武内宿祢は、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)の各天皇に仕えたという伝説上の忠臣である。紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏など中央有力豪族の祖ともされる。
なので古代の大王である。
その寿命は300年を超えており単なる個人ではありえない。
この武内宿祢についての妄想を述べる。
さて、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の各天皇の時代にあったことは、ヒボコ族の半島~九州~大阪への移住である。
この移住は、最終的に半島から大阪に移住することは、半島をでるときにはプランとしてあったのではないか。
でないと、リスクをおかして移住には踏み切れないだろう。
半島で外敵と戦うよりも大阪に移住して、干拓を行い、新たな土地を得てそこを安住の地とするほうがはるかにましである。
では、大阪に干拓すれば土地になることに最初に気づいた半島人は誰なのであろうか。
崇神天皇の時代に半島人のソナカシチが来日して、3年間日本に留まっている。
ソナカシチは、柑橘類のタチバナについて不老長寿の薬を見つけたといった。
おそらく、不老長寿の薬を探すという名目で日本各地を探索したのではないだろうか。
そして、大阪を干拓すれば、新たな土地ができ、争うことなく安住の地を得ることができることに気づいた。
ソナカシチは、半島に帰り、そのプランをヒボコ族全体に共有させたと考えられる。
そして、そのプランを実現する役職を設けた。
それが武内宿祢ではないか。
つまり、武(力)を内(大阪干拓)に向けるというネーミングである。
なので、武内宿祢は、ヒボコ族の総大将といえる。
仁徳天皇の代に大阪干拓をなし、武内宿祢は役割を終えた。
こうすると、大和の中央豪族はヒボコ族の末裔ということになる。
実際に葛城氏・蘇我氏などは半島と縁が深い。
大阪干拓
仁徳天皇の時代、河内湖の砂州の百済(mozumi)原(上町台地)に運河(堀江)を掘削して、河内湖の水を海に流した。
古代の大阪と河内湖

天皇の別荘地であった沼津御用邸記念公園において故事にちなんだタチバナ羊羹
まあ、店員に説明を聞かされた。
こちらがいろいろ言ったら怪訝な顔をされた。
