今のところ屋根の形式による格の違いに関する明文化された資料がみつからず
途方に暮れている虎七です。
そこで気分を変えてこのような本を探してきました。
朝鮮半島の建築 工学博士 中西章著 理工学社 1989年 第1版
上記の本の中から
II 高句麗・百済・新羅 ー 三国の建築
4.遺跡・遺物からみた木造建築の様式
(4)架構と屋根の形式
以下抜粋です
” 壁画古墳の建築図の切り妻屋根の妻部分には屋根を支える架構が描かれているものがあり、高句麗建築の架構の一端を知ることが出来る。そこにみられる架構はほとんどが梁の上に載せた叉首によって上部を受ける架構形式であり、高句麗の建築の架構に叉首が多く使われていたことを示している。また、天王地神塚の前室では梁の上に据えた叉首によって上部を受ける架構が石造によって表現されている。魔が首を架構に用いることは甲羅時代の木造建築でもみられるが、これらの叉首は高麗時代のような曲線をなす叉首ではなく、人字型割束と同じように直線剤で構成されている点が異なっている。このほかの架構としては、通溝第12号墳の殿閣図に梁の上に置かれた蟇股らしいものがみられるが、確実ではない。
一方、屋根は高句麗の壁画古墳では寄せ棟のものと、切り妻のものがみられ、瓦葺きで大棟には鴟尾が載せられている。このほか朝鮮半島各地で発掘された三国時代の瓦には軒平瓦、軒丸瓦、鬼面瓦などがあり、屋根の装飾としてこれらの瓦が用いられていたことがわかる。また、上記のように高句麗の古墳壁画の建築図の屋根には寄せ棟、切り妻はみられるが、入母屋の確実な例がみられない。このことに関して関口欣也博士は高句麗の壁画古墳に建築図が描かれる年代が4世紀から6世紀前半までであり、中国で入母屋の屋根がさかんになる6世紀後半からの建築図がないことによると推定している。(後略)”
pp.52-pp.53 (赤字部分、虎七が色つけ)
このあと百済の史料はほとんどないが百済の末期に入母屋の寺院らしいものがみつかってるってことがかかれてます。これも日本で錣屋根とよばれるタイプに近いものではってことで、玉虫厨子との関連がいわれていますが。
とりあえず、ここから読み取れることは
1)高句麗時代までは半島では切り妻、寄せ棟の屋根であったらしい
2)入母屋がみられるようになるのは中国で入母屋が盛んになった後
これだと、韓国で入母屋が最高の格式っていうのは正しいような気がしてきます。なんといっても中国伝来の様式、しかも最新(6世紀後半以降に伝来した様式)らしい。となると半島で最高の格式は中国から伝来した最新の屋根の様式である入母屋である。に落ち着きそうです。
ただ、これから日本の屋根の形式に結びつかないのでまだまが勉強が必要そうです。

安岳3号墳厨房図屋根部分(4世紀頃)
切り妻の破風に見えますね。

龍岡大墓建築図
こちらは寄せ棟の屋根に鴟尾がのっているように見えます。
うむ、むずかしい。