以下、「旗本(hatamoto)退屈男」に関しては、wikiを参考にしました。
「旗本(hatamoto)退屈男」は、佐々木 味津三(sasaki mitsuzo)(下の補足説明を参照)による、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)を舞台とした、大衆小説(大衆向けの小説・エンターテインメント(entertainment)小説)シリーズ(series)です。最初の作品は、1929年に登場し、以後、11作品が発表されました。
佐々木 味津三(sasaki mitsuzo):1896年生まれ。1934年に亡くなる。1910年代後期から活躍していた、日本の、大衆小説家(大衆向けの小説家)。主に、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)を舞台とした小説で活躍。1934年、急性肺炎により、37歳の若さで亡くなる。
「旗本(hatamoto)退屈男」は、東京を舞台とした作品で、退屈で、暇を持て余している、17世紀後期から18世紀初め頃の、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家(下の補足説明を参照)の家来の、独身の、侍(samurai)(役人としての役職はないが(役人としては無職であるが)、裕福)、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)(架空の人物)を主人公とした作品で、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)が、暇つぶしの為に、様々な事件に、首を突っ込み(深入りをし)、活躍すると言った内容の、小説シリーズ(series)です。
徳川(tokugawa)将軍(shogun)家:江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)に、東京の、江戸(edo)城(castle)(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の、中心的な、城(castle)。東京都心部でも中心的な地域にあった)を拠点として、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治していた家。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、徳川(tokugawa)将軍(shogun)家に関する参考の投稿。
江戸城跡・旧徳川邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3901679/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
市川 右太衛門(ichikawa utaemon)(1907年生まれ。1999年に亡くなる)は、1920年代中期から1960年代中期頃まで活躍していた、日本の、俳優で、日本の、時代劇(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)以前を舞台とした、映画・テレビのドラマ(drama))の、スター(star)俳優の一人です(大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)の、鉄工所(鉄の加工工場)を営む家に生まれる。芸能好きの両親の影響で、1910年代初め、子役の頃から、舞台俳優として活動を行い、その後、歌舞伎(kabuki)(日本の、伝統、大衆演劇の一つ)の俳優を経て、1925年に、映画界に入る。1960年代中期以降は、主に、舞台俳優として活動した。ちなみに、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)は、テレビのドラマ(drama)は、「せわしない(落ち着いていない)」と、あまり好んでいなかった為、テレビのドラマ(drama)の出演本数は、少ない様です)。ちなみに、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)は、同時代に、時代劇(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)以前を舞台とした、映画・テレビのドラマ(drama))の、スター(star)俳優として活躍していた、日本の他の、5人の俳優、阪東 妻三郎(bando tsumasaburo)、大河内 傳次郎(ookouchi denjirou)、嵐 寛壽郎(arashi kanjyurou)、片岡 千恵蔵(kataoka chiezo)、長谷川 一夫(hasegawa kazuo)と共に、時代劇(江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)以前を舞台とした、映画・テレビのドラマ(drama))の、6大、スター(star)俳優と呼ばれていた様です。
「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の映画シリーズ(series))は、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)の役を演じる、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)主演の、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)を舞台とした、日本の映画シリーズ(series)で、「旗本(hatamoto)退屈男」(佐々木 味津三(sasaki mitsuzo)による、日本の、小説シリーズ(series))を原作とした、映画シリーズ(series)です。
