≪4년전의 교훈이 떠오른다≫
이번 위구르의 대폭동이 일어나기 전, 신강은 팔레스타인과 같이 될 것이라고 예언 한 중국인의 작가가 있었다.그 팔레스타인이지만, 오바마 미 대통령은 이스라엘의 수상으로 향하고, 팔레스타인을 국가로서 인정해 유태인의 팔레스타인에게의 이주를 그만두도록(듯이)라고 권고하고 있다.중국의 지도자에게 똑같이 말하는 것은 언제 의 일이 될 것이다.그런데, 내가 여기에 쓰는 것은 다른 일이다.
주요 8개국 정상회의가 7월 8일부터 열린다고 하기 직전에호금도주석은 이탈리아에서 당황해서 귀국했다.위구르의 폭동에 대한 북경으로부터의 보고를 차례차례로 받은 일이었다.폭동은 진압한, 그런데도 방심은 금물,서미트등 아무래도 좋으면 호주석이 생각한 것은, 왜였는가.
4년전에 샹하이에서는 글자 기다렸다당중앙이 관련되는 권력 투쟁이 호씨의 뇌리를 퇴색할 수 없었었나.북경에 머무르고 있던 온가보 수상이면, 그 4년전의 일이 즉석에서 머리에 떠올랐을 것이다.그리고 4년 앞으로의 현재, 광동에서 이것 또 당중앙이 관여하는 권력 투쟁이 계속되고 있는 것을 이 2명은 알고 있다.호주석과 온수상이, 위기에 직면하고, 멀어져 떨어지가 되어 있어선 안 된다고 하는 교훈을 배운 것이 그 4년전의 사건이었다.
≪샹하이당서기의 체포·실각≫
4년전의 2005년 3월 21일에 유엔의 아난 사무총장이 기자 회견을 행해, 상임이사국을 확대하는 문제에 대해 발언해, 당연히 일본은 상임이사국이 되는 자격이 있다고 말했다.중국 공산당의 그 후의 행동은 민첩했다.일본이 상임이사국이 되는 것을 반대 시키려고 하고, 4월의 초부터, 대학생을 동원하고, 주말에 반일 데모를 행하도록(듯이) 시켰다.
하지만, 가두에 나온 사람들은 당의 지시를 지키려고 하지 않고,데모대는 경관대와 충돌하는 기색이 되었다.당은 당황했다.전국의 대학에 정부의 공무원을 비밀가운데 파견해, 데모를 그만두도록(듯이)라고 호소하게 했다.
온가보 수상은 인도를 방문중이었다.굳이 알아갈 수 있어는, 4월 12일의 기자 회견에서, 자발적인 반일 데모라고 역설해, 청년 학생의 행동은 올바르면 포() 째 기렸다.
이것이 미디어에 실리고, 4월 16일의 주말에는, 각지의 도시에서 데모는 계속되어, 샹하이에서는 8만명의 데모가 되어, 일본 총영사관을 포위, 투석 하는 소란이 되었다.
그 후에 일어난 것은, 그 때에는 해석할 수 없었지만, 곧 되면 분명히 안다.강택민 세력은 호와 온의 팀을 궤() 찬스와 예(에들 ) 응이라든가이다.
친 아키라우샹하이당서기는 산하의 기관지 「해방 일보」에 평의원의 문장을 실어 매스·미디어가 어디도 말하지 않는 것을 말하게 했다.「데모의 배후에 좋지 않은 음모가 있어, 사람에게 말할 수 없는 목적을 숨기고 있다」 데모의 주체가 되는 학생을 분격시켜, 다음의 데모를 과격한 것에시켜, 그야말로 일본계 공장에 눈사태 넣는 큰 폭동에 시킨다.그 후온수상의 무사려인 발언을 규탄해, 그의 책임을 추궁한다고 하는 절차였으므로 있을것이다.
호주석 측에운이 있었다.다음의 데모는 폭동은 되지 않았다.계속되어호진영이 복수(시집)하러 나왔다.다음 2006년 9월에 진당서기는 체포되어 강씨는 그를 구할 수 없었다.작년에 징역 18년의 형을 받았다.
≪강파의 잔당등의 반격≫
오늘, 광동에서 일어나고 있는 권력 투쟁은, 광둥성당서기의왕양씨를 호금도주석이 지원하는 것이다.
