전쟁 전 전시중의 일본 시대에 카라테를 배운 조선인은 모두 어디에 갔어?
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戦前戦中の日本時代に空手道を学んだ朝鮮人はみんなどこへ行ったの?
かつて韓国では日本時代だった頃に、剣道「ケンドー」柔道「ジュウドー」空手道「カラテドー」は学校での教育でも広範囲に行われて多くの空手人口がいた。
近代、松涛館流の空手を元に創作されたのがテコンドーである。
青涛館創立者の李元国(イ・ウォングク)翁など1940年代中後半にテコンドーを広めるのに先頭に立った多くの元老たちが日本でカラテ(主に松涛館流。これは青涛館の命名にもその影響が見て取れる)を修練した人々である。
いまは故人になった青涛館出身のウ・ジョンニム将軍は記者との対話で、「私は空手道(コンスド)をしていて、のちに崔泓煕(チェ・ホンヒ)将軍などが主軸になって名前を変えただけだ」とも言った。
米国テコンドー発展に大きな貢献をしたATAの故イ・ヘンウン会長も、自身がはじめて米国に行ったとき「コリアン カラテ」として自身の武術を紹介して教え、実際テコンドーとカラテの差はなかったと証言した。
これらはすべて、テコンドーという武術がもともと存在せず、カラテを学んだ人々が解放後に道場を開いてカラテの韓国式発音である「空手道(コンスド)」を教え、後になって「テコンドー」という名前を使うようになったことを物語っている。
韓国人に知らされない隠されたテコンドーの歴史
李承晩大統領時代
日韓併合時に日本から伝わった空手は空手道(そのまま日本語読み)、コンスド(空手道の韓国語読み)、タンスド(唐手道の韓国語読み)、拳法など、様々な名称で普及していた。当時の主な道場勢力は以下の通りである。
- 青涛館 (1944年 - )初代館長は李元国(朝鮮戦争時、日本に密航し、「売国奴」として地位は抹殺される)。2代目はユン・ケピョン。
この分館として下記のものが派生した。
- 吾道館 館長は崔泓煕(チェ・ホンヒ)少将。軍隊内で広める。蒼軒流空手と称したこともあるが、李承晩大統領と接し、1955年から「テコンドー」の名称を使い始める。1960年に起きたベトナム戦争時には657名のテコンドー師範を同地に派遣した。また、民間道場とは差別化し、一線を画していた。
- 国武館
- 正道館
- 青龍館
- 朝鮮研武館空手道部智道館(1946年 ) 館長チョ・サンソ¥ク。 柔道道場内に発生。
- YMCA拳法部彰武館(1946年 - ) 館長ユン・ピョギン。のち智道館と親交が厚くなる。この館の分館として講徳院、韓武館等が挙げられる。
- 武徳館 館長黄
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