この投稿の、動画・曲は、全て、you tubeから借りて来た物です。
FireFox以外で、この投稿の写真が見られない場合は、FireFoxで、ご覧下さい。
以下、前に行った、「Tatsuro Yamashita - Ride On Time」と言う投稿の再投稿です。
you tubeから借りて来た物。Tatsuro Yamashita - Ride On Time(1980年)。私が、幼い頃(幼稚園児の頃)の曲の様ですが(当時の、この曲の記憶はない)、水準が高いですね。
以下、おまけ。
以下、「」内。過去のkjの他の方の投稿の私のレスから抜粋して来た、私の、幼い頃の記憶です。
「私は、髪の毛が、フサフサに生えて生まれて来たというw 幼稚園の頃、ヤクザの息子と親友同士で、二人で、一緒に、よく遊んでいましたw(お互いのお母さん同士が、ママ友で(友達同士で)仲良かったというw)。あっ、あと、イタリア人とのハーフの男の子が、幼稚園の女子人気のライバルでした(まあ、私が勝ってたけどw)。
あっ、あと幼稚園当時、恐竜にとても興味があり、幼稚園児基準で恐竜にとても詳しかったので、男子達からは恐竜博士とも呼ばれていましたw 投稿見て、一瞬、幼稚園くらいの頃の事なんて、あまり憶えていないかなと思ったのですが、思い返して見ると、案外、よく憶えているものですねw
以上、私が幼稚園の頃の思い出話ですが、以下、今、簡単に思い出せる、3歳位の頃の私の記憶の例です。
当時、(我が家の近所の)実家で飼っていた大型犬2匹によくペロペロと舐められていた事(実家で飼っていた大型犬2匹は、雄と雌が1匹ずつ。去勢手術を行っていたので、子供は生まなかった。私が生まれた時には、既に存在していて、私が幼い頃・子供の頃、共に過ごした。もちろん、2匹とも、私にも懐いていた。と言うか、大型犬であったので、私の方が、犬に可愛がられていたと言った表現の方が、正しいですw それぞれ、大型犬としては長生きであったが、雄の方が先に死んだ。それぞれ死んだ時に、私は、悲しくて泣きましたが、(子供の頃であったので、記憶が曖昧ですが)、私は、当時、まだ子供であったので、おそらく、それぞれ死んだ時に、号泣したと思います)。
親に買って貰ったプラレールと言う列車のおもちゃ等で、又、ミニカー(私は幼い頃から子供の頃、親にミニカーをたくさん買って貰っていました)を実家の廊下で走らせて、夢中で遊んでいた事。
母方の祖父(実家は、元々、母方の祖父母の家で、母方の祖父母が同居していました。既に、母方の祖父母とも亡くなっています)を伴った家族でのお出掛けの際に、私が欲しいと言って、母方の祖父に買って貰った、小学生の男の子くらいの大きさの、とても大きな、何かのアニメ等の(どのアニメ等かは憶えていません)ロボットの人形が実家にあった事。
3歳よりももっと幼い頃の記憶だと思いますが、(私が)手にキリンの人形のおもちゃを持ち(私は、幼い頃・子供の頃、親に動物園・水族館に連れて行って貰う事が大好きでした)、母の腕に抱かれながら、母が私の街の商店街での買い物の際に、母が商店街の店舗の店主のおじさんと立ち話で談笑している光景。」
ちなみに、私のファーストキスは、初恋の前に、マセた女の子に唇を奪われてしまいました(幼稚園児の頃の話w)
以下、参考の投稿。
すばらしい世界旅行→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2737882?&sfl=membername&stx=jlemon
80年代の音楽の思い出前編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409/page/9?&sfl=membername&stx=jlemon
80年代の音楽の思い出後編→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2636407/page/9?&sfl=membername&stx=jlemon
以上、前に行った、「Tatsuro Yamashita - Ride On Time」と言う投稿の再投稿でした。
you tubeから借りて来た物。YMO-「BALLET」(1981年)。これは、1983年の、生演奏。映像は、1984年に制作された物。
山下達郞-クリスマス·イブ (1983年)。