왕씨는 호주석의 직계다.순식간에 출세해 왔다.2007년 10월의 17회당대회에서 정치국 위원, 그 해말에중국 제 1의 대성, 광둥성의 당서기.호주석은 왕씨를 다음의 당총재 서기로 결정하고 있는것이다.
2명의 당총재 서기, 강택민과 호금도는 원로의 등소평씨의 지명에 의했지만, 이 앞은 어떻게 해 결정하는 것인가.당중앙 정치국의 멤버로부터 선택되게 되겠지만, 그정치국 위원, 상무 위원들은 중앙위원 전원의 투표로 결정하는 구조는 되지 않았다.
17회당대회가 끝나, 정치국 상무 위원회에 강파의 면면이 줄선 사진을 보고, 차이나·워처는 경악(공학) 했다.친 아키라우씨는 정치국 상무 위원이 될 것은 없고, 실각했다.오직으로 악명 높은 강파의 상무 위원들도 틀림없이 은퇴하자.강세력은 괴멸 했다고 상상하고 있었기 때문이다.실제로는 신정치국 위원과 신상무 위원의 명부를 만든 것은 당대회에 앞서, 강전당총재 서기와 전기의 상무 위원들이었다.
독자도 기억되고 있자.그 해의 초부터 「민주와는 좋은 것이다」의 캠페인은, 민주적인 선거 제도를 당대회에 반입하려고 하는 분위기 구조였다.하지만,호주석의 옆이 졌다.그는 전술을 바꾸었다.
왕당서기의 광둥성의 당의 선거를 민주적인 구조에 변화시켜 이것을 중앙에 반입하기로 했다.그런데 ,광둥성에 남는 강파의 당간부가 철저하게 방해했다.중앙 규율 감사 위원회가 광둥성의 오직을 적발해, 그들을 조준사격으로 한 것은, 이런 (뜻)이유로부터였다.하지만, 「민주와는 좋은 것이다」가 당의 원칙이 되어, 당의 밖에 퍼질지를 아는 것은 아직 앞이다.18회당대회의 개최는 3년 후다.
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090731/acd0907310312000-n1.htm
중국을 움직임은 권력 투쟁에서 보는 것이 정답.
위구르의 그늘에 권력 투쟁 있어
조회수 : 462
JA
255
f671
2,811,753
원문보기
ウイグルの陰に権力闘争あり
≪4年前の教訓が浮かぶ≫
今回のウイグルの大暴¥動が起きるより前、新疆はパレスチナのようになるだろうと予¥言した中国人の作家がいた。そのパレスチナだが、オバマ米大統領はイスラエルの首相に向かって、パレスチナを国家として認め、ユダヤ人のパレスチナへの入植をやめるようにと勧告している。中国の指導者に同じように説くのはいつのことになるのだろう。ところで、私がここに書くのは別のことだ。
主要8カ国首脳会議が7月8日から開かれるという直前に胡錦濤主席はイタリアから慌てて帰国した。ウイグルの暴¥動についての北京からの報告をつぎつぎと受けとってのことだった。暴¥動は鎮圧した、それでも油断は禁物、サミットなどどうでもよいと胡主席が考えたのは、なぜだったのか。
4年前に上海ではじまった党中央が絡む権力闘争が胡氏の脳裏をかすめたのではなかったか。北京にとどまっていた温家宝首相であれば、その4年前のことが即座に頭に浮かんだはずだ。それから4年あとの現在、広東でこれまた党中央が関与する権力闘争がつづいていることをこの2人は承知している。胡主席と温首相が、危機に直面して、離れ離れになっていてはいけないという教訓を学んだのがその4年前の出来事だった。
≪上海党書記の逮捕・失脚≫
4年前の2005年3月21日に国連のアナン事務総長が記者会見をおこない、常任理事国を拡大する問題について発言し、当然ながら日本は常任理事国になる資格があると語った。中国共産党のそのあとの行動は素早かった。日本が常任理事国になるのを反対させようとして、4月のはじめから、大学生を動員して、週末に反日デモをおこなうようにさせた。
だが、街頭にでた人びとは党の指示を守ろうとせず、デモ隊は警官隊と衝突する気配となった。党は慌てた。全国の大学に政府の役人を秘密のうちに派遣し、デモをやめるようにと訴えさせた。
