そうだ. 私がコラム非我大学で学んだ日本史の中でどんな部分は今日本政府の認可を受けて出版された歴史教科書では見られない内容だ.
セムスン驚異芸術文化史分野の師匠で思った人がすぐ東北(東北)大学の福井リキチで(深井陸次郎) 教授だ. 福井教授は “15世紀足利幕府時代のすぐれた水墨画が大部分が韓国人だ. 彼らは朝鮮時代の仏教弾圧でお寺が逼迫受けるとこれ以上お寺に寄り掛かることができなくなったあげく日本に渡って来た韓国の仏教美術家”という大胆な主張を広げた学者だ.
私はこのイギリス人日本史学者から日本歴史の非常に敏感な部分である初期古代史と 1910年以後戦争を含んだ現代史過程を学んだ. 現代史部分はまだその時を証言する人々が生きている. ところで初期古代史は 1930年代日本が世界の征服者を夢見てミリタリズムを膨脹させた基底に活用されただけ重要な部分だ. したがって日本政府は 2次世界デジョン寺をまた書く瞬間にも自国の建国基礎になった古代史で目をはなすことができないのだ.
712年に被せられた ‘古事記’は過去文字記録が不可能だった時歴史の中王の政治功績と英雄談を子子孫孫下がって歌のように覚えて歌った内容を編集したのだ. 韓国のパンソリのような類型だ. 日本が過去どうして韓国のパンソリを抹殺しようと思ったのかを見当をつけることができるでしょう.
文字に記録された最初の歴史は 620年成徳太子と彼の叔父と同時に権力家である蘇我牛馬して(蘇我馬子)の合作に編纂された. 蘇我牛馬してからは韓国人子孫で日本内最高軍事権力者が出来た人だ. しかし 645年蘇我家門が権力を失うようになると彼が書いた歴史書たちも不吉の中に投げられた. 伝える話ではその本の一部が不吉の中で引き上げられたと言う.
二番目歴史編纂はデンム(天武) 日王の時試みされた. 当時長年の歴史を皆憶える臣下が一人いた. 彼が憶える昔話を皆字で記録しなさいという任務が学者に与えられた. しかし天皇がすぐ死んで次の台に移るようにどんな進捗がなかった. 結局 712年に来てからこそ口伝歴史を古事記で編纂したしこれが実存する最古(最古)の日本歴史書になった.
が本はわき目にもしまりがなく見える. それでもこの本で韓国人たちの驚くべきな威力を立証する跡を捜すことができる. 韓国が日本に及ぼした影響はあまりにも圧倒的なのだからこれを完全に隠すことは不可能だったのだ. 臣下一人が憶えて解いておいた昔話は多分純粋日本語だったろう. それから 29年の作業結果出た古事記は純粋漢文で被せられたのだった. その作業がいくら難しかったのか充分に見当がつく. またいくら不正確なことかも見当をつけることができる.
[#4] “日本が好きだが信頼しない”
“メケンジ. 彼もひとときは日本に友好的だった. 彼が書いた張お問い合わせ文が東京の新聞に報道されて彼のすぐれた能力に感謝する社説が載せられた事がある. ところで彼が朝鮮が処した暗たんたる現実を悟るようになった以後日本でそれに対する評価は一朝一夕に ‘黄色ジャーナリスト’という軽蔑的なことに変わった.”(レンスルロッロスンの ‘極東の帝国たち’ 中で)
“メケンジは宣教師ではない外国人中唯一に日本のヨシチァル人物になってソウルから田舍でスムオドルオッヌンデ, その所で日本人たちがやらかす仕業を自分の目で直接確認するようになった.” (E. J ハリソン)
メケンジが二つの目で直接見たことは何で何だと文を残したのか. まさに日本が新たに出した歴史書が偽りだらけなのを確信するようにしてくれるのだ. 日本が ‘韓国を助けようと’ やらかした韓日強制合邦に対する彼の批判は日本教科書論争がしばらくである今日(1982年) おもしろい読み物だ. ここに引用して見る.
