ネトウヨ大好き、淀城到着図。

俗に『鶏泥棒をする朝鮮通信使の図』としてネットに流布しているやつですな。
元々この到着図を含めた一連の史料自体は『京都府史蹟勝地調査会報告1』(1919)に既に存在が報告されており、この中の納所村唐人雁木(現在の伏見区納所町の納所交差点北側と思われる)に関する報告に絵図面が掲載されています。これがいったん所在不明になり、以後の研究者は京都大学所蔵の謄写本を見ていたわけです。
一般人が見られるレベルでの初出はもちろん上掲書籍ですが、謄写本自体もほとんど顧みられることなく死蔵されていたと思われます。これが次に出てくるのは『朝鮮通信使絵図集成』(1985)、下行所門前のみがカットした形で掲載されています。題名も「朝鮮人大行列図図巻(個人蔵)」とあり、淀城温古会の複製かなにかを持ってきたのかもしれません。少なくともこの段階では京都大学蔵という表現はされていません。加えて、かなり意図的にカットされており問題の多いものです。
脚光を浴びるのは国際交流基金文化芸術交流のうち、2001年度第1期吉田光男東大教授をコーディネーターとして実施された「歴史で見る日韓中の文化交流」の内容が『アジア理解講座4「日韓中の交流-ひと・モノ・文化」』(20041220)と言う書籍になったことがきっかけ。
この中のToby P. Ronald(ロナルド・トビ)の文章(第10章P206:講座としては7回目から10回目)中に下行所の絵がありこれがそのままいろんな所にコピペされていったわけです。
ちょうど同じ時期に原本が再?発見されニュースになり、こちらでは
京都大学の藤井譲治(近世史学)が
「日本の子どもと遊んだり、鶏を一緒に追いかける朝鮮人の姿が活き活きと描写され、日本の民衆と交流していた様子がわかる」
というわりと無茶な話をしており(読売新聞20040504大阪朝刊P28)
これが後々燃料になったと考えています。ニュースと出版の時間軸が前後していますが、ネットでの炎上は2006以降っぽいですね。
その後原本が京都市に寄贈され特別展示されたとき
「京都市歴史資料館の話として「(鶏を保管している)下行所から逃げた鶏を使節が捕まえているところと言う見方もできる」」
という、多少藤井の意見より後退しつつも泥棒ではないという意見を載せており(京都新聞20100409朝刊)
またこれもいい燃料になったと思われます。この特別展示自体は原本の寄贈と言うこと以上に、これらの叢書の出版記念という性格もありました。
資料に関する時間の流れは
1745(延享3) 筆者渡辺善右衛門 淀藩通信使来朝御用掛を拝命
おそらくこの時期から来聘記の記述を開始
1748(延享5) 家重将軍襲職に伴う通信使来朝(第10回) 接待饗応 このあとに来聘記や到着図が成立
1919(大正8) 『京都府史蹟勝地調査会報告1』 その後原本不明
1985 『朝鮮通信使絵図集成』
辛基秀の部分抽出でありかなり問題がある切り出しかつ、京都大学蔵となっていない。
2001 アジア理解講座・歴史で見る日韓中の文化交流
トビにより初めて鶏泥棒とされる
200405 原本発見
藤井により、日本人と一緒に鶏を追う姿、とされる
200412 理解講座4出版
200610? ネット上に理解講座の挿絵流布
一般に鶏泥棒の図として周知される
201004 叢書出版
京都市資料館により逃げた鶏を使節が捕まえている所という見方もできる、とされる
で、最も重要と考えられるトビの発言なんですが実は全く検証されていないんです。
該当箇所は通信使の獣食と穢れに関する項目で、挿絵として扱われ、下のキャプションに
「ニワトリを盗んで逃げようとし、日本人とけんかになっている所」
とだけあり、本文での考察は見あたりません。
‥つまり全く検証されていない発言にずーっと振り回されているわけだ。
この来聘記中でもやたら「ものがなくなる」話と「鶏を乱暴につぶす」話があり、当時の通信使の不作法に関する資料は別に多く残っています。当該箇所を観察すると、韓人が体をひねって日本人から鶏を遠ざけているように見える描かれ方をしている所など、一緒に捕まえているとか、遊んでいるとか、そういう推論は無茶であり、下行所から持ち出したのを咎められていると見るのはわりとすっきりします。
それでもこの箇所は「鶏泥棒」と断定できません。推定するのが精一杯。
興味の向きは是非『叢書京都の史料11淀渡辺家所蔵朝鮮通信使関係文書』(朝鮮人来聘記・朝鮮人行列図・宗対馬守行列図・韓人戯馬図・朝鮮人饗応御献立・到着図)を見てもらいたいと思います。
全体をきちんと見ることができてわかったのですが、この到着図には武家の行列は描かれていますが、通信使は見たところ行列をくんでいる様子がありません。韓人は船着き場(雁木)を除くと大体2-5人位のグループに分散して描かれています。描かれているのは圧倒的に日本人の方が多いです。通信使の到着図と言うより、韓人が休憩している中を緊張した武家の集団(宗氏の隊列と思われます)が列をなしている等、淀城下のどの通りで何が起きたか(来聘記の記述といくつかの部分は合致)を描いている図として大きな問題はなさそうです。
通り沿いにどんな饗応所があり誰が接待を行ったかとともに、様々な事件を通りごと完結してに描いており、いくつかについては来聘記に記述がみられます。逆に絵図に描かれたものがすべて来聘記に記述がある、と言うわけでもないようです。その代表がこの下行所前の騒動です。筆者渡辺は元々筆まめであり、随筆や江戸へ送られた象に関する見聞記などがあるそうです。中でも朝鮮通信使接待の時は記録につとめたと言うことなので、来聘記に記述がないのに絵図面には描かれていることは少々奇異なことです。
到着図自体は来聘記よりあとに描かれたと考えられる事、来聘記そのものも伝聞が多く存在していることから、来聘記を脱稿したあとにそういう話を聞いたため到着図に描き込んだという可能性があります。また、これはFmdoll氏の生活板のスレッドに譲りますが来聘記の記述の端端に通信使の獣食や態度に対する嫌悪が見られ、そうしたものを象徴的に描いたという可能性も否めません。
通信使の行列自体、朝鮮側の意図・宗氏の目論見、将軍家側の要求などいろいろな思惑が絡んでいて「誰が」「どう見せる」「どう見られる」というものがあり、現実を写実したとしても「よそゆき」なわけです。対してこの到着図は『行列』ではなく、休憩時のいろいろな事件を描いたものなわけです。行列図と言うより、『朝鮮来朝物語:大阪本願寺津村別院厨房図』等に近いものと考えるべきでしょう。しかも、淀藩の資料として次回のために残したものでしょうから、そこに描かれたものは不必要に飾ったりする必要もありません。事実、到着図以外の付図などもかなり正確な絵が残っています。
後日描かれたものであり、伝聞が多く混じっているとはいえ、通信使一行が休憩時にどのような行動をしていたのかを描いた点で、この到着図は高く評価されるべきものでしょう。
そんな到着図の中からちょっとおもしろかった部分を三つほど
1 波止場の見物客を制している人