温家宝首相はインドを訪問中だった。なにも知らないかれは、4月12日の記者会見で、自発的な反日デモだと力説し、青年学生の行動は正しいと褒(ほ)めたたえた。
これがメディアに載って、4月16日の週末には、各地の都市でデモはつづき、上海では8万人のデモとなり、日本総領事館を包囲、投石する騒ぎとなった。
そのあとに起きたことは、そのときには解釈できなかったが、いまになればはっきりとわかる。江沢民勢力は胡と温のチームを潰(つぶ)すチャンスと睨(にら)んだのである。
陳良宇上海党書記は傘下の機関紙「解放日報」に評議員の文章を載せ、マス・メディアがどこも言わないことを言わせた。「デモの背後によからぬ陰謀があり、人に言えない目的を隠している」 デモの主体となる学生を憤激させ、つぎのデモを過激なものにさせ、それこそ日系工場になだれこむような大きな暴¥動にさせる。そのあと温首相の無思慮な発言を糾弾し、かれの責任を追及するという段取りだったのであろう。
胡主席側に運があった。つぎのデモは暴¥動とはならなかった。つづいて胡陣営が復讐(ふくしゅう)にでた。翌2006年9月に陳党書記は逮捕され、江氏はかれを救えなかった。昨年に懲役18年の刑を受けた。
≪江派の残党らの巻き返し≫
今日、広東で起きている権力闘争は、広東省党書記の汪洋氏を胡錦濤主席が支援するものだ。
汪氏は胡主席の直系だ。またたくまに出世してきた。2007年10月の17回党大会で政治局委員、その年の末に中国第1の大省、広東省の党書記。胡主席は汪氏をつぎの党総書記と決めているのだ。
2人の党総書記、江沢民と胡錦濤は元老のトウ小平氏の指名によったが、このさきはどのようにして決めるのか。党中央政治局のメンバーから選ばれることになるのだろうが、その政治局委員、常務委員たちは中央委員全員の投票で決める仕組みとはなっていない。
17回党大会が終わり、政治局常務委員会に江派の面々が並んだ写真を見て、チャイナ・ウオッチャーは驚愕(きょうがく)した。陳良宇氏は政治局常務委員となることはなく、失脚した。汚職で悪名高い江派の常務委員たちも間違いなく引退しよう。江勢力は壊滅したと想像していたからだ。実際には新政治局委員と新常務委員の名簿をつくったのは党大会に先立ち、江前党総書記と前期の常務委員たちだった。
読者も記憶されていよう。その年のはじめから「民主とはよいものである」のキャンペーンは、民主的な選挙制度を党大会に持ち込もうとする雰囲気造りだった。だが、胡主席の側が負けた。かれは戦術を変えた。
汪党書記の広東省の党の選挙を民主的な仕組みに変えさせ、これを中央へ持ち込むことにした。ところが、広東省に残る江派の党幹部が徹底して妨害した。中央紀律検査委員会が広東省の汚職を摘発し、かれらを狙い撃ちにしたのは、こういう訳からだった。だが、「民主とはよいものである」が党の原則となり、党の外へ広がるかどうかがわかるのはまださきだ。18回党大会の開催は3年あとだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090731/acd0907310312000-n1.htm
中国を動きは権力闘争から見るのが正解。
今回のウイグルの大暴¥動が起きるより前、新疆はパレスチナのようになるだろうと予¥言した中国人の作家がいた。そのパレスチナだが、オバマ米大統領はイスラエルの首相に向かって、パレスチナを国家として認め、ユダヤ人のパレスチナへの入植をやめるようにと勧告している。中国の指導者に同じように説くのはいつのことになるのだろう。ところで、私がここに書くのは別のことだ。
主要8カ国首脳会議が7月8日から開かれるという直前に胡錦濤主席はイタリアから慌てて帰国した。ウイグルの暴¥動についての北京からの報告をつぎつぎと受けとってのことだった。暴¥動は鎮圧した、それでも油断は禁物、サミットなどどうでもよいと胡主席が考えたのは、なぜだったのか。
