箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です(箱根(hakone)は、日本有数の温泉地となっています)。
山のホテルは、芦ノ湖(ashino湖)(箱根(hakone)にある大きな湖)の湖畔にある、高級リゾート(resort)ホテルです。庭園の、ツツジの花が綺麗な事で知られています。
山のホテルは、子供の頃、親に連れられた、箱根(hakone)の旅行で、1度、宿泊した事があります(それ以外にも、庭園を散歩したり、レストランで食事をする等しています)。
山のホテルは、日本最大級の財閥の一つであった、三菱(mitsubishi)財閥(近代の日本で最大級の財閥(近代日本の、三大財閥又は四大財閥)の一つ。現在の、三菱(mitsubishi)group(日本最大級の企業グループ(conglomerate)の内の一つ))のオーナー(owner)であり、貴族(男爵)でもあった、資本家の家、岩崎(iwasaki)家の、1911年に造られた、敷地面積、約100,000坪(約330,000平方m)の、箱根(hakone)の芦ノ湖(ashino湖)の湖畔の別荘(建物は、現存せず)の敷地の一部(半分弱)を利用して、1948年に開業したリゾート(resort)ホテルで、45,000坪(約149,000平方m)の敷地面積があります。この他にも、箱根(hakone)では、箱根(hakone)湯元(yumoto)areaにある(箱根(hakone)にある温泉地の一つ。箱根(hakone)の玄関口となっている)の、高級classの温泉旅館、吉池(yoshiike)旅館が、1904年から1908年位の間に整備された、元、岩崎(iwasaki)家の、箱根(hakone)湯元(yumoto)areaの別荘の敷地(面積約10,000坪(約33,000平方m))に建っています。
東京中心部にも、元、岩崎(iwasaki)家の邸宅、別荘(別邸)であった場所が、かなりあり、岩崎(iwasaki)家は、第二次世界大戦前は、たくさんの、とても広い敷地の邸宅・別荘を保有していた様です。岩崎(iwasaki)家は、元々、侍(samurai)の家柄ではあったが、侍(samurai)の中でも、身分の非常に低い家柄であった為?、いくら財産を築いても、近代貴族としては、男爵(最も、身分の低い爵位。日本の近代貴族の爵位は、身分が高い順に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵)止まりでしたが、おそらく、第二次世界大戦前において、日本で、最も富裕な家族の一つであったでしょう。
ちなみに、第2次世界大戦後、貴族、資本家、地主等の日本の上流階級は、貴族制度の廃止、財閥の解体、地主や広い土地を持っている者に、従来よりも不利益となる制度改革等により、かなりの土地と財産を処分せざるを得なくなり、(以前の様に贅沢な暮らしが出来なくなり)、没落しました。
https://youtu.be/YxS1v4unOZY?si=uSRfKN_cnVxOTcsG
動画は、借り物。少し古い動画ですが(4年程前の動画)、山のホテル。前述の通り、山のホテルは、岩崎(iwasaki)家の、1911年に造られた、敷地面積、約100,000坪(約330,000平方m)の、箱根(hakone)の芦ノ湖(ashino湖)の湖畔の別荘(建物は、現存せず)の敷地の一部(半分弱)を利用して、1948年に開業した、高級リゾート(resort)ホテルです。山のホテルは、2回から3回、建物を建て替えており(2回か3回か、軽く調べた限りでは分かりませんでした。詳しく調べれば、分かると思いますが、詳しく調べるのが、面倒くさいw)、現在の建物は、1978年に建てられた建物になっています。
山のホテルは、1968年に(先代の建物の時に)、アラン・ドロン(Alain Delon。フランスの有名な俳優)が来日した際に(日本に訪れた際に)、宿泊して、休日を過ごした様です。
山のホテルに関して、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
75年の歴史を有するホテル ハロウィン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746107?&sfl=membername&stx=nnemon2
下で紹介している、溝口
健二(mizoguchi kenji)監督の、1950年の、日本映画、雪夫人絵図(Portrait of Madame
Yuki)において、雪(yuki)の幼馴染で(元々、雪(yuki)の家で、書生(syosei)をしていた)、琴(日本の伝統楽器の一つ)の先生をしている男性の、お気に入りのホテルとして、まだ、開業して間もない頃の、箱根(hakone)の、山のホテルが登場しています。
熱海(atami)は、東京に近い、規模の大きな温泉保養地です。第二次世界大戦後は、東京から1泊2日で気軽に行ける大衆的な温泉保養地として、急速に開発されましたが、第二次世界大戦前は、(中流階級から庶民の夫婦の)新婚旅行のメッカ(mecca)として、又、富裕層の別荘地として、有名でした。
起雲閣(kiunkaku)は、1919年に、最初の建物が建てられた、熱海(atami)の、別荘建築で、元々、根津(nezu)財閥(下の補足説明を参照)の当主家である、根津(nezu)家の、別荘であった物です(1925年から1944年までは、根津(nezu)家の、別荘でした)。
根津(nezu)財閥:日本の、かつての中堅財閥(中規模財閥)の一つで、東武(tobu)鉄道(下の補足説明参照)の経営を核とした(中心とした)財閥。
東武(tobu)鉄道:1899年に、最初の路線を開業。東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つ。主として、東京都心部と、東京圏の北部(東京の北部郊外・近郊)を結ぶ、通勤電車・近郊電車・観光電車路線を運営している鉄道会社。
