느껴 취하고 있습니다.
일본에서는 자연을 신으로서 인간과 대등의 것이라고 보고 있다.
이것에 대해서 아시아적 농경 사회에는
인간이 자연을 지배해 나갈 방향이 있습니다.
그곳에서는 인간과 자연이 대립하고 있습니다.
그러니까 한국에서는 인간의 생활 공간에 초록이나 연못을 만든다고 하는 발상이 없다.
초록이나 연못은 마을이나 마을로부터 쭉 멀어진 산에 가 보는 것이므로입니다.
그런데 일본인은 집안에 산이나 연못을 만들어 버린다.
일본인은 그것들 자연물과 인간을 대등의 것으로 해 조화시키고,
하나의 우주를 만들고 있습니다.
이러한 독특한 감성을 가지는 일본인은,
물건에 대해서는, 마치 신에 대하도록(듯이) 접하므로
뛰어난 제품을 만들어 내, 또 사람에 대해서는,
상대와의 조화를 무엇보다도 우선적으로 생각
상대와의 일치점을 찾아내려고,
조화가 있는 사회를 낳고 있다고 합니다.
경제 불황이 전해지는 가운데
그 중요한 일본인것 같음을 버리려는 주장도 있습니다만,
막힌 것은 구미적인,
혹은 아시아 농경 사회적인 것이며,
전 아시아 세계를 뿌리에 가진 일본 독자적인 것은
아직 전혀 막히지는 않다, 라고 생각합니다.
앞으로의 일본인에 바라고 싶은 것은,
이 무의식적인 「일본인이든지」의 방식을
자각 의식에 근거해 실천해,
거기에 미래에의 가능성을 찾아내면 좋겠다고 하는 것입니다.
그 일이 나아가서는 일본에의 세계의 오해를 풀어,
또 일본이 세계에 공헌하는 길로 연결된다고 생각합니다.
한국인이 일본인을 이해할 수 없는 이유
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원문보기
韓国人が日本人を理解できない理由
呉善花 著
日本と他のアジア諸国との違いのよってきたるところは何か。
その最も本質的なものに気づいたのは
『日本人の脳』(角田忠信著)という本を読んだときです。
私が日本人のことをどうしても理解できないと感じていたのは
こういう根本的な感性の違いの部分だったのだと
納得がいったのです。
有名な角田理論によると、日本人とポリネシア諸島人のみが、
虫の音を言語脳(左脳)で聞いています。
いわば、虫の音を、人間の言葉と同じように聞くのです。
これに対し、欧米人や韓国人など他のアジア人は、
虫の音を、雑音として非言語脳(右脳)で聞いているといいます。
ここに日本人の感性の「最も本質的なもの」を見出します。
虫の音をあたかも意味のある言葉であるかのように聞いている
という事実の中に
日本人の本質的なものが示されているように思います。
つまり、日本人は自然物や自然現象を
人間のように感じているのです。
これは言いかえれば、すべてのものに神霊が宿るという、
アニミスム的な感性です。
日本では、それが高度に洗練された形で現代に残っているのです。
つまり日本人の中にはアジア的農耕社会の前、
日本で言えば縄文時代以前に自然と一体化して
生きていた時代の感性が現代になお生きている。
日本人特有の自然観・社会観を感じとっています。
日本では自然を神として人間と対等のものと見ている。
これに対してアジア的農耕社会には
人間が自然を支配していく方向があるのです。
そこでは人間と自然とが対立しています。
ですから韓国では人間の生活空間に緑や池を作るという発想がない。
緑や池は町や村からずっと離れた山に行って見るものなのでです。
ところが日本人は家の中に山や池をつくってしまう。
日本人はそれら自然物と人間とを対等のものとして調和させて、
ひとつの宇宙をつくっているのです。
こうした独特の感性を持つ日本人は、
物に対しては、まるで神に対するように接するので
優れた製品を作りだし、また人に対しては、
相手との調和を何よりも優先的に考え
相手との一致点を見出そうとして、
調和のある社会を生み出しているといいます。
経済不況が伝えられる中で
その肝心の日本らしさを捨てようという主張もありますが、
行き詰まったのは欧米的な、
あるいはアジア農耕社会的なものであって、
前アジア世界を根っこに持った日本独自のものは
まだ全然行き詰まってはいない、と思います。
これからの日本人に望みたいことは、
この無意識な『日本人なり』のやり方を
自覚意識に基づいて実践し、
そこに未来への可能¥性を見出してほしいということです。
その事がひいては日本への世界の誤解を解き、
また日本が世界に貢献する道につながると思います。
日本と他のアジア諸国との違いのよってきたるところは何か。
その最も本質的なものに気づいたのは
『日本人の脳』(角田忠信著)という本を読んだときです。
私が日本人のことをどうしても理解できないと感じていたのは
こういう根本的な感性の違いの部分だったのだと
納得がいったのです。
有名な角田理論によると、日本人とポリネシア諸島人のみが、
虫の音を言語脳(左脳)で聞いています。
いわば、虫の音を、人間の言葉と同じように聞くのです。
これに対し、欧米人や韓国人など他のアジア人は、
虫の音を、雑音として非言語脳(右脳)で聞いているといいます。
ここに日本人の感性の「最も本質的なもの」を見出します。
虫の音をあたかも意味のある言葉であるかのように聞いている
という事実の中に
日本人の本質的なものが示されているように思います。
つまり、日本人は自然物や自然現象を
人間のように感じているのです。
これは言いかえれば、すべてのものに神霊が宿るという、
アニミスム的な感性です。
日本では、それが高度に洗練された形で現代に残っているのです。
つまり日本人の中にはアジア的農耕社会の前、
日本で言えば縄文時代以前に自然と一体化して
生きていた時代の感性が現代になお生きている。
日本人特有の自然観・社会観を感じとっています。
日本では自然を神として人間と対等のものと見ている。
これに対してアジア的農耕社会には
人間が自然を支配していく方向があるのです。
そこでは人間と自然とが対立しています。
ですから韓国では人間の生活空間に緑や池を作るという発想がない。
緑や池は町や村からずっと離れた山に行って見るものなのでです。
ところが日本人は家の中に山や池をつくってしまう。
日本人はそれら自然物と人間とを対等のものとして調和させて、
ひとつの宇宙をつくっているのです。
こうした独特の感性を持つ日本人は、
物に対しては、まるで神に対するように接するので
優れた製品を作りだし、また人に対しては、
相手との調和を何よりも優先的に考え
相手との一致点を見出そうとして、
調和のある社会を生み出しているといいます。
経済不況が伝えられる中で
その肝心の日本らしさを捨てようという主張もありますが、
行き詰まったのは欧米的な、
あるいはアジア農耕社会的なものであって、
前アジア世界を根っこに持った日本独自のものは
まだ全然行き詰まってはいない、と思います。
これからの日本人に望みたいことは、
この無意識な『日本人なり』のやり方を
自覚意識に基づいて実践し、
そこに未来への可能¥性を見出してほしいということです。
その事がひいては日本への世界の誤解を解き、
また日本が世界に貢献する道につながると思います。
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