ちなみに、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私はB型のマイペースで、女性に拘束されるのは嫌いなタイプなのですが、その一方で、寂しがり屋の面もあってか(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)、中学校2年生の後半(14歳の時)に、初めて、女性と交際して以来、今まで、途中、大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時を除いて、二か月以上、女性と交際しない期間が空いた事がありません(大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時は、交際している女性はいませんでした。。。それは、それで、楽しかった)。
この様な事から、中学2年生(14歳)の時以来、現在まで、クリスマス時期に、交際している女性がいなかったのは2回だけで、一回は、大学の時、一年間、アメリカに留学していた時、もう一回も、同じく大学生の時ですが、その時(クリスマスの直前位に女性と別れたばかりで)たまたまクリスマスの時に彼女がいなくて、クリスマスは、同じ大学に通う男の友人達の中から、その時彼女がいない友人達を集めて、男達だけで、居酒屋でモツ鍋食べて、酒をたくさん飲んで、大騒ぎしましたw(年開けてから、また、すぐに、女性と交際し始めましたが。。。)。」
以下、参考の投稿。
「女子校・共学違い」等→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_50/view/id/2689592?&sfl=membername&stx=jlemon
清潔感等について→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2747216/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon
美女ホイホイ→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2692355/page/9?&sfl=membername&stx=jlemon
Bananarama -「Venus」(1986年)。私が、子供の頃の、ヒット(hit)曲w 今、聴いても、新鮮さを、保っている感じw
EPO-「音楽のような風」(1986年)。
以下、「」内。私の過去の投稿文より。。。
「私は、女性のルックスよりも、話しや笑いの波長が合うか、一緒に過ごしていて心地が良いかどうかの方が重要であると思いますが、個人的に、昔から、自分の容姿にある程度自信を持っている、美人の女性・可愛い女性の方が、話し易い事から、必然的に、そうした女性と親しくなり易いです。
私は、実生活において、個人的に、昔から、ルックスが普通の女性、又は、自分のルックスにあまり自信が持てていない女性よりも、自分の容姿にある程度自信を持っている、美人の女性・可愛い女性の方が、話し易く、自然にリラックスして話す事が出来て(個人的に、昔から、自分の容姿にある程度自信を持っている、美人の女性・可愛い女性の方が、口説くのが楽で、口説き易いw)、ルックスが普通の女性、又は、自分のルックスにあまり自信が持てていない女性は、どう話したら良いのか、どの様に話したら喜んで貰えるのか、分からなくて、相対的に、やや(少し)緊張してしまったり、会話が、ぎこちなくなってしまったり、口数が少なくなってしまったりします。こうした事に関しては、これは、あくまで、私の実生活における個人的な経験による物なのですが、もちろん女性にもよるのですが、一般的に、自分の容姿にある程度自信を持っている、美人の女性・可愛い女性の方が、ルックスが普通の女性、又は、自分のルックスにあまり自信が持てていない女性よりも、私に対して、素直に気軽に、自分の弱さや日常生活の愚痴、自分の悩み等を、話して・出して、少なくとも、私にとっては、素直で分かり易く、相性が良いと言う事もあります。
何れにしても、私は、話し(会話)が、決して上手な方ではないと思いますが、どのタイプの女性でも、私と話をしたり、私と過ごしていて、良い気分、楽しい気分、幸せな気分になってくれたら、私自身も、良い気分、楽しい気分、幸せな気分になれて、嬉しいです。」
前に投稿でアップした動画。
以下、参考の投稿。
学校でモテる男子の行動5選/もしもこんな仕事帰りの接待があるとしたら →