根津(nezu)財閥及び、根津(nezu)家に関しては、以下の投稿も参照して下さい。
太田記念美術館 着物に着目した浮世絵展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3738734?&sfl=membername&stx=nnemon2
70年近い歴史を有する梅の名所の公園他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3644070/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
起雲閣(kiunkaku)は、1947年に、温泉旅館となり、2000年には、熱海(atami)市の所有となり、文化財に指定されて、一般に、公開されています。
下で紹介している、溝口 健二(mizoguchi kenji)監督の、1950年の、日本映画、「雪夫人絵図(Portrait of Madame Yuki)」において、起雲閣(kiunkaku)は、大観荘(taikanso)と共に、第二次世界大戦後、没落した、上流階級(貴族)の家の娘、雪(yuki)の家に、唯一、残った、熱海(atami)の、温泉風呂がある、別荘(雪(yuki)は、その別荘を、温泉旅館にし、温泉旅館を経営する事になる)として、撮影場所に使われています(温泉風呂は、起雲閣(kiunkaku)の、温泉風呂)。丁度、元々、別荘であった起雲閣(kiunkaku)が、温泉旅館になって間もない頃ですね。ちなみに、起雲閣(kiunkaku)と共に、撮影場所として使われた、大観荘(taikanso)は、元々は、日本の、鉄鋼関係の、実業家の、1940年に建てられた別荘であった物で、1948年に温泉旅館となった、熱海(atami)にある、高級温泉旅館です→
https://www.atami-taikanso.com/
大観荘(taikanso)に関しても、丁度、元々、別荘であった大観荘(taikanso)が、温泉旅館になって間もない頃に、「雪夫人絵図(Portrait of Madame Yuki)」の撮影場所として使われた様です。
溝口 健二(mizoguchi kenji。1898年生まれ。1956年に亡くなる)は、日本の、世界的に有名な映画監督の一人です。
以下、「」内。溝口 健二(mizoguchi kenji)及び溝口 健二(mizoguchi kenji)の世界的な影響について、基本的に、wikiから抜粋して来た物です。
「ワンシーン・ワンショットや移動撮影を用いた映像表現と完全主義的な演出で、社会や男性の犠牲となる女性の姿をリアルに描いたことで知られている。溝口 健二(mizoguchi kenji)は、生涯を通して、封建的な社会や男性の犠牲となる女性を描き続けた。
1950年代にヴェネツィア国際映画祭(Venice Film Festival)で作品が3年連続で受賞してからは、国際的にも高い評価を受けた。特に、フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ(Cahiers du Cinéma)』の同人で、作家主義批評を展開した若手批評家のジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)、ジャック・リヴェット(Jacques Rivette)、エリック・ロメール(Éric Rohmer)等が、溝口 健二(mizoguchi kenji)を熱狂的に賞賛した(フランスの映画監督ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)は、溝口 健二(mizoguchi kenji)を熱狂的に賞賛し、影響を受けた監督として知られる)。同誌が発表する年間作品トップテン(英語版)では、1959年に『雨月物語(Ugetsu)』(1953年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)が1位に選ばれ、翌1960年には『山椒大夫(Sansho the Bailiff)』(1954年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)も1位に選ばれた。『カイエ・デュ・シネマ(Cahiers du Cinéma)』の批評家は、溝口 健二(mizoguchi kenji)を日本映画や西洋映画と言った枠を超えた、世界共通の映画言語であるミザンセーヌを持つ普遍的な映画作家として高く評価した。中でも、ゴダール(Jean-Luc Godard)は溝口 健二(mizoguchi kenji)を「最大の映画作家の一人」と呼ぶ等して強く傾倒し、1966年の来日時には、溝口 健二(mizoguchi kenji)の碑を訪れている。
『カイエ・デュ・シネマ(Cahiers du Cinéma)』の批評家は、1950年代後半に映画監督となり、ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague・French New Wave)の旗手として活躍したが、その作品にも、溝口 健二(mizoguchi kenji)の作品の影響が見られた。リヴェット(Jacques Rivette)の『修道女(The Nun)』(1966年)は、『西鶴一代女(The Life of Oharu)』(1953年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)から影響を受けた事を監督自身が明らかにしている。ゴダール(Jean-Luc Godard)は『軽蔑(Contempt)』(1963年)の終盤の海へパンニングするシーンで、『山椒大夫(Sansho the Bailiff)』(1954年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)のラストシーンを引用した。ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard)は『気狂いピエロ(Pierrot le Fou)』(1965年)のラストシーンでも同様のオマージュをしており、さらに『メイド・イン・USA(Made in U.S.A)』(1966年)では「ドリス・ミゾグチ(Doris Mizoguchi)」という名前の日本人女性を登場させている。
ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague・French New Wave)以外の監督では、溝口 健二(mizoguchi kenji)と同様に長回しと移動撮影を得意とするテオ・アンゲロプロス(Theo Angelopoulos)が、そのスタイルについて溝口 健二(mizoguchi kenji)から影響を受けており、ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)も溝口 健二(mizoguchi kenji)の流麗なカメラワークの影響を受けている。アンドレイ・タルコフスキー(Andrei Tarkovsky)は、『雨月物語(Ugetsu)』(1953年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)を好きな作品の1本に挙げている。他にも、ジャン・ユスターシュ(Jean Eustache)、オーソン・ウェルズ(Orson Welles)、ヴィクトル・エリセ(Víctor Erice)、ピーター・ボグダノヴィッチ(Peter Bogdanovich)、マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese)、アリ・アスター(Ari Aster)等の監督が溝口 健二(mizoguchi kenji)を高く賞賛したり、その影響を受けたりしている。 」
以下、以下の投稿から抜粋して来た物です。『雨月物語(Ugetsu)』(1953年の、日本の映画。溝口 健二(mizoguchi kenji)の監督作品)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
雨月物語(18世紀の日本の怪奇・怪談小説集)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3735879?&sfl=membername&stx=nnemon2
動画は、借り物。雪夫人絵図(Portrait of Madame Yuki)。溝口 健二(mizoguchi kenji)監督の、1950年の、日本映画。1948年から1950年に発表された同名の小説を基にした、第二次世界大戦直後の混乱期(1940年代後期から1950年頃)の日本を舞台とした映画です。
以下、「」内。この映画の、あらすじです。とても、大雑把で、曖昧な、あらすじの説明なので、細かい点に、間違っている部分があったら、申し訳ありません。この映画は、今の価値観には合わない映画かもしれません。まあ、今でも、不良・遊び人・悪い・酷い男性に、酷い事をされながらも、その様な男性に、惹かれてしまう女性が、一定程度存在する事も確かですが。
「第二次世界大戦後、没落した、長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)の、上流階級(貴族)(子爵)の家の娘、雪(yuki)(父は、映画の冒頭部分で亡くなり、母も、既に亡くなっているかでいない)は、雪(yuki)の家に、唯一、残った、熱海(atami)(下の補足説明を参照)の、温泉風呂がある、別荘を、温泉旅館にし、温泉旅館を経営する事にする。
遊び人(女遊びも酷い)の夫(夫は、雪(yuki)の家の婿養子)に、酷い事をされ苦しみながらも、それでも夫の事が好きで離れられなく、夫に翻弄される、雪(yuki)の人生を、幼い頃から雪(yuki)に憧れて雪(yuki)の家の女中(maid)となった若い女性と、雪(yuki)の幼馴染で(元々、雪(yuki)の家で、書生(syosei)(下の補足説明を参照)をしていた)、琴(日本の伝統楽器の一つ)の先生をしている、ハンサムな男性の視点も通じて、描いた作品。雪(yuki)の幼馴染で、琴(日本の伝統楽器の一つ)の先生をしている男性(以下、その男性と書きます)は、雪(yuki)に、絶えず、自立して、強い女性になり、夫と別れて、幸せになりなさいとアドバイスしている(助言を行っている)。その男性は、おそらく、雪(yuki)に、好感・好意は、持っているが、雪(yuki)に、まだ、恋愛感情を持つまでには、至っておらず、雪(yuki)が夫と別れても、雪(yuki)と交際したり結婚したいとも、べつに思っていない感じで、単純に、どうなろうとも(将来、雪(yuki)が、自分と交際・結婚をしてもしなくても)、雪(yuki)に幸せになって欲しいと願っている。雪(yuki)も、おそらく、その男性に、好感・好意は、持っているが、まだ、恋愛感情を持つまでには、至っていない」
書生(syosei):家賃を払わずに、他人の家に住まわせて貰う代わりに、簡単な家の手伝いを行いながら、勉強に励む学生。第二次世界大戦前においては、少なからぬ富裕層の家庭が、書生(syosei)を受け入れていました。
熱海(atami):東京に近い、規模の大きな温泉保養地。第二次世界大戦後は、東京から1泊2日で気軽に行ける大衆的な温泉保養地として、急速に開発されたが、第二次世界大戦前は、(中流階級から庶民の夫婦の)新婚旅行のメッカ(mecca)として、又、富裕層の別荘地として、有名であった。