「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の映画シリーズ(series))は、1930年から1963年まで、全部で、30作品が、制作・公開されました。
「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)は、「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の映画シリーズ(series))の末期の作品の一つです。
現在、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)が、you tubeで、期間限定で(10月3日の16時から10月19日の23時59分まで)、公式で、公開中です。
以下、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)の、概要です(基本的に、公式より)。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の東京を舞台とした映画です。
昔の密輸(犯罪)仲間が、現在は、過去を隠し、それぞれ裕福な商人となりながら、財力への執着から殺人を引き起こす。
早乙女主水之介(saotome mondonosuke)に親しみを感じ自発的に仕える庶民である勘吉(kankichi)は、船宿(funayado)(下の補足説明を参照)を営む家の娘、お良(oyoshi)の踊りを退屈そうに眺める、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の家来の、独身の、侍(samurai)。役人としての役職はないが(役人としては無職であるが)、裕福)を誘い出した。早乙女主水之介(saotome mondonosuke)の、馴染みの芸者(geisha)(下の補足説明を参照)、お染(osome)が、独立し(芸者(geisha)を辞め)、居酒屋を開店したというのである。
船宿(funayado):説明は、wikiから借りて来ました。船を貸し出す店。飲食店を兼ねる場合もある。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の日本において、東京や大阪等の、川沿いの大都市に成立した。江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)において、東京や大阪等には、川が多く、遊び客にとって船宿(funayado)は欠かせない存在であった(特に、東京は縦横に河川や運河がめぐらされており、ヴェネツィア(Venice)にも匹敵する水運都市だったため、随所に(所々に・あちこちに)船宿(funayado)が存在した)。
芸者(geisha):舞踊等で、客をもてなす、日本の、古くからある、伝統的な職業の、女性。外国では、混同される事もあるが、遊女(yuujyo)(日本の、伝統的な、売春婦)とは、あくまで、区別される。遊女(yuujyo)は、売春婦であるのに対し、芸者(geisha)は、宴会(party)の席等で、客をもてなす、日本の、伝統的な職業の、女性(愛人関係等、客と、男女(男と女)の関係等になる事はあるが、それは、芸者(geisha)としての職業の範囲外での話)。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
芸者(geisha)・舞妓(maiko)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3856449/page/17?&sfl=membername&stx=nnemon2
その数日後、勘吉(kankichi)が、お染(osome)が何者かに誘拐されたと飛び込んできた。日頃、お染(osome)を狙っていたらしい不良の侍(samurai)達は、関係がないようだ。勘吉(kankichi)も、あちこち飛び廻り、その結果、お染(osome)の、芸者(geisha)時代の常連の客であった、東京で、有数の、金持ちの商人であり、廻船問屋(商船に関する、様々な業務を行う店)の平戸屋(hiradoya)の経営者の、六右衛門(rokuemon)も失踪している事が分かった。お良(oyoshi)の親友(踊りの趣味の仲間)である、六右衛門(rokuemon)の娘、おしま(oshima)の嘆きもよそに、六右衛門(rokuemon)は、お染(osome)と抱き合い心中(一緒に自殺)をしていた。傷心の、おしま(oshima)を慰める顔ぶれのうち、穀物商人、油の卸売り商人、平戸屋(hiradoya)の支配人等の顔があった。
以上、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)の、概要でした。
ちなみに、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)の最後の方の舞台は、六右衛門(rokuemon)が、東京内に建てた、巨大な珊瑚の柱を有する、別荘となっています。