“日本は韓国人を押えつけて馬鹿にすることで殖民政治を始めた. 民(民)と融合しなくては立派な行政をはかることができない. 頑なに統治して侮辱を与えるのに融化は不可能だ. 日本人たちは韓国人の国家的以上を破壊して, ずいぶん前から伝われた慣習と様式を根を絶って, いくらでもただでこき使うことができる劣等な存在で作るのに熱をあげた.
ところで日本は自分を過大評価して韓国人を過小評価した. 外交と社会分野で日本は全世界をまるで子供であるように扱った. 日本人は精一杯美化して韓国人は無能力な人種で思うように洗脳した. 窮極的に日本政府の教育を受けた人々は日本文明が世界一番だと信じるようになった. 韓国人はどうにもこうにも益体もなくてただ労動力搾取対象である劣等人間で対した.
そうして日本は朝鮮を展示場で作る計画を立てた. 建築物を功たちよ立てて鉄道を敷設して国家経済力は無視したまま施設を支えて行った. しかし大部分の韓国人たちは利用することができないものなどで, ただ日本人だけが接近可能とか外国人たちに誇示するためのことだった. 日本は韓国人が考えをして魂を持った存在という事実も忘れた. 未成年者たちは殴って, 大人たちは監獄に行かせて厳罰を下げて責め立てることで皇国臣民になりなさいと忠誠を強要した.
1919年 3・1運動は日本が反逆者たちを育てて来たことを自覚するようになったきっかけだった. ここに韓国文化をすっかり殲滅して日本語を気経に学ぼうとしない韓国人たちをしめつけてへこました.”
メケンジは日本巡使がどんな家でも勝手に捜索して誰でも裁判なしも罰するに対して使った. 彼らは人の身が耐えることができる物理的苦痛の限界が ‘一日に苔刑 30台(竹二つを縛って)ずつ三日連続 90台’でその以上は苦痛が極まって耐えることができずに死ぬようになるという計算をやりこなした. 1916年の公式報告書には 8万2121人がそんな体形を受けたと記録されているのにその後にはこんな報告書が出版されなかった. のような日に 3万2830人が監獄に閉じこめられた.
不穏な思想, 鼻どうし話
日本がいわゆる ‘不穏な思想’と見做した事例の中にはイギリス宣教師ゲールがハングルで翻訳したキプリングの有名な鼻どうし話もあった. ‘鼻同士は二番目主人に付かなかった’は句節があるのに日本政府はこれを韓国の子供達に二番目主人である天皇を奉じないでねと教えることで思った.
銀行は韓国人の土地を強奪する道具だった. 朝鮮銀行はすべての種類の通話を管掌しながら韓国人の土地を無価値なことで作った. 税金を出そうとすれば現金を用意しなければならないから仕方なく地を売る朝鮮人たちは日本政府から補助金を支援受けた者等に以前価格の 20%しかならない捨値に地を越した. こんなに地の丸耕作者たちを追い出すことで日本は ‘農業を改良’した.
南京大虐殺も日本歴史に記録されないみたいだ. たぶん日本は子孫に日本人たちが殊勝な利他心を発揮して黄人種の問題を解決して韓国社会底辺を発展させる召命を引き受けたことだと教えるかなより.
何年の間私はコラムを通じて日本の美術私邸たちがもう極東の芸術社を自分の意味どおりまた使ったし, それによって韓国人が作った芸術品多数が日本芸術の範疇に編入されてしまったと主張した. 日本が韓国に対してやらかした過ちの中でも最悪の物は韓国文化を抹殺して韓国人が過去に対する自負心を失って自分を卑下じるようにした点だ.
私は 1930年から日本語とその文化, 歴史を研究して来たから日本人がどんな人々なのかよく分かる. 私は 1930年以来日本芸術社を振作させた功労でヒロヒト天皇の弟(妹)ダカマスゴングが与えるメダルと名誉を受けた. しかし四国島が海軍基地であることが分からなくてカメラを持ってその所へ行ってから自宅軟禁されながら小銭の他の剃りよく分かるようになった.
