古い投稿ですが、2008年に、enjoyに行った投稿に、一部、加筆・修正を行った物です。 投稿の写真は、2007年の、12月の初めに撮影した写真です。
参考に、日本人の、80%以上が、生まれ変わっても、また、日本人に生まれ変わりたいと考えていると言う統計がありますが、その理由に、(国民性等、日本人が、日本人自身を高く評価している事に加えて)、日本は、伝統文化を含む、総合的な文化(料理を含む)が、多様で、豊かである事、(都市を含む)治安が良い事、都市が、清潔である事、自然景観・多様な文化を含む、田舎が、豊かで、美しい事等があると思います。ちなみに、日本の男性は、生まれ変わったら、約70.4%が、また男性に生まれたいと答え、約10.8%が、女に生まれ変わりたいと答え(残りは、男性でも、女性でも、良い)、また、日本の女性は、生まれ変わったら、約59.3%が、また女性に生まれたいと答え、約16.8%が、男性に生まれ変わりたい(残りは、男性でも、女性でも良い)と答えたと言う統計もあります。
日本は、とても、大雑把に、分けると、東日本(higashinihon)と西日本(nishinihon)に分かれます。東日本(higashinihon)と西日本(nishinihon)が、どこを境にして分かれるかは(東日本(higashinihon)と西日本(nishinihon)の境界については)、人によって、意見が分かれますが(統一された、基準はありませんが)、概ね、東日本(higashinihon)は、東京を中心とした、日本の、東半分・北半分、西日本(nishinihon)は、関西(kansai)大都市圏(大坂・京都(kyoto)・神戸(kobe)を中心とした都市圏。東京圏に次ぐ、日本、第二の人口を有する、大都市圏)を中心とした、日本の、西半分・南半分となっています。
ちなみに、古い時代の、日本の中心地であり、比較的、古くから栄えていたのは、西日本(nishinihon)です(例えば、東日本(higashinihon)の中心地である、東京が、日本最大の人口を有する都市・日本の中心都市として、発展して行ったのは、17世紀以降の事です)。
日本民家園(nihonminkaen)(1967年に開館)は、日本民家園(nihonminkaen)が位置する、川崎(kawasaki)市が、運営する、野外博物館です。
日本民家園(nihonminkaen)は、東京都心部から、比較的近い、東京の中南西部郊外(川崎(kawasaki)市西部)に位置する、野外博物館で、東日本(higashinihon)の様々な形態の、古い、一戸建て住宅を移築して、展示している、野外博物館です。
日本民家園(nihonminkaen)は、東京旅行を中心とした短い日程の日本旅行で、日本の田舎を訪れる時間の無い、(韓国人を含む)外国人にお勧めの観光場所です(特に、建築に興味がある外国人に、お勧めです)。
日本民家園(nihonminkaen)の、最寄りの電車駅である、向ヶ丘遊園(mukougaokayuen)駅までは、新宿(東京最大級の繁華街の一つ、且つ、東京の、主要な、ビジネス(business)地区の一つ)から、特別料金は不要の(特別料金を支払う必要のない)、通勤電車(電車)の、急行(express)で、20分程で着きます。日本民家園(nihonminkaen)は、向ヶ丘遊園(mukougaokayuen)駅から、少し遠いですが、歩いて15分程で着きます(バス(bus)もありますが、駅から1km程の距離であるので、疲れていない限り、散歩を楽しみながら、歩いて行く方が、お勧めです)。
写真以下。日本民家園(nihonminkaen)の、風景例。

紅葉と、移築された日本の古い農家(農民の家)の屋根。

入り口にある、日本の古い一戸建て住宅に関する資料展示館と博物館の事務所を兼ねた本館の建物は、古い建物ではありませんが、日本の古い建築様式を模した建物で、この野外博物館にある展示物(移築された実際の、日本の、古い一戸建て住宅)との調和を乱していません。

こうした、素朴な石の仏像も、日本の、田舎の農村から実際に移して来た様です。

長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の農村にあった、19世紀中期に建てられた水車小屋(watermill) です。

水車小屋(watermill) と紅葉。

この野外博物館では、この様に、例えば農家(農民の家)の建物の場合、日本の実際の古い農村風景をイメージ出来るように、計算されて配置されています。
写真以下2枚。博物館周辺の、紅葉時期の風景。


写真以下。日本民家園(nihonminkaen)の、展示物の例。
写真以下2枚。福島(fukushima)県(日本の東北地方に位置する県の一つ)から移築された、19世紀初期に建てられた馬宿(umayado)です。馬宿(umayado)は、馬の取引市場に出す為の馬を運ぶ運搬人が宿泊する宿泊施設です。馬は、中流層以上の農家(農民の家)や、侍(samurai)(貧しい侍(samurai)を除く)の生活にとって、調度、現在の自動車のように欠かせないもので、重要な商品でした。中流層以上の農家(農民の家)の敷地内、若しくは、家の内部には、一般的に、調度、現在の各家庭にある、屋根付き駐車場の様に、馬小屋(stable)もしくは、馬置き場(馬を置く場所)(家の内部の場合)がありました。


