「拙きもの」で話が続いていますが、面白く拝見させていただいています。
自分が持ってきた清水健吉氏の訳本ですが、改めて原文と比較しますと、「参考のために抜き出した」では済まないところも結構あったり、特に話題になっている部分では「牛の飼養する事を知らない」というのはどうにも・・・。
本当に気をつけなければいけませんね・・・。
さて、改めて経緯を簡単に・・・
車輪の存在の話の中で・・・
ポリポリ 12-24 13:50:49
鄭東愈なる人が晝永編で何を言いたかったのか?
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http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?uid=3270&tname=exc_board_14
私が訳文を持ってきて、拙きものの訳、「牛の飼養を知らない???」
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http://www.kjclub.com/jp/exchange/photo/read.php?uid=3288&tname=exc_board_14
ジョン_氏が原文提示。「そんなもの原文に書いてないから」
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Polalis氏 古事と比較、「六蓄の馬と羊ってなに?」
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ジョン_氏 「儒教の祭祀、統治者の暗喩?」
道徳云々についてはよく分からないので割愛。
ここまで来て、訳文を読んだだけでは疑問だらけだったのも大分氷解したように思います。
特に儒教とその祭祀を文と結びつけると、拙きもの3つの後で「大夫婦女の再婚」と「族譜のきちんとした確認」の2つが難しいということ、そしてその後の「同姓の結婚は畜生並み~」という段落に繋がるので、ずいぶんすっきりした感があります。
もしかすると、拙きもの2つ目の暗喩も政治批判とまでいかなくても祭祀を担う家の長男ぐらいの意味合いかも?
そうすると、結婚やら血筋の話に繋ぎやすいですし、この文章全体ももっと一般的に「中途半端に礼を欠くことしちゃ駄目だよね」という風に読めるようなきもするのですがいかがでしょうか?
余談になりますが、儒教の祭祀だと牛・羊の他にも豚があったような?
ただ、地域で供え物も違ったようなので、牛と羊が首というのは鄭東愈の地元のローカルルールである可能性も?
さらに余談で祭祀の後、供物はお裾分けとしてむしゃむしゃ食っていたようなのですが、そうすると、拙きもの1が衣で、拙きもの2が食、拙きもの3が交通もしくはそれを支配する統治者の暗喩?
結構繋がるように思えたのですが、儒学と管子は一致しないかなぁ・・・。
まぁ、なんにしてもそもそもが暇つぶしに書いているエッセーなので、どこまで考えていいのか事態定かではないのですが・・・。
画像はハングルで祭祀(チェサ)とググったら出てきた中から適当に拝借。