私は四国島を遠く離れた恋人たちの遠足先位に分かっていた. しかし白人女性では二番目でその島に足踏んだ私を彼らが非常に疑わしがるということを気づいた. 日本憲兵は私が食事する時もそば席に座って見張ってはなはだしくはトイレ行く時も付いて来た(プライバシーは眼中になかった). しかしこれはまた他の話であるだけだ. 私は日本人をとても高位層から下流層まですべて分かっている. 私は彼らが好きではあるが, 信頼しない. 歴史をまた使った日本は彼らの本能をもう一度確認させてくれた.
[#5] 1930年代ミリタリズムに帰るか
1930年代に私は日本に住みながら過去コラム非我大学で学んだ日本語と日本芸術, 文化をもっと勉強した. 日本社会に私自分を投映して日本をもっと深く理解した後アメリカに帰って日本学の大家になりたかった. そうするために着物を着て多肥と料理をはいた. 洋式で発達した私の身体にこんな身なりで東京横浜間急行列車に乗ろうと小づまを飜りながら走った時代は悪夢みたいだ.
日本にいるうちにお二人様の師匠が分かるようになった. 私より倍で年歳が多い方々だが皆英語が上手で開かれた考え方を持っていた. 一人は新聞記者だったが天助代わりジェントルマンで帽子を脱がなかった真書不敬罪でひどい処罰されてからは記者職を捨てて ‘安全な職業’である事業家になった. 彼は今多異床デパートの社長になってこれを西欧化する努力を傾けている.
また他の師匠福井Rikiの時で教授は 1920年代に ‘15世紀日本の有名な水墨画が中何人は実は韓国人だ’と言う内容の文を発表してから地方で追い出されて苦しんでいた. 日本芸術社に博学した彼は東京大学の最高教授職を引き受けていたがその発表以後異端に追われて北東部仙台の東北大学に下がっていた. 彼の研究発表は日本学界にまことに衝撃的なことだった. あの時彼の門弟の中で保守派一人は東京博物官長になったし, 西洋人門弟である私は彼の進歩的教えることを従う美術私邸になって今ソウルでこの文を書いている.
しかし日本内には ‘良いことは無条件仕事をしたこと’という事故がまだ(1982年)も広まるしている. 一例で彼らは真偽可否は選り分けないで, 7世紀飛鳥仏教美術品たちもただ日本博物館に所長されているという理由だけで韓国のではない日本のだと心に刻んでおく. しかし私はボブリュングサを中心にした日本飛鳥時代仏教芸術品が韓国から始まったことなのを力説して学生たちにそれほど教えて来た. すると日本生まれの韓国人学生一人は私の講義を ‘我執’で見做した.
芸術私邸である私は高慢な日本美術私邸たちが 7世紀日本の重要な国宝級美術品たちが韓国的真髄が盛られた, 韓国人手で作られたことなのを認めないようとするということをよく分かる. 問題はそれよりもっと深刻だ. 私は 1930年代日本で住んだし当時の支配的精神がどんなことなのかを分かる. 私を驚愕するようにすることはあの時とまったく同じな精神が蘇っているという事実だ. 友達は国株の, またはネオミリタリズムと呼んでも良い. 本質は同じのだから. 善良な日本の人々は 1930年代のそういうミリタリズムにどんな抵抗もできなかった.
1941年 12月7日日本が真珠のみを攻撃した日夜, 私は日本公報館でダモンMaeda官長と話を交わした. アメリカ FBI 関係者が 1時間の前ほどその所へ来ていてから帰ろうとするところだった. 官長は机ガラス板の上で何の書類を焼いていた. 官長は一言で忠誠な日本人だった. 彼は思想が自由な人なのでマッカーサー将軍は日本敗戦後唯一に彼が東京市場に出ることを阻まなかった.