一階、正面の受け付け(現在のホテルで例えると、lobby?)の右横の通路を入っていくと、1階が馬置き場(馬を置く場所)となっています。宿泊の為の部屋は2階です。調度構造的には、1950年代のアメリカの、小さな街の中心部にあったモーテル(motel)と似ています(ここでのモーテル(motel)は、日本のラブホテル(love hotel)に近い意味の韓国のモーテルでは無く、自動車旅行者の為の安い宿泊施設を意味するアメリカのモーテル(motel))。
写真以下2枚。長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)から移築されて来た、19世紀中期に建てられた、薬店(薬を売る店)を営む商人の、店舗と住宅を兼ねた建物です。建物の正面部分が、店舗、裏の部分が、店主(店の経営者)の家族が暮らす住宅となっています。


住宅部分には、この様な富士山の美しく繊細な装飾があります。富士山(標高 3,776m)は、東京圏に近い場所にある、日本で最も高い山で、日本を象徴する山となっており、その形の美しさから、世界的に名が知られている山です。
写真以下4枚。この家は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の、川崎(kawasaki)市にあった、1911年に建てられた、比較的裕福な、中流階級の、日本伝統様式の一戸建て住宅の建物です。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の技術を引き継ぐ、日本の、木造建築技術が高度に発達した時期の、日本の、日本伝統様式の、一戸建て住宅の建物の例です。

写真以下3枚。この一戸建て住宅の、建物の内部の例。



日本の、北海道(hokkaido)、東北地方、中部地方の、一部の地域は、世界でも、最も、雪が多い地域となっています。
写真以下12枚。日本の、雪が多い地方の、古い(伝統的な)農民の家の形態の一つで、特徴的な(個性的な)形態を持つ、家の形態です。日本民家園(nihonminkaen)では、富山(toyama)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)と、岐阜(gifu)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、雪が多い地方から、18世紀初期から19世紀初期に建てられた、農民の家を、4棟移築して来ています。なお、これ等の農民の家は、自分で自分の農地を保有する自作農家、すなわち、中流層に属する農民の家です。農民の中でも、自分で自分の農地を持たない、小作農民(低所得者層)の家は、これ等の家よりも、はるかに小さく、作りも簡素なもので、代々、長い間、子孫が住み続けて、残る様な物ではありませんでした。以下の写真で見て分かる通り、屋根の傾斜角度は非常に急です(傾斜角度は、非常に高いです)。広い屋根裏部屋では、一般的に養蚕(sericulture)を行い、余った場所は、物置、住居場所等として使用していました。




この家は屋根に小窓が付いています。
写真以下3枚。室内の感じは、以下の通りです。

写真真ん中よりやや右、藁?で作った、昔の大人用と子供用の長靴が並んで置いてあります。昔は、外出した後、こうして囲炉裏の火の熱で、長靴に付いた雪を溶かして乾かしたのでしょう。



雪の多い地方の農民の家のトイレ。昔の農民の家は、一般的に、トイレは、敷地内に、別に小さな小屋を建てて作り、家の中には有りませんでした。雪の多く降る地方の農民の家は、この写真の様にトイレの小屋の屋根の傾斜角度も急です(傾斜角度も、高いです)。




