
日本最古の木造建築・法隆寺の柱は、真ん中が膨らんだ形をしています。
これを『エンタシス』といいます。

これを見て日本人は、古代日本は、ギリシア文化の影響を受けたのだと主張しました。ギリシアのパルテノン神殿の柱も、このように膨らんだ形をしているからです。 恐らく、その話を知っている日本人は非常に多いと思います。 法隆寺の柱はギリシアのエンタシス。 私も小学校の頃に教わりました。

このエンタシスの柱は、実は我々の隣の国、韓国で非常によく見られる文化なのです。 しかしそのことを知っている日本人はどれほどいるでしょうか。 エンタシスが韓国から伝わった様式だと教わった日本人はいるでしょうか。 私自身大人になるまで韓国のエンタシスを知らなかったし、そのように教わったこともありません。

19世紀の日本人は、ヨーロッパの諸国を文明国、アジアを未開として見下すヨーロッパ人の序列意識を、嬉々として受け入れました。 その上で、『日本はアジアの未開国とは違う』と自分に言い聞かせることで(福沢諭吉の『脱亜論』は韓国でも知られていますね)、自分たちを西洋の側にカテゴライズしようとしました。 韓国や中国は未開であり愚かだが、我々日本は違う。 我々日本はだから未開な韓国人や中国人を支配してもよい――そのような論理は、日本のアジア侵略と常に表裏をなしていました。
日本人のアジア蔑視論者は、ヨーロッパ人の言説をしばしば援用したし、今でもしています。 例えばイザベラ・バードの旅行記などはほとんど嫌韓のバイブルのごとくコピペされ続けています。
「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。 礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に迷路のような道の「地べた」で暮らしている。 (…) ソウルlには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も劇場もない。他の都会ならある魅力がソウルにはことごとく欠けている。 古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ無関心だったため寺院もない」
韓国住居が平屋を原則とすることがそのオンドル文化の帰結であることや、ソウルに多くの文化財――独立に登録された世界遺産2件を含む――が存在することを知っている我々には、こうした見解は19世紀ヨーロッパ人の時代的な限界や諸々の偏見を教えるものですが、しかし事実としてヨーロッパ人の視点とは、こういうものでした。
ただ、こうしたヨーロッパ人の言説を援用する我々日本人にとって悲劇でもあり喜劇でもあったのは、日本もまたヨーロッパ人から見ればアジアの一部でしかなかった、ということです。 ヨーロッパを真似てアジア人を見下していた日本人には、同じヨーロッパ人の日本蔑視を笑い飛ばすことなどできませんでした。 特に、イザベラバードのような素人でなく、西洋の学問の権威を背景としてなされる蔑視は。 例えば、19世紀当時に東京大学で建築史の教科書として用いられたファーガソンの著書では、日本建築はこのように記されています。
So far as our knowledge at present extends, there is not a single permanent building in the island of so monumental a character as to deserve being dignified by being classed among the true architectural examples of other countries. It may be that the dread of earthquakes has prevented them raising their buildings to more than one or two storeys in height or constructing them of more solid materials than wood. It may be, however, that the Japanese do not belong to one of the building races of mankind, and have no taste for this mode of magnificense.
hinomoto訳――現在われわれの知識が及ぶ限りにおいて、他の国々が持つマトモな建築物に比肩しうるような、崇敬にたる記念碑としての特徴を備えた恒久的な建物は、この島にはただの一つもない。 恐らくは地震の恐怖のため、この国の人間は2階以上の建物を建てようとしなかったし、木材以外の材料を使おうともしなかった。 日本人は建築を志向する民族には属していないし、偉大な様式への感性も持ち合わせていない。
――James Fergusson "History of Indian and Eastern architecture" (1876)
日本人が読めば「そこまで言わなくても…」と涙目になりそうな記述がこのあとも続きます。 といっても日本に割かれた分量は極めて少なく、700ページを越えるの全体のなかで1ページにもなりません。 当時のヨーロッパ人の価値観では、ギリシア建築が最高の地位を占めており、その影響を受けた(と思われていた)ガンダーラ建築、その後裔たるインド建築は、アジア建築でありながら比較的高い評価を与えられます。 ギリシアの影響を受けていない中国は当然劣位。 中国建築の糟粕である日本はさらにその下、どうでもいい、というわけです。
「俺たちはアジアとは違う」といくら日本人が自分に言い聞かせても、現実には思いっきりアジアで、しかもその中でも劣位。 この深刻な自己矛盾は19世紀末の日本人にある奇妙な思考様式を根付かせます。 「俺たちってこんなにヨーロッパっぽいんだぜ」という、ヨーロッパとの関係や相同性の主張です。この時代の日本人の知識人は、「日本の地形はギリシアに似ている」と言ってみたり、「日本は火山国だからイタリアと同じだ」「日本は仮名を発明したからアルファベット文明と同じだ(中国と違う)」、果ては「日本人はアーリア人の子孫だ」など、涙ぐましいまでに自国をヨーロッパに摺り寄せようとする言説を量産しています。
法隆寺のエンタシスは、韓国建築でよく見られるものです。 韓国から技術者を読んで寺院を建てていた飛鳥時代に韓国から教わったものと考えることに何の無理もありません。 さらに仮説を伸ばして、その韓国のエンタシスが中国から伝わったかもしれない、という辺りまではまだ分かります。 しかしそこから一挙数千キロをまたいでギリシアの影響だと言い出すのは、さすがに願望、妄想の類でしょう。しかしそんなことはどうでもいい。 日本人は、日本建築がギリシアと関連していて欲しかったのです。 理由は簡単。 ヨーロッパ人の価値観においては、ギリシア建築が最高の地位を占めていたからです。
何気なく我々が教わってきたこの法隆寺のエンタシスのギリシア文化説も、当時の――いや、ひょっとしたら現代でも?――日本人の屈折した自意識の、一つの表出と言えるかも知れません。