일본의 무가 사회 성립을 지도해 가마쿠라막부의 성립에 큰 역할을 완수했다(http://coreatrue.exblog.jp/4909405)
고려도 역사 중(안)에서 정치체제는 변천해서 갔습니다만, 국체는 유지하고 있었습니다.
그렇지만, 1200년 이후의 몽골의 확대에 의해 큰 압박을 접수
어쩔 수 없이 몽골의 부하가 된다고 하는 굴욕을 맛보았습니다.
(몽골이 한민족 국가의 하나라고 하는 주장을 하는 학자도 있습니다만,
도저히 믿을 수 없네요)
그 중에 코마왕충렬왕등은 바탕으로 충성을 맹세한 체를 하면서, 찬스를 기다리고 있었습니다.
원래의 일본에의 야망을 충렬왕은 걱정해, 일본에 대한 원래의 압력 외교를 방해를 하고 있었습니다.
그 중에 원래는 드디어 일본 침공을 결정해, 고려에도 참가를 명했습니다.(문장 긴 역 )
충렬왕은 입장은 있었습니다만 일본을 걱정해 가마쿠라막부 측에원의 침공을 비밀리에 연락했습니다.
한층 더 충렬왕은 파견군에 방해 부대를 잠복하게 했습니다.
그리고, 풍우가 조금 강한 날에 방해 부대는 봉기 해, 파견 부대의 배에 공작을 실시해 바다의 것도 쓰레기로 했습니다.
이것에 의해, 철퇴하지 않을 수 없게 되어, 일본은 구해졌습니다.
그리고, 충렬왕은 가마쿠라막부에 대해서, 방루가 쌓아 올리는 어드바이스나, 무기의 개량 어드바이스를 전한다
사자를 몇번이나 비밀리에 보내 했다.
원래는 재차의 침공을 결정해 또 고려에 참가를 명했습니다(홍안의 역 )
충렬왕은 전회와 같이, 방해 부대를 잠복하게 해 똑같이 풍우가 강한 날에 봉기 시켜
배의 대부분을 가라앉혔습니다.
이것에 의해 일본은 또 구해졌습니다.
역대 코마왕의 일본에의 배려에 의해, 일본은 오래 살아 현대의 일본이 있는 것을
가끔 생각해 내 주세요.
원구로부터 일본을 구한 고려
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zainichisan
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元寇から日本を救った高麗
日本の武家社会成立を指導し鎌倉幕府の成立に大きな役割を果たした(http://coreatrue.exblog.jp/4909405)
高麗も歴史の中で政治体制は移り変わっていきましたが、国体は維持していました。
しかしながら、1200年以降のモンゴルの拡大により大きな圧迫を受け
仕方なくモンゴルの配下になるという屈辱を味わいました。
(モンゴルが韓民族国家の一つというような主張をする学者もいますが、
とても信じられないですね)
その中で高麗王忠烈王らは元に忠誠を誓ったふりをしながら、チャンスを待っていました。
元の日本への野望を忠烈王は心配し、日本に対する元の圧力外交を妨害をしていました。
その中で元はとうとう日本侵攻を決定し、高麗にも参加を命じました。(文永の役)
忠烈王は立場はありましたが日本を心配し鎌倉幕府側に元の侵攻を秘密裏に連絡したのです。
さらに忠烈王は派遣軍に妨害部隊を潜ませました。
そして、風雨が少し強い日に妨害部隊は蜂起し、派遣部隊の船に工作を行い海のもくずとしたのです。
これにより、撤退せざるをえなくなり、日本は救われたのです。
そして、忠烈王は鎌倉幕府に対して、防塁の築くアドバイスや、武器の改良アドバイスを伝える
使者を何度も秘密裏に送りました。
元は再度の侵攻を決定しまた高麗に参加を命じました(弘安の役)
忠烈王は前回と同じく、妨害部隊を潜ませ、同じように風雨の強い日に蜂起させ
船のほとんどを沈めたのです。
これにより日本はまた救われたのです。
歴代高麗王の日本への思いやりにより、日本は生きながらえ現代の日本があることを
時々思い出してください。
高麗も歴史の中で政治体制は移り変わっていきましたが、国体は維持していました。
しかしながら、1200年以降のモンゴルの拡大により大きな圧迫を受け
仕方なくモンゴルの配下になるという屈辱を味わいました。
(モンゴルが韓民族国家の一つというような主張をする学者もいますが、
とても信じられないですね)
その中で高麗王忠烈王らは元に忠誠を誓ったふりをしながら、チャンスを待っていました。
元の日本への野望を忠烈王は心配し、日本に対する元の圧力外交を妨害をしていました。
その中で元はとうとう日本侵攻を決定し、高麗にも参加を命じました。(文永の役)
忠烈王は立場はありましたが日本を心配し鎌倉幕府側に元の侵攻を秘密裏に連絡したのです。
さらに忠烈王は派遣軍に妨害部隊を潜ませました。
そして、風雨が少し強い日に妨害部隊は蜂起し、派遣部隊の船に工作を行い海のもくずとしたのです。
これにより、撤退せざるをえなくなり、日本は救われたのです。
そして、忠烈王は鎌倉幕府に対して、防塁の築くアドバイスや、武器の改良アドバイスを伝える
使者を何度も秘密裏に送りました。
元は再度の侵攻を決定しまた高麗に参加を命じました(弘安の役)
忠烈王は前回と同じく、妨害部隊を潜ませ、同じように風雨の強い日に蜂起させ
船のほとんどを沈めたのです。
これにより日本はまた救われたのです。
歴代高麗王の日本への思いやりにより、日本は生きながらえ現代の日本があることを
時々思い出してください。
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