まず源流を作ったと言われるのは出雲の阿国。
正確には出雲地方からやってきたという「くに」という女性。
この人が京都で踊った「かぶき踊り」が人気となり全国に広まっていったといわれています。
ちなみに「かぶき踊り」とは、傾奇者(奇矯な格好をする若者たち)が茶屋遊び(芸人・遊女と遊ぶこと。エロも含む)する様を踊りにしたものと言われています。
要するに超意訳すると、コスプレダンス踊ってみたw(ちょいエロ)という感じなのだと思うw
そして出雲の阿国はこの「かぶき踊り」は「ヤヤコ跳」「ややこおとり」から発達させたものと言われています。
というのも『時慶卿記』に慶長5年(1600年)に「クニ」なる人物が「ヤヤコ跳」を踊ったと記されているようで、これが同一人物だろうと言われているからだそうで。
『当代記』によれば京で人気を得て伏見城に参上して度々踊ることがあったとされているとか。
ちなみに「ヤヤコ」「ややこ」とは「幼子」の事であり、成人女性が小さい子の衣類を着て踊ることだと言われています。
当然和装ですので、丈も足らず、胸元も収まり切らなかったでしょうw
要するにこれまたエロダンスw
これはロリ要素が加味されていると見るべきか、服から収まりきらない肢体を楽しむためと見るべきでしょうか?w
慶長8年5月6日に女院御所で踊ったという記録があるようで、文献によって踊ったものの名称が「ヤヤコ跳」「ややこおとり」「かふきおとり」と異なっているようで。
この事と記述の内容から考えて、慶長8年5月からあまり遡らない時期に「かぶき踊」というあらたな名称が定着したのだと考えられています。
内容面でも傾奇者が茶屋の女と戯れる場面を含むようなものに質的に変化してきています。
その後「かぶき踊」は遊女屋で取り入れられ(女歌舞伎)、当時各地の城下町に遊里が作られていたこともあり、わずか10年あまりで全国に広まりました。
しかしそう時間をおかずに江戸幕府により禁止されます(1629年)。
政府によるエロ規制の動きですな;;
いつの時代も変わらぬものです;;
しかし、この方面で日本人が諦めないのも、これまた真理です。
「女歌舞伎」の禁令により、前髪のある成人前の少年が演じる「若衆歌舞伎」に人気が集まります。
「若衆歌舞伎」も「女歌舞伎」と同時期に生まれてきていたようですが、「女歌舞伎」の禁止によりその顧客が流れた感じですかね。
しかしこれも風俗を乱すためとのことで、1652年頃から禁令が出されるようになります。
この禁令以降、前髪をそり落とした野郎頭(やろうあたま)の成人男性が演じる「野郎歌舞伎」の時代に入っていきます。
この流れの中で女性の芸能者が舞台に立つことを禁止されていくことになりました;;
エロダンスから始まったのに、女性禁止なんてヒドス><
このようにエロから始まった歌舞伎ではありますが、これ以降は様々なジャンルの演劇をこなす芸能へと進化していきます。
とはいえ、女性の芸能者が舞台に立つことは出来ませんので、女性役も男性が演じないといけないという制約のある特殊な芸能として成立しました。
歌舞伎の女人禁制は、女性蔑視の産物と見るよりエロ規制の産物と見る方が正解なのかもしれませんね。
元禄(1688~1704)の頃には、完全に「演劇」といってはばかりのないものになっていたようです。
この時期に、初代市川團十郎が人形浄瑠璃の人形のかしらにヒントを得て創作したものといわれるのが「隈取」です。
これが大受けした様で、以降は役柄により、施される隈取や色が決められていくようになりました。
仮面と似たようなものです。
例えば荒々しい男性には「筋隈」
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それよりは大人しいが力強い「一本隈」

美男子には「むきみ」

赤色がそういうヒーロー系統だとするならば、一方で悪役系統には黒・藍色系統が用いられました。
大悪人などには「公家荒」
嫉妬の鬼と化した女性の「般若隈」

etc.etc.
以上のように大体の型はあるものの、隈取は役者が自分で書き入れるものなので一人一人形が違います。
一方で舞台について。
お国が「かぶき踊り」で人気を得ていた時代には、貴人の前での披露には能舞台が用いられていた。
とはいえお国もいつも貴人の前で踊っていたわけもなく、通常は街角等で踊っていたことは想像に難くない。
色町を中心に興行されていた「女歌舞伎」「若衆歌舞伎」の時代にも能舞台で全て興行することなんて出来るわけもなく、座敷等でも行われていたものと推察される。
太平の江戸期の話なので、やがて常設の舞台が整えられていくが享保(1716~1735)頃に劇的に進歩していくことになる。
「花道」「せり上げ」そしておそらく「まわり舞台」といった設備が登場しだすことになる。
以降も規制と工夫が重ねられて今日に至っていたりする。
こういう庶民と共に歩んできたのが歌舞伎という伝統芸能な訳で。
「式楽」(勅使饗応など、フォーマルな儀式の場で上演される、政府の公式な音楽)として定められ、格式が重視されて保守的傾向が強まりまった「能」とは一線を画すると思う。
加えて、織田、豊臣ときてから徳川の江戸期、芸能の商業化に与えた影響は極めて大きい。
芸能の地方巡業も広く行われており、都市部から僻地への芸能文化が伝播していったりするし。
そういう意味でも韓国民間芸能と比較するなら、「歌舞伎」だと思うのだな。
辿ってきた歴史の違いも当然のことながら、仮面と隈取とか、芸能の披露の仕方の文化差とか、いろいろ面白いとは思う。