官長と私二人皆日本が戦争に巻きこまれることを願わなかった. 私たちは涙を流してお互いに抱えこんだ.
“これは恐ろしい間違いです.”
彼はずっとそのように言った.
“軍部が私偉かったとそうなことです. 市民はその人々をやめさせることができません.”
日本はミリタリズムが支配した 1920‾40年代の精神を繰り返そうとするのか. 健全な常識を持った市民たちは果して軍部の挑戦的な動きを阻むことができないことか.
極東問題の中心軸は韓国
初めに私は今度(1982年) 教科書歪曲波動が湯飲みの中の台風に止むと見たが, 詳らかに検討しながら疑問が出始めた. 日本は自国憲法で戦争禁止条項を無くすために広報して来た. 現行日本憲法はその骨子をサイロスピーク教授が作成したことで西欧的理念の所産だ. ピーク教授は自分が戦争禁止条項を挿入するようにしたと私に言ったことがある. 当時レーガンはハリウッド学んだだけアジア問題に対する認識がほとんどなかった. 今日レーガンは莫強した世界的パワーを持った大統領で, アジアがいくら複雑な所なのか分かり始めたようだ.
率直に私は中東が世界問題の中心だと見ない. 石油は重要なことだが世界は去る数千年間石油なしも過ごしたしこれから代替燃料を捜し出すでしょう. 私が見るのに極東問題こそ重要なことで韓国はそこで中心軸役目をしている. したがって日本のミリタリズムが復活するのか長芋なのかと問題は年を取った韓国人たちが心配する感情的次元を越した世界的問題距離(通り)だ.
正直が通じないで引き続き逼迫されたらどんなに平和が維持されることができるか. 単純に教科書歪曲や戦争禁止条項だけが問題になるのではない. 敗戦以後集権した日本自民党は改憲委員会を作って日本天皇が象徴的存在ではない国家機関になることを申し入れておいた状態だ.
これはすぐ過去の戦争主動者たちがした仕業だ. 彼らは天皇を国家機関で利用して天皇の名前で命令を下した. しかし実際に天皇が国家問題に直接的な権限を行使したことではなかった. 彼は野心満満した軍部人物たち手に浮気をするようになった絡繰り人形だっただけだ.
歴史上日本天皇血統に対する徹底的な研究が必要だ. 日本歴史教科書に書いておいたように日本王統が立つ前 660年に始まったのではない. 4世紀に入って初めてできた日本王家は正しく優秀な武器と騎馬兵を導いて船に乗って海を渡って来た韓国付与族だ.
505年に一時的に入れ替えされたが付与族はずっと重要な支配階層で君臨している途中 6世紀後半に行っては統治権を掌握した. このような事実が日本教科書に載せられているか. ない. 絶対それほど記述していない.
今になって日王が権力主体で出たら日本に 1930年代のミリタリズムが復活することができないこともない. 私には ‘天皇陛下’が京都市内を通り過ぎるという理由で訪問と大門を皆かけて閉ざさなければならなかった記憶がある. 1971年自由時代には東京駅ホテルで天皇の写真を撮ることができたことも憶える.
日本はどうしてじっといることができないか. 日本は軍事費を出費しないおかげさまでもう 1人当り国民所得備え世界第2の富国になった. ところでどうして日本は韓国と中国, 東南アジア人たちがまだ忘れることができない苦痛をそそのかすか. 日本は再び ‘大東亜共栄圏’を夢見ているか.
こんな状況が繰り返されてはいけない. 戦争を禁止した日本憲法の平和條項はそのまま守られなければならない. 軍部をその昔のように破壊的に力強くする法案に署名するような事があってはいけない. 日本は自分を力強く批判する勢力があると自らを求めることができる.
[#6] 14世紀日本 大画家 80%は韓国人
歴史歪曲が問題だ. どうしてすべての人が日本が歴史的事実を歪曲するに対してそれ程あまりにも嫌いなのか. 日本は過去 500年以上歴史を歪曲して来たし, 大部分の人がこれをそのまま受け入れる. しかし私が勉強した韓国の古代史と考古学によればまさに韓国人たちが古代のリーダーたちだったし当時中国人に一寸法師たち, あるいは倭寇に知られた今の日本人これこそ先進文明をありがたさ受け入れた受恵者なのを確信するようにするのだ.