4年前に上海ではじまった党中央が絡む権力闘争が胡氏の脳裏をかすめたのではなかったか。北京にとどまっていた温家宝首相であれば、その4年前のことが即座に頭に浮かんだはずだ。それから4年あとの現在、広東でこれまた党中央が関与する権力闘争がつづいていることをこの2人は承知している。胡主席と温首相が、危機に直面して、離れ離れになっていてはいけないという教訓を学んだのがその4年前の出来事だった。
≪上海党書記の逮捕・失脚≫
4年前の2005年3月21日に国連のアナン事務総長が記者会見をおこない、常任理事国を拡大する問題について発言し、当然ながら日本は常任理事国になる資格があると語った。中国共産党のそのあとの行動は素早かった。日本が常任理事国になるのを反対させようとして、4月のはじめから、大学生を動員して、週末に反日デモをおこなうようにさせた。
だが、街頭にでた人びとは党の指示を守ろうとせず、デモ隊は警官隊と衝突する気配となった。党は慌てた。全国の大学に政府の役人を秘密のうちに派遣し、デモをやめるようにと訴えさせた。
温家宝首相はインドを訪問中だった。なにも知らないかれは、4月12日の記者会見で、自発的な反日デモだと力説し、青年学生の行動は正しいと褒(ほ)めたたえた。
これがメディアに載って、4月16日の週末には、各地の都市でデモはつづき、上海では8万人のデモとなり、日本総領事館を包囲、投石する騒ぎとなった。
そのあとに起きたことは、そのときには解釈できなかったが、いまになればはっきりとわかる。江沢民勢力は胡と温のチームを潰(つぶ)すチャンスと睨(にら)んだのである。
陳良宇上海党書記は傘下の機関紙「解放日報」に評議員の文章を載せ、マス・メディアがどこも言わないことを言わせた。「デモの背後によからぬ陰謀があり、人に言えない目的を隠している」 デモの主体となる学生を憤激させ、つぎのデモを過激なものにさせ、それこそ日系工場になだれこむような大きな暴¥動にさせる。そのあと温首相の無思慮な発言を糾弾し、かれの責任を追及するという段取りだったのであろう。
胡主席側に運があった。つぎのデモは暴¥動とはならなかった。つづいて胡陣営が復讐(ふくしゅう)にでた。翌2006年9月に陳党書記は逮捕され、江氏はかれを救えなかった。昨年に懲役18年の刑を受けた。
≪江派の残党らの巻き返し≫
今日、広東で起きている権力闘争は、広東省党書記の汪洋氏を胡錦濤主席が支援するものだ。
汪氏は胡主席の直系だ。またたくまに出世してきた。2007年10月の17回党大会で政治局委員、その年の末に中国第1の大省、広東省の党書記。胡主席は汪氏をつぎの党総書記と決めているのだ。
2人の党総書記、江沢民と胡錦濤は元老のトウ小平氏の指名によったが、このさきはどのようにして決めるのか。党中央政治局のメンバーから選ばれることになるのだろうが、その政治局委員、常務委員たちは中央委員全員の投票で決める仕組みとはなっていない。
17回党大会が終わり、政治局常務委員会に江派の面々が並んだ写真を見て、チャイナ・ウオッチャーは驚愕(きょうがく)した。陳良宇氏は政治局常務委員となることはなく、失脚した。汚職で悪名高い江派の常務委員たちも間違いなく引退しよう。江勢力は壊滅したと想像していたからだ。実際には新政治局委員と新常務委員の名簿をつくったのは党大会に先立ち、江前党総書記と前期の常務委員たちだった。
読者も記憶されていよう。その年のはじめから「民主とはよいものである」のキャンペーンは、民主的な選挙制度を党大会に持ち込もうとする雰囲気造りだった。だが、胡主席の側が負けた。かれは戦術を変えた。
汪党書記の広東省の党の選挙を民主的な仕組みに変えさせ、これを中央へ持ち込むことにした。ところが、広東省に残る江派の党幹部が徹底して妨害した。中央紀律検査委員会が広東省の汚職を摘発し、かれらを狙い撃ちにしたのは、こういう訳からだった。だが、「民主とはよいものである」が党の原則となり、党の外へ広がるかどうかがわかるのはまださきだ。18回党大会の開催は3年あとだ。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/090731/acd0907310312000-n1.htm
中国を動きは権力闘争から見るのが正解。
좋아요·댓글을 남기려면 로그인해 주세요.
댓글 ( 3 )