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2753826/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
前から投稿に書いて来ていますが、私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ました。それは、私の正義感(私は、自分が絶対的に正しいとか自分は絶対的に善であると言った事は、信じていません)に基づいた当然の行為でした。ただし、それをしないよりかは、した方が、結果として女性のモテるという事はあると思います。
また、私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は喧嘩に関する、武勇伝等は全くありませんがw、小学校・中学・高校の頃は、クラスに、クラスの男どもをしめようとする、いけ好かない男がいた場合は、私が、殴ったり、張り手をかましたりしたら、以後、私には干渉しなくなったものですw
(イケメンは、あまりそう言う事はないと思いますが)、美人さんも、イジメのターゲットとなります。実際、私が小学生の時も、イジメのターゲットとなってしまった美人さんの女の子がいますし、私が中学生の時も、イジメのターゲットとなってしまった、美人さんの女の子がいます。前述の通り、私のルールとして、当然、何れの女の子も、いじめっ子達から解放してあげました(前述の通り、私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ました。それは、私の正義感(私は、自分が絶対的に正しいとか自分は絶対的に善であると言った事は、信じていません)に基づいた当然の行為でした)。
ちなみに、私は、女性の、いじめっ子に対しては、いじめられっ子を助けるに際し、暴力に訴えた事は一度もありません。ちなみに、私には、姉も妹もいないという事もあると思いますが(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、女性との喧嘩で生まれてから一度も女性に暴力をふるった事はありません。一方、女性との痴話喧嘩でビンタとか女性に暴力をふるわれた事も一度もありません(その点、自分でいうのも何なんですが上手いのかも(何がw))。
ちなみに、小学生の時に、イジメのターゲットとなってしまった美人さんの女の子にも、中学生の時に、イジメのターゲットとなってしまった美人さんの女の子にも、いじめっ子達から解放してあげた後、「とても美人なんだから(ちなみに、いじめっ子達から解放してあげた子が美人さん以外の女の子・男子の場合は、存在の価値の肯定に関して、別の言葉を使いました)、きっと大丈夫。いじめっ子達の事は忘れて、きっと大丈夫だから前向きに生きて行って」と言った感じの言葉等で、存在の価値自体の肯定をしてあげてメンタルのフォローをしてあげたら(私は、マセガキでしたw)、何れの、いじめっ子達から解放してあげたの美人さんの女の子も、コロリと私に惚れてしまいましたw(前述の通り、私は、実生活において、個人的に、昔から、自分の容姿にある程度自信を持っている、美人の女性・可愛い女性の方が、親しくなり易いです)。存在の価値自体の肯定に関しては、以下の参考の投稿、「人の心を傷つけても平気な人の特徴」を参照して下さい。まあ「ありのままでいいんだよ」と言う言葉は、当時は、まだ使っていませんでしたが(私が「ありのままでいいんだよ」と言う言葉を使うようになったのは、私が高校生の時から)。
以下、参考の投稿。
人を愛せる人の特徴・人を愛せない人の特徴→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2761038?&sfl=membername&stx=jlemon
人の心を傷つけても平気な人の特徴→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2761037?&sfl=membername&stx=jlemon