波止場(唐木雁木)付近で見物をしている人と、それを棒で制している下人がみえます。しかし同時に群衆の中に韓人がおり、会話をしようとしているようにも見えます。
2 子供に菓子か饅頭を投げている韓人

子供が描かれている場面ですが、この部分により下行所前の日本人が成人男性のみと類推できます。なお、菓子を投げるという記述は来聘記中に存在しています。
3 馬を押さえようとしている韓人と周囲の混乱

よく見ると右手隅に赤い輿のようなもの、その左手と左隅に駕籠のようなものが見えます。馬が暴れていたり、人々が混乱しているように見えます。棒を振り上げている下人もいます。馬にちょっかいを出して上官に責められる韓人の話が来聘記にあり、もしかしたらその話のことなのかもしれません。
来聘記で結構気になった記述

さすがにデマではないかと思いますけど、少なくとも受け入れる側にこういううわさ話が流布していたことは間違いないのです。
朝鮮通信使に関する絵、特に行列図は数多くありますが、どうも多くはその後の唐人行列を描いたものであったり、象徴的な想像図であったりするようです。今回トビの本を読んでいる中で一番驚きだったのは、こうした絵図で最も有名な羽川藤永の江戸城から下る通信使の図と言われているものが、実は唐人行列ではないか、と指摘していたことでした。