写真は、借り物。現在、期間限定で、you tubeで、公式で公開中の、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)の、サムネイル画像。右、主人公の、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家の家来の、独身の、侍(samurai)。役人としての役職はないが(役人としては無職であるが)、裕福)の役を演じる、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)(当時54歳)。左、お良(oyoshi)(船宿(funayado)(船を貸し出す店。飲食店を兼ねる場合もある)を営む家の娘。早乙女主水之介(saotome mondonosuke)の事が好きで、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)の邸宅に、頻繁に、出入りしている(訪れている))の役を演じる、水谷 好重(mizutani yoshie)(1939年生まれ。当時22歳。1950年代中期から活躍していた、日本の女優・歌手。1960年代後期からは、主に、舞台女優として活躍。身長170cmの長身。父親は、日本の歌舞伎(kabuki)俳優、母親は、水谷 八重子(mizutani yaeko)(1905年生まれ。1979年に亡くなる。1910年代から活躍していた、日本の女優))。ちなみに、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)において、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)と、お良(oyoshi)の関係は、お良(oyoshi)は、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)の事が好きであり、早乙女主水之介(saotome mondonosuke)は、お良(oyoshi)に好意を持っており(お良(oyoshi)の事を可愛いと思っており)、友達以上恋人未満の関係、又は、交際はしていないが、交際に近い関係と言った設定となっています。
現在、you tubeで、期間限定で(10月3日の16時から10月19日の23時59分まで)、公式で、公開中の、「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)(フル)→
https://youtu.be/sQT2ydUN1og?si=j-oG6F-YssGCF6DG
「旗本(hatamoto)退屈男 謎の珊瑚屋敷」(1962年の、日本の映画)、昨日、彼女と我が家のテレビで見てみましたが、普通と今一つの中間位と言った感じでした。ストーリー(話)が、少し、平凡・凡庸な気がしました。まあ、エンターテインメント(entertainment)映画としては、これで、良いのかな。
ちなみに、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)の、息子(男の子供)の一人(次男)は、北大路 欣也(kitaooji kinya)(1943年生まれ。1950年代中期から活動を行い、1950年代後期から近年まで活躍していた、日本の俳優)です。
北大路 欣也(kitaooji kinya)(市川 右太衛門(ichikawa utaemon)の、息子(男の子供)で、俳優)→
https://youtube.com/shorts/0VY3LdInV9g?si=chpFJAIMUCVuc5Zc
ちなみに、「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の映画シリーズ(series))の衣装デザイン(design)は、後述する、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)が手掛けています。「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の小説シリーズ(series))の映画化は、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)の発案に依るもので、「旗本(hatamoto)退屈男」(日本の映画シリーズ(series))の衣装デザイン(design)は、市川 右太衛門(ichikawa utaemon)の希望により、第二次世界大戦前から、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)が手掛けていました。
以下、基本的に(参考の投稿を入れ替えています)、一昨年の10月の上旬に行った投稿の再掲です。
8月の下旬、前日に我が家に泊まった彼女と、この時、東京ステーションギャラリー(tokyo
station gallery)で、行われていた、甲斐庄 楠音(kainosyou
tadaoto)の作品の、展覧会(exhibition)を見て来た時(以下、この日と書きます)のものです。
この前日の夕食は、彼女と、私の街の飲食店で、しっかりとした内容の夕食を、のんびりと、2時間程かけて、会話を楽しみながら食べました。
前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、この日は、野菜サラダ(salad)と果物だけ食べて、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置しています)を出ました。
東京駅は、東京都心部の中でも、中心的な地域に位置しています。
東京駅は、旧新橋(shinbashi)駅(1872年開業)に代わる、東京の、新たな、南の(kansai(大阪・京都・神戸(kobe)(東京に次ぐ、日本第二の人口を有する大都市圏))方面への)、鉄道の玄関口(gateway)として、1914年開業した鉄道駅です。東京駅は、東京を代表する駅で、言わば、東京の顔と言える、鉄道駅です。