(何れの、いじめっ子達から解放してあげた、美人さんの女の子とも交際しませんでしたが)、中学生の時に、いじめっ子達から解放してあげた、美人さんの女の子には告白されましたし、小学生の時に、いじめっ子達から解放してあげた、美人さんの女の子には、小学生の時に、好きと言われて(その女の子は、白人とのハーフの美人さんの女の子で、後に、モデルとなったのですが)、その女の子がモデルとして活動していた、私も、その女の子も若い頃、小学校の同窓会で再開したのですが、その女の子(当時、交際している男性がいました)に、今でも、好きだと言われました(まあ、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、又、その女の子に、同窓会で、再会した際に、今でも好きだと言われたからと言って、私が、少なくとも直ちに、その女の子を好きになると言う事は、全然ないので、同窓会で再開した際に、好きと言われた時も、私は、その事に関して、軽い感じで笑顔で「そう、嬉しいな」と言った程度の反応をしただけで、別に、それで、どうなると言った事はありませんでしたが)。
ちなみに、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、中山 美穂(nakayama miho)のような、当時、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人の事が好きでしたw 高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、好みの女性のタイプも変化したので、だんだんと、中山 美穂(nakayama miho)のファン(fan)でなくなって行きましたが。。。(上でリンクを付けた、「80年代の音楽の思い出前編」を参照)。
以下、前に行った、okamura takako-「夢をあきらめないで」という投稿の再投稿です。
岡村 孝子(okamura takako)-「夢をあきらめないで」。
以下、おまけ。前に行った、kjの投稿から、抜粋して来た物。
以下の、岡村 孝子(okamura takako)さんの動画は、実は、下の、nicodassさんの投稿、「想い出がいっぱい / H2O」の、外部リンクのyou tubeの関連動画として出て来た動画ですw
岡村 孝子(okamura takako)(1962年生まれ)は、1980年代後半から1990年代に活躍していた、日本の、女性、歌手(singer)・作詞家・作曲家(songwriter)です。
岡村 孝子(okamura takako)-「夢をあきらめないで」(1987年)。
上の動画の岡村 孝子(okamura takako)さんの顔は、以下の文の、私が大学の時、交際していた女の子の一人で、同じ大学に通っていた、私と同い年の、身長160cm位の、仙台美人の女の子の、当時の顔に、そっくり(とても似ている)と言う程ではありませんが、似ていますw その仙台美人の女の子の方が、上の動画の岡村 孝子(okamura takako)さんよりも、もう少し、目がぱっちりとしているが、鼻筋は、その仙台美人の女の子よりも、上の動画の岡村 孝子(okamura takako)さんの方が、もう少し通っている感じで、顔、全体としては、上の動画の岡村 孝子(okamura takako)さんよりも、当時の、その仙台美人の女の子の方が、もう少し、整っている感じでした。まあ、いずれにしても、その仙台美人の女の子の、当時の顔は、上の動画の、岡村 孝子(okamura takako)さんの顔と同系統の顔でした。
以下、少し前に行った、「女性と食べ物2」と言う、以下の投稿から抜粋して来た文です。
「女性と食べ物2」→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2619436?&sfl=membername&stx=jlemon
以下、上記の投稿から抜粋。
ちなみに、上で話した、大学生の時、当時、交際していた、学内の(同じ大学に通う)、私と同い年の、身長166cmから167cm位の、スラリとした(痩せた)体型の、モデル(model)系の外貌の、美人の女の子と、少し前の、「生活/文化」掲示板の、Dartagnanさんの投稿、「#186 昨日のサッカー日本代表戦」のレスにおいて書いた、大学の時、交際していた女の子の一人で、同じ大学に通う、私と同い年の、仙台出身の(実家が仙台の)、女の子は、別の女の子です。以下、「」内。該当の投稿の私のレスの中から抜粋した物。
