命令は命令だ、と兵隊に対しては言われる。
法律は法律だ、と法律家は言う。
しかし、兵隊が、その命令は重罪または軽罪を目的とすることを知った場合には
かれにとって服従の義務と権利はなくなってしまうのに対して、
法律家は、ほぼ100年ほど前に法律家中の最後の自然法論者が死に絶えてからというものは、
法律の通用力と、法律のもとにある者の服従とについて、
そのような例外を一つも知らないのである。
法律は、それが法律であるをもって通用し、
またそれが原則としてみずからを貫徹する力をもつ場合に法律なのだ。
法律とその通用力に関するかような見解(われわれは、これを実証主義的学説と呼ぶ)は、
法律家は、一般国民と同様、非常に恣意的な、非常に残忍な、
非常に犯罪的な法律に対して無抵抗にした。
この見解は、窮極において法と力を等置する。
力さえあれば、そこには法がある。
もし法律が正義への意思を意識的に否定し、
例えば人々に対して人権を恣意的に与えたり拒否したりするならば、
その法律は通用せず、国民はその法律に対して全く服従の義務を負わないのであって、
法律家もまたその法律の法としての性格を否認する勇気を見出すべきである。
前半も認めたがらない人には無縁な話なのかな。
復権した法律家の弁。