日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが。。。)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります
日本では、1920年代頃から1970年代頃にかけて(特に、(日本では)、新しい物、便利な物、経済成長に、最も重要な価値を置く事が主流であった、1950年代頃から1960年代頃にかけて)、古い一戸建て住宅の建物の、非常に、多くが、建て替えにより、失われてしまいました(ちなみに、日本民家園(nihonminkaen)は、その様な状況の中、1967年に開館した、野外博物館です)。
ちなみに、1920年代頃から1970年代頃にかけて、日本の、非常に多くの、古い街並み(家並み)が、失われた中で、現在、日本の政府により、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)に指定されている場所は(この制度は、日本の、古い、伝統的な風景の保存意識の高まりと共に、1970年代中期に始まった)、日本全国で、112箇所あります(逆に、日本全国的に見ても、112箇所しかないとも言えますが。。。)。
参考動画(動画は、you tubeから借りて来た物)。2013年頃の動画。日本の、中部地方の、岐阜(gifu)県の、雪が、多い地域にある村、白川郷(shirakawagou)。日本の中部地方の内陸部にある、雪が、とても多い地方の、古い(17世紀から100年前位までの)、農家(農民の家)の建物が、多く残っている村です。白川郷(shirakawagou)は、日本の政府により、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)に指定されている場所となっており、日本全国で、112箇所ある、日本の政府により、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)に指定されている場所の一つとなっています。白川郷(shirakawagou)は、日本の他の、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)同様、その風景は、強固に、昔の風景(昔のままの風景)が、保存され、観光客に人気の場所となっています。日本において、この様に、古い住宅や商店の建物が、ほぼ昔の姿のまま残り、現在は、風景が保存され、観光地となっている場所の多くは、交通が不便で開発が遅れた地域です。現在、日本では、交通が便利で、開発が早い時期に行われた地方や田舎の、鉄道の駅前の商店街が、(情緒はあるかもしれないが、それだけでは、人を惹き付ける魅力に乏しい)、主として、1950年代から1960年代頃に建てられた(こうした建物も、さらに建て替えられつつありますが)、小規模な店舗(商店)の建物が立ち並ぶ姿のまま、郊外型の、大型のマートやショッピングモール(shopping mall)の影響で廃れ、逆に、交通が不便で、開発が遅れ、古い、伝統的な建物が、比較的、よく残った地方や田舎が、現在は観光地として栄えているという皮肉な状況になっています。
写真以下3枚。この家は、長野(nagano)県から移築されて来た、裕福な農民の家です。1731年に建てられた家です。上品で端整な感じです。この家があった地域は、長野(nagano)県でも、雪が、あまり多く降らない地域であることから、柱等は、太くなく、細く繊細な物となっています。



家の内部の様子。この家は、雪が多く降る地方の農民の家と比べて、柱等が、比較的、細い印象です。

この家は、岩手(iwate)県(日本の東北地方に位置する県の一つ)から移築されてきた、比較的、裕福な農民の家です。家が大きくて、写真に、建物全体が写っていません。1751年から1763年に建てられたものです。曲り屋(magariya)と呼ばれる、途中で折れ曲がった構造の農家(農民の家)です(日本の、伝統的な、一戸建て住宅の形態の一つです)。この写真正面左側は、現在の家では、自動車のガレージ(garage)に相当する馬置き場(馬を置く場所)です。昔の中流層以上の農民の家では、馬は、調度現在の自動車の様に日常生活において欠かせないものでした。昔の中流層以上の農民の家では、通常、敷地内に馬小屋(stable)、又は、家の内部に、馬置き場(馬を置く場所)がありました。
前述の通り、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが。。。)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります
この様に、日本は、古い建物の、保存意識に関しては、一般的に、ヨーロッパの国々に比べて、低いです。
一方、人(人間)を通じて、伝統を、保存・継続・継承して行くと言う点においては、おそらく、日本は、先進国の中で、最も、強固な国であると思います。
例えば、2008年の調査によれば、200年以上の歴史を有する企業(会社)は、世界で、5,586社あった様ですが、その内の、半数以上(約56%)の、3,146社が、日本の企業(会社)であった様です(日本、3,146社、ドイツ、837社、オランダ222社、フランス196社、アメリカ14社、中国9社、台湾(Taiwan)7社、インド3社、その他、1,152社)。また、別の調査ですが、日本には、1,000年以上の歴史を有する企業(会社)が7社、500年以上の歴史を有する企業(会社)が39社、300年以上の歴史を有する企業(会社)が、600以上、100年以上の歴史を有する企業(会社)が、5万から10万あると言われている様です。
この様に、日本に、歴史が古い、企業(会社)が、非常に多い理由は、日本は、伝統的に、非常に多くの、伝統的な(歴史が古い)、企業(会社)を支える程に、国内の、消費市場が、とても豊かな国であると言う事もあると思います。日本が、西洋以外の国々の中で、早い時期に、近代化に成功した理由としては、近代化前の、19世紀中期において、(当時としては)基礎的な教育の普及により、当時の、ヨーロッパに比べて、遥かに(ずっと)識字率が高かった事、近代化前の、19世紀中期において、当時の、近代化していない社会としては、商業が、とても発達しており、都市において、大衆が消費をすると言う、文化が出来ていたと言った事があると思います。
また、個人的に、近代以降(19世紀後期以降)、日本が、西洋の文化を違和感なく取り入れて、自国の文化に組み入れてしまう事が出来たのは、日本は、近代化前の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、既に、文化的には、同時代のヨーロッパと同程度(場合によっては、それ以上に)洗練され、完成されていたからであると思います。
極端に、表現すれば、日本の伝統的な文化と西洋の文化は、(少なくとも、表面的には)、異質な物であるのにも関わらず、近代化の前の、19世紀の半ばにおいて、日本は、既に、文化的には、当時の、ヨーロッパと同程度か、場合によっては、それ以上の水準にあった為、日本は、ヨーロッパの国が、他のヨーロッパの国の文化を取り入れるのと同様の感覚で、西洋の文化を取り入れる事が可能であったのだと思います。
日本は、文化を、保存・継続・継承して行くと言う点においては、おそらく、先進国の中で、最も、強固な国の一つであると思います。
日本の文化は、例外もありますが、基本的には、古い物の否定の上に、新しい文化が成り立つのではなく、古い伝統的な文化と先端的な文化が、同程度の洗練性と価値を持って(まあ、洗練されているかしないかと判断するのは、個人の主観の問題ですが。。。)、時には、調和しながら、自然と(違和感なく)、並列的に存在していると言う点に特徴があると思います。まあ、ヨーロッパとアメリカも似たような部分がありますが、日本の場合、そのような傾向が、より顕著なような気がします。
日本では、日本各地で(日本全国で)、非常に多くの(非常に多くの種類の)、古くからの(伝統的な)祭りが継承されています。
参考動画(you tubeから借りて来た物)。2013年頃の動画。これは、日本の、東北地方(岩手(iwate)県)の、田舎の、伝統的な、祭りで、農民(農民達)が、自分達の馬に対して、日頃の、農業の勤労を感謝する、お祭りです。この、祭りの、背景には、馬は、単なる、家畜ではなく、自分達の、家族・partnerであると言う思想があると思います。もちろん、現在は、日本の農業は、機械化されていますが、この、祭りは、伝統として、受け継がれています。