「大学の時、交際していた女の子の一人で(済みません。当時は、お盛んで、二股以上かけてました。本当にごめんなさい。本当にワルでした)、同じ大学に通う、私と同い年の(当時、私と同じ21歳の)、仙台出身の(実家が仙台の)、色白で、目がぱっちりとした、仙台美人の(仙台美人と言うのか?w)、真面目系の(真面目な)、女の子がいるのですが、その女の子の一人暮らしのアパートで、その女の子(以下彼女と書きます)に料理を作って貰って一緒に食べたり、エッチをしたりして、一日中、過ごしていた、ある日の夜、私は、大学のお勉強、彼女は、ノートパソコンで、ブラインドタッチの練習をしていた時、彼女が、(その男性が大学生の時に)その男性の告白のようなもの一度断っているのにも関わらず、彼女が交際している男(私)がいる事を知っていながらも、極たまに、しつこく、彼女の家に、電話をかけてくる男性(同じ大学の、彼女の元先輩。当時、既に大学を卒業し、社会人(会社員)となっていた)がいたのですが、その男性が、電話をかけてきて、その際、電話の受話器を耳と肩で挟み、ブラインドタッチの練習を続けながら、(何とか、色々話題を出して、彼女との電話の時間を引き延ばそうとしている?)その男性の電話に、事務的に受け答えする彼女を、器用だなぁと思いながら(結局、彼女の電話受け答えの、無感情とやる気のなさが伝わったのでしょう、その男性の努力は、徒労に終わり、電話は割と短時間で終わりました)、眺めていました(綺麗な薔薇には棘があるの棘の部分を見た話w)。」
その、仙台出身の(実家が仙台の)、女の子は、身長は、160cm位で、顔は小さかったですが、別に、モデル(model)系の体型ではなく、普通の、痩せ型の、体型でした。
以上、前に行った、okamura takako-「夢をあきらめないで」という投稿の再投稿でした。
以下、前に行った、「 安室奈美恵-「White Light」」と言う投稿の再投稿です。
Chuning Candy-「Dance with me」(2018年)。沖縄(okinawa)の、女性アイドル(idol)グループ(group)(idol girl group)である様です。個性はないですが、元気で、明るい感じで、良いですね。間違っていたら、申し訳ありませんが、メンバー(member)の一部に、白人系の血が混じっている感じですね。
上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていましたが(少し、太っていましたが)、ぶっちゃけて言うと、私は、幼い頃・子供の頃、女性達に可愛がられ慣れていましたw 私は小学校低学年の頃、父の仕事の関係でアメリカに暮らしていたのですが、プールやビーチに遊びに行くと、よく、現地の、10代から20代初め位の白人のビキニのお姉さん達にcuteとか言われて可愛がられて、遊んで貰った記憶がありますw もう一つ、ぶっちゃけて言うと、私も弟も、幼い頃・子供の頃、大人達からの、可愛い・ハンサム・可愛くてハンサムと言った感じの、お世辞は言われ慣れていましたw ちなみに、私の父の家系は、長身の家系で、私の父は、身長は、177cmと、私の父親の世代にしては、背が高い方です(私の父は、兄弟は、弟が一人いるのですが、私の父の弟(私の父方の叔父)の身長は180cmです)。
ちなみに、私は、沖縄(okinawa)は保養・観光で、今まで結構訪れています。私は、子供の頃から10代の頃、親に連れられて、沖縄(okinawa)を旅行する際に、現地で、よくステーキを食べていた事から、沖縄(okinawa)と言えば、ステーキと言うイメージが、ちょっとありw、今でも、沖縄(okinawa)旅行の際には、ステーキを、ちょっと食べたくなりますw
私は、2回、カップルでの卒業旅行で沖縄(okinawa)に行っていますw 私が、卒業旅行として(卒業旅行の名目で)、沖縄(okinawa)を旅行した相手は、それぞれ、その時に交際していた女性で、一人は、当時、大学生であった女性で、もう一人は、当時、短大生であった女性で、それぞれ、海水浴の時期に行きました。私の大学時代の友人も、カップルでの卒業旅行で、沖縄(okinawa)に行った者が、何人かいますし、私の弟も、大学生の時、当時、交際していた女性と、カップルでの卒業旅行で沖縄(okinawa)に行っています(私の弟の場合、私の弟と私の弟が当時交際していた女性(私の弟が通っていた大学とは、別の大学に通っていた女性でした)の大学の卒業年度が重なった為、私の弟と私の弟が当時交際していた女性、両方にとっての(大学の)卒業旅行でした)。
私の弟(私は、兄弟姉妹は、2歳年下の、外資系の会社員の弟が、一人います)は、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。
弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。前述の通り、弟には、子供が、二人います。弟の子供は、まだ、二人共、幼いですが、とても可愛いです。
ちなみに、私の弟の、新婚旅行先は、ハワイ(Hawaii)でした。弟は、新婚旅行の時、ハワイ(Hawaii)では、海を楽しんだだけでなく、Mauna Kea等の、自然も楽しんだ様です。
ちなみに、私が、中学生の時、私の両親、私、私の弟、私の母方の祖母でハワイ(Hawaii)に家族で旅行に行った際に、父と私が二人で行動していた時、何故だか、アメリカ本土から旅行に来ていた見知らぬ白人系のアメリカ人の家族に、フランス人旅行客の父と息子に間違われましたw。基本、アメリカ人は、地理だとか国際感覚だとかアバウト(いい加減)だからなぁwと言う感じなのですが、それは、もしかしたら、父と私が、ソース顔であると言う事も関係していたのかもしれません。
私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。
私は、ソース顔です。私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、父がソース顔です。母は、それをソース顔と言うのか分かりませんが、母はYOUよりも遥かに年上の世代ですが、特に、今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が(老けてからのw)YOU(タレント)に似ていると言われていた事があります(今はさすがに、(いかに年齢の割に若く見えると言っても)、私の母は絶対的に年を取っているので(もう高齢者なので)、現時点のYOUに似ていると言うのも無理があります)。
母方の方では母方の祖母がソース顔です。東京都心部西部の静かで落ち着いた住宅地にある我が家の近所の私の実家は元々私の母方の祖父母の家で母方の祖父母が同居していたのですが(既に、母方の祖父母ともに亡くなっています)、私は大のおばあちゃん子で、私が実家で母方の祖母の部屋に遊びに訪れると母方の祖母はいつも満面の笑みで私を迎えてくれて、その母方の祖母の笑顔が今でも鮮明に記憶に残っています。
ちなみに、私は、日本人の男にしては腰の位置が高めなので、温泉旅館で、浴衣を着ると、白人系の男性が浴衣を着ているような感じになって、やや不格好になってしまいますw
東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。
我が家の近所の実家の私の母は、ある意味、ぶっ飛んだ面のある女性です。
私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装として)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw
安室奈美恵がSAMさんと結婚していた当時(記憶が曖昧ですがもしかしたら、まだ交際していた当時であったかもしれません)、私が若い頃よく利用していた東京都心の24時間営業のレストラン(店名を挙げてしまうと現在はもう営業していませんが、青山のSARAと言う店です)に、夜中に車で食事をしに行ったら、そのレストランで食事中の安室奈美恵とSAMさんに遭遇した事があります。
顔を好奇心からしっかり見たりするのは、相手に対して失礼であるので、私は、街中や飲食店等で、芸能人に出会っても、通常はごく自然に振る舞っているのですが、その時は、私も若く、(安室奈美恵は)私と同年代の人気女性アイドル歌手であるので少しは気になりましたw その時も、自然に振る舞っていたのですが、狭い店ですので、客同士、お互いの顔を、普通に軽くチェックする程度に、安室奈美恵と、お互いに一瞬目が合い、一瞬目をそらしましたw
今思えば、私は安室奈美恵のファンでも何でもありませんが、関係者でもファンでもない者が、5m以内位の近い距離に居合わす事は珍しいと思うので、迷惑にならない程度に、チラチラと顔を見る位はしても良かったのかなw
前述の通り、SARAは、狭い店ですので、私の入店時に、客同士、お互いの顔を、普通に軽くチェックする程度に、安室奈美恵と、お互いに一瞬目が合い、一瞬目をそらしたのですが、安室奈美恵とSAMさんが食事を終えて、安室奈美恵とSAMさんが席を立って、SAMさんが店のレジで会計をしている時に(SARAはテーブルで会計をするような店ではありません)、安室奈美恵は、まだテーブルで食事途中であった(その時、私は一人で食事をしていました)私の顔を振り向いて明らかに見たので、私がチラリと見返したら、安室奈美恵は、目と顔をそらしました。あれは何だったんだろうw 私はその時、別に写真週刊誌の記者と疑われるような(と言うか写真週刊誌の記者がどのような服を着ているのか分かりませんが、あくまで私のイメージw)ファッションでは全くなかったのにw