日本は ‘一寸法師’ ‘倭寇’ のような単語がとても嫌で 7世紀からこの単語を書かなかったが, 事実上倭人たちはただ百済使臣たちを通じて先進文明を接することができた.
これを証明する良い資料が私は駐日米国大使エドウィンライシャワーが翻訳した ‘イェンニン(円仁)の日記-入党旧法(入唐求法) 巡礼行期’だ. 僧侶イェンニンは “韓国人海上王長補高の統治の下あった中国内韓国植民地新羅坊が自分に施してくれた思いやりではなかったら中国で日本に帰って来ることができなかったこと”と書いた. 仏教徒であるイェンニン仲間が訪問した 840年頃中国は仏教を弾圧していた. イェンニン仲間は中国人にわいろを与えて韓国人にも贈り物を与えて中国から脱して金剛経を日本に持って入って来た. すべての船便は韓国を経由したし配島皆韓国滲まれた.
今日日本がやらかす歴史歪曲の脈絡でなら遠からず秀吉の軍事たちが韓国人陶工を ‘招請’して来て ‘日本に派遣勤務’するようにしてこれらに ‘無料交通と宿泊を提供’して ‘彼らが技術をこちらに伝えた’と言うかも知れない. 当時日本の陶磁器技術は 5‾6世紀に韓国人たちが日本に伝えたスエキ土器水準にそのままとどまっていた. その間 1000余年の間日本陶工たちは韓半島から来た陶磁器基本に付いて陶磁器を作って来たが 16世紀に入って彼らは朝鮮陶磁器産業の新しい血を輸血する必要性を感じた. 新しい被疑輸血はすぐれた技術革新を持って来てくれたことだから以後日本の陶磁器は韓国的思いつきに負って発展を成した.
韓国占領が自慢の種?
1923年東京と横浜を襲った関東大地震の時の韓国人は人名と財産被害で狂暴になった日本人たちの見代わりになって打撃を受けた. 教科書が被せられた 1930年代は韓国人たちが集まって住む貧困地域を ‘ニンニク食べる朝鮮人’らが住む所と呼んで日本人たちが忌避する地域に追いたてた.
アメリカ政府は 2次大戦当時狂奔したアメリカ人から楽しさ日本人たちを保護するために彼らを日程地域に避難させたルージュベルト大統領の措置を教科書に収録するように要求するかも知れない. それから数十年が去る今日(1982年)に来て日本資本家たちはあの時失った地と事業をいつでもその気になれば賠償受けることができるようになった. ところで日本はこのような措置を韓国人たちに酔ったのか.
ない. 日本人たちは過去韓国に害悪をかけた事実に対して恥辱を感じるどころかむしろそれを生意気な自慢の種で思って数十年の前と変わったところない差別と歪曲を事としている. 日本軍部は 2次大戦でどんな教訓も得る事ができなかったんだからか. 見掛に彼らは確かに反省の気配がない.
ところで日本文化史で韓国の影響を皆とり除いたらナムアナはのがほとんどない. 少なくとも立つ前 3世紀から 8世紀まではそうだ. 純粋な日本固有文化が成ったと言う 10世紀に来ても日本大闕で開く一番楽しみがわく事中の一つは大闕人々の中で誰が一番韓国の踊りをよく踊るのか選り分けて抜く行事だった.
日本が非常に誇らしくここは 14世紀新しい水墨画の技法は実は朝鮮で先にできたのだ. 日本の水墨画を描いた画家たちの中に朝鮮出身の水墨画家だった禅僧(禅僧)らをすべて選び出したら日本の威張るに値する部分はほとんどない. 少なくとも日本が立てる 14世紀水墨画対価の 80%は日本人ではない韓国人だ.