http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2011/01/11/2011011102433.html
(朝鮮日報1月11日)
[大韓民国第1号]焼酎会社
考慮忠烈王の時伝来したと分かった焼酎は穀物で作った高級酒なので庶民らは飲む意欲を出せない権力街の専有物だった。 こういう焼酎が大衆化することができたことは1900年代に入り全国に"醸造工場"らができながらだ。 1916年に全国に焼酎製造場が2万8404個で家業形態や居酒屋集で酒造する場合が多かった。
家の内醸造場の枠組みを抜け出して大量生産体制を整えた最初の焼酎工場は平壌(ピョンヤン)にたてた"造船所主(州,株)"だ。 1919年6月15日平壌(ピョンヤン)交亀亭に資本金50万ウォンで立てられたこの会社は社長が日本人斎藤久太郎オッタ. この会社は1922年焼酎を入れる器計器をだまして1300席の焼酎税を出さなかった事実が確認されて8万ウォンの税金を追徴されることもした。<右側写真>(当時新聞に報道された脱税事件記事) 1300席はこの会社の一年全体生産量の3分の1で、当時日本でもめったに見ない巨額の脱税で注目された。
( *H*)y-~~日帝の陰謀♪