旧新橋(shinbashi)駅(1872年開業)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。
加賀象嵌(金沢の伝統工芸)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3818056/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京駅は、個人的に、私が、東京の六大主要駅と呼んでいる駅(東京駅、新宿駅(1885年開業)、渋谷(shibuya)駅(東京都心部の西部に位置する。1885年開業)、池袋(ikebukuro)駅(東京都心部の北西部に位置する。1903年開業)、上野(ueno)駅(東京都心部の北東部に位置する1883年開業)、品川(shinagawa)駅(東京都心部の南部に位置する。1872年開業))の内の一つで、個人的に、六大主要駅の中でも、筆頭(最も格の高い駅)と考えています。東京駅は、現在は、乗降客数は、新宿駅(東京で、最も、乗降客数が多い駅。東京都心部の西部に位置する)等に比べて少ないですが、依然として、東京だけでなく、日本でも有数の乗降客数の多い駅であり、また、昔も今も、東京の駅の中で、最も、鉄道の発着数が多い駅となっています。

写真は、借り物。1914年、建てられた当時の東京駅の建物の写真。この建物(設計は、辰野 金吾(tatsuno kingo)(日本の、近代、建築家。1854年生まれ。1919年に亡くなる)が、行いました)は、現在も、東京駅の駅舎(駅の建物)の一つ(丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物))として、活用されています。
東京駅の、丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物)(1914年完成)の、全景の模型。
写真以下22枚。東京駅の、丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物)(1914年完成)及び、その周辺の風景(写真は、必ずしも、撮影した順番に並んでいる訳ではありません)。丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物)の周辺地域は、古くからの、東京を代表するビジネス(business)の中心地区であり、言わば、東京の顔と言えるエリア(area)となっています。
東京ステーションホテル(TOKYO
STATION
HOTEL)は、東京駅の丸の内(marunouchi)側の駅の建物(1914年完成。文化財に指定されている)の中に入る、歴史のある(歴史の古い)、高級ホテルです。1915年、東京の玄関のホテルに相応しい、当時、最先端の設備を備えたホテルとして開業し、開業以来、日本国内外から、多くの来賓を迎えて来ました。多くの、文人(作家等)にも愛され、江戸川
乱歩(edogawa rampo)の「怪人二十面相(kaijin nijyumensou)」では、東京ステーションホテル(TOKYO
STATION HOTEL)の客室が舞台になりました。
東京ステーションホテル(TOKYO STATION
HOTEL)は、個人的に、飲食店は、利用していますが、宿泊した事はありません(東京ステーションホテル(TOKYO STATION
HOTEL)は、我が家から近くて、基本的に泊まる意味がありませんが、個人的に、古い建物に興味があるので、べつに、今すぐでなくても、いつか泊まってみても良いかなと思っています)。
東京ステーションホテル(TOKYO
STATION
HOTEL)は、飲食店は、日本料理・鉄板焼(teppanyaki)レストランが一つ、フランス料理レストランが1つ、中国料理レストランが1つ、イタリア料理レストランが1つ、寿司レストラン(寿司食堂)が1つ、焼き鳥(鶏肉串)レストラン(焼き鳥(鶏肉串)食堂)(焼き鳥(鶏肉串)は、一般的には、庶民的な食べ物ですが、東京ステーションホテル(TOKYO
STATION
HOTEL)の、焼き鳥(鶏肉串)レストラン(焼き鳥(鶏肉串)食堂)は、高級、焼き鳥(鶏肉串)レストラン(焼き鳥(鶏肉串)食堂)です)が1つ、ラウンジ(lounge)が2つ、バー(bar)が2つあります。
この日の昼食(前述の通り、前日に我が家に泊まった彼女と、朝寝坊をし、野菜サラダ(salad)と果物だけ食べて出て来たので、実質的には、遅い朝食兼昼食と言った感じでしたが)は、東京ステーションホテル(TOKYO
STATION HOTEL)の、イタリア料理レストランで食べました。東京ステーションホテル(TOKYO STATION
HOTEL)の、イタリア料理レストランは、前に利用した事がありましたが、美味しいです。
写真以下4枚。東京ステーションホテル(TOKYO
STATION
HOTEL)の、イタリア料理レストランで食べた、この日の昼食(実質的には、遅い朝食兼昼食と言った感じ)。全て、一人一皿ずつです(写真は、一人分)。これにパンが付きます。しっかりとした昼食としては、軽い物を食べましたが、彼女と、のんびりと、会話を楽しみながら、1時間半(1時間30分)程かけて、食べました。ちなみに、この時、私は、飲み物は、お酒は、主に、赤ワイン(wine)を飲みました。
前菜。涼風前菜盛り合わせ。
パスタ(pasta)。国産牛(日本産牛肉)とたっぷりの玉葱で作ったナポリ風ジェノベーゼ パスタ 「ズィーティ」 。2人共、同じパスタ(pasta)(国産牛(日本産牛肉)とたっぷりの玉葱で作ったナポリ風ジェノベーゼ パスタ 「ズィーティ」)を選びました。