私は、安室奈美恵と同年代なのですが(安室奈美恵の方が私よりも少しだけ若い)、個人的に、安室奈美恵の引退に関して感慨深い物は何もありませんw ただ安室奈美恵さんは身内に関する事でとても悲しい経験をしているようですし、引退後の第二の人生を楽しく幸せに過ごせると良いなと思っています。
以下、2010年5月1日にkjに行った投稿の中から抜粋して来た物で、SARAに関する投稿です(ちなみに、SARAは、今は、もう営業していません)。以下の投稿文は、(一箇所、誤字を修正した以外は)、2010年5月1日に行った投稿の、投稿文、そのままの物で、2010年5月1日の投稿を前提として書かれています。
写真以下8枚。先週の月曜日は、夜遅くまで、職場(事務所)で仕事をしていました。夕食は、コンビニのパンや、お握りで済ませたのですが、深夜、腹が減ってしまって、ちょっと、気分転換に、散歩がてら、夜食を食べに、周辺の店へ。。。東京の都心部、青山(aoyama)に有る、小ぢんまりとした、24時間営業のレストラン、「Sara」で、食べました。この店は、若い頃に、よく利用していました。高校から大学に入ると、個人的に、夜遊びの拠点が、渋谷(shibuya)から、六本木(roppongi)、麻布(azabu)、青山(aoyama)辺りに移動したのですが(まあ、六本木(roppongi)辺りは、高校生の頃から、よく行っていましたが)、この店は、青山(aoyama)界隈のclubで、夜遊びした際に、よく利用していました。深夜、腹が減った時、ふっと思い立って、家(この頃は、実家暮らしだった(もっとも、我が家は、実家の近所で、我が家も実家も、同じ渋谷(shibuya)区の中北部に有る))から、自動車で、食べに行く様な事も有りました(夜中に、ふっと腹が減って、この店に、自動車で食べに行ったら、安室 奈美恵(amuro namie)とSAMが、食べていた、何て事も有りました)。しゃべり声の大きい客がいる場合を除いて、居心地の良い店です。全般的に、どれも普通の味と言った印象があるのですが(厳しく評価すれば、並の味)、メニュー(menu)の種類が、非常に豊富な店です。メニュー(menu)の種類が、非常に豊富で有ると言う点と、24時間営業で有ると言う点と、ファミリーレストラン(family restaurant)のchain店よりも、趣も雰囲気も有ると言った点が、この店の良い点かな。。。この店は、しばらく、御無沙汰していました(この店の界隈(青山(aoyama))のマンション(アパート)に小さな事務所を構える様になってから、逆に、一度も、行っていなかったw(まあ、その前も、さらに、しばらく行っていない状態だったけど。。。))。
写真以下6枚。店の外観と中の雰囲気。私の若い頃と基本的に変わっていない印象です。この店は、相当古くから、この地にある様です。
写真以下2枚。先週の月曜日(厳密には、既に火曜日になっていたけど)、この店で食べた夜食。ビールを飲みたい所だったけど、まだ、仕事が残っていたし、そもそも、この日は、自動車で通勤していたので、仕方なく、飲み物は、ジンジャーエール(ginger ale)。
焼き蕎麦。
チョリソ(chorizo)。
安室 奈美恵(amuro namie)-「Christmas Wish」(2016年)。
安室 奈美恵(amuro namie)-「White Light」(2005年)。
以下の、 MISIA -「Everything」 等と言う投稿も合わせて、ご覧ください。
MISIA -「Everything」 等(前に「生活文化掲示板に行った投稿に、新たに内容を追加した投稿です)→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/2766580?&sfl=membername&stx=jlemon
以下、最近の投稿。
やっぱり肉が好き→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_8/view/id/2766519?&sfl=membername&stx=jlemon