この家は、千葉(chiba)県(東京圏の東部に位置する県)から移築されてきた、裕福な漁師(fisherman)の家です。17世紀後期に建てられたものです。大きな家と小さな家が、くっついたような構造の家です。
以下、東京圏、及び、その周辺の、様々な種類、形の農民の家。なお、これ等の農民の家は、自分で自分の農地を保有する自作農家、すなわち、中流層に属する農民の家です。農民の中でも、自分で自分の農地を持たない、小作農民(低所得者層)の家は、これ等の家よりも、はるかに小さく、作りも簡素なもので、代々、長い間、子孫が住み続けて、残る様な物ではありませんでした。
写真以下3枚(以下、1枚目の写真(家の外観の写真)は、何故か、IEだと見られないようなので、Firefoxで、ご覧下さい)。この家は、日本民家園(nihonminkaen)の地元、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の農村から移築されてきた農民の家です。1687年に建てられた農民の家です。家に比べて、とても大きな屋根が特徴です。韓国の方達は、日本の農民の家の屋根は、大きいと思うかもしれませんが、この形態の農民の家の屋根は、特に大きいと感じられるのでは無いでしょうか?


家の内部から天井を見る。

家の内部の様子。
写真以下2枚。これは、山梨(yamanashi)県(日本の中部地方に位置する県の一つ。東京圏の西部に隣接する県)から移築されてきた農民の家です。17世紀後期のものです。


ヨーロッパの農民の家にも似たような造りのものがあります。
写真以下2枚。これは、茨城(ibaraki)県(東京圏の、北東端に位置する県)から移築されてきた、農民の家です。17世紀後期のものです。大きな家と小さな家が、くっついたような構造の家です。この投稿、上から33番目の写真の、千葉(chiba)県(東京圏の東部に位置する県)から移築されてきた、裕福な漁師(fisherman)の家よりも、規模は小さいですが、よく似た構造です。ちなみに茨城(ibaraki)県は、千葉(chiba)県の北にあり、千葉(chiba)県と隣接しています。もしかしたら、家の形態が互いに影響し合ったのかもしれません。


このように大きな家と小さな家がくっついたような構造で、大きな方の家は、生活をする場所、小さな方の家は、馬置き場(馬を置く場所)と家の内部で行う農作業の場所になっています。
写真以下3枚。これは、日本民家園(nihonminkaen)の、地元の、神奈川(kanagawa)県、しかも、日本民家園(nihonminkaen)のすぐ近く(昔は、のどかな農村、今は東京都心部から、通勤に、それ程時間のかからない、東京の郊外住宅地(電車(通勤電車)で、東京都心部から20分程))から移築されてきた農民の家です。17世紀後期に建てられた農民の家です。宮崎 駿(miyazaki hayao)(1941年生まれ。日本の世界的に有名な、アニメーション(animation)作家・アニメーション映画(animated film)監督)が、好みそうな、屋根の上に草を生やしている、可愛い、農民の家です。

家の隣りにある小さな小屋は、物置です。

近くで見るとこんな感じ。

農作業の道具をいれる物置。
これで、日本民家園(nihonminkaen)の展示物の全てでは無く、日本民家園には、まだ紹介出来なかった農民の家々や、漁師(fisherman)の村の歌舞伎(kabuki)(日本の、伝統的な、大衆向けの演劇)の舞台等があります。