メイン(main)料理。岩中(iwacyu)豚(岩手(iwate)県(日本の東北地方に位置する県の一つ)産の高級豚肉)の、肩ロース(肩loin)の、ロースト(焼き物)。塩レモンのコンディメント
。2人共、同じ、メイン(main)料理(岩中(iwacyu)豚(岩手(iwate)県(日本の東北地方に位置する県の一つ)産の高級豚肉)の、肩ロース(肩loin)の、ロースト(焼き物)。塩レモンのコンディメント)を選びました。
デザート(dessert)。
写真以下5枚。東京駅の、丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物)(1914年完成)及び、その周辺の風景例。この日の全般的な天気は忘れてしまいましたがw、昼食を食べた後、昼食前よりも、雲が減り、天気が、より(相対的に)良くなっていました。
東京ステーションホテル(TOKYO
STATION
HOTEL)の、イタリア料理レストランで昼食(前述の通り、実質的に遅い朝食兼昼食と言った感じでしたが)を食べた後、この時、東京ステーションギャラリー(tokyo
station gallery)で、行われていた、甲斐庄 楠音(kainosyou
tadaoto)の展覧会(exhibition)を見ました。
東京ステーションギャラリー(tokyo station gallery)は、東京駅の、丸の内(marunouchi)側の駅舎(駅の建物)(1914年完成)に入っている、近代美術を中心とした展覧会(exhibition)を行っている、小規模な美術館です。
写真以下4枚。東京ステーションギャラリー(tokyo station gallery)の内装。
この時、東京ステーションギャラリー(tokyo
station gallery)で、行われていた、甲斐庄 楠音(kainosyou
tadaoto)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)は、私も彼女も、気になっていた展覧会(exhibition)です。この時、この展覧会(exhibition)の会期の終了が近くなっていました(私も、彼女も、出足が遅いw)。この展覧会(exhibition)、見応えがありました。この展覧会(exhibition)、まあまあ(ある程度)混んでいましたが、作品を、ゆったりと見て回るのに、全く、支障がない程の、混み具合でした。
この展覧会(exhibition)、良かったです(彼女も、良かったと言っていました)。
甲斐庄
楠音(kainosyou tadaoto)(1894年生まれ。1978年に亡くなる)は、画家(近代、日本伝統画家)・風俗考証家です。甲斐庄
楠音(kainosyou
tadaoto)は、元々、近代、日本伝統画家として、1910年代から活動をし、1910年代後期頃から活躍、1920年代に、高い人気を得ていましたが、1940年代からは、主に、映画の時代風俗考証家として、映画の衣装デザイン(design)等の分野で活躍する様になり、多くの日本映画に関わりました。1953年の、ヴェネツィア国際映画祭(Venice
International Film Festiva)で、銀獅子賞(Silver Lion)を受賞した、溝口 健二(mizoguchi
kenji。日本の世界的に有名な映画監督の一人。1898年生まれ。1956年に亡くなる)監督の、日本映画、「雨月物語(Ugetsu)」(1953年)において、甲斐庄
楠音(kainosyou tadaoto)は、アカデミー衣裳デザイン賞(Academy Award f or Best Costume
Design)にノミネートされています。
この展覧会(exhibition)では、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)の絵画作品と、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)が手掛けた、映画の衣装等が展示されていましたが、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)の絵画作品の方が、面白く(興味深く)、良かったです(彼女も、同様の感想でした)。
写真以下。この展覧会(exhibition)の展示作品例。この展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)より。。。下で紹介している作品は、全て、甲斐庄 楠音(kainosyou tadaoto)の作品です。
「女人像」(1920年頃)。
写真右上の、踊っている女性の絵、「幻覚(踊る女)」(1920年頃)。
写真中央、横になっている(寝ている)女性の絵、「春」(1929年)。
写真下側、立っている女性の絵、「横櫛」(1916年頃)。
写真左側の衣装。「旗本(hatamoto)退屈男 謎の南蛮太鼓」(1959年の日本の映画)の衣装。
写真上側の、立っている女性の絵、「横櫛」(1916年頃)。
写真下側の絵、「畜生塚」(1915年頃)。
写真左側の衣装。「旗本(hatamoto)退屈男 謎の暗殺隊」(1960年の日本の映画)の衣装。
この日の夕食は、我が家に帰って来てから、彼女と食べたのですが、彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、(我が家に買ってあって冷凍保存して置いた)マートの鰻を使って(1人1尾ずつ使いました(1人1尾ずつ食べました))、作った、鰻丼(鰻重)にしました(美味しかったです(彼女も、美味しいと言って食べていました))。
この日も、彼女は、我が家に泊まりました。