以下、かなり前の事ですが、基本的に、2010年の6月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物で(投稿文は、2010年の6月の下旬の投稿を前提としています)、2010年の3月の半ばに、熊谷 守一(kumagai
morikazu)美術館を訪れた時の物です。
池袋(ikebukuro)は、東京中心部の北西部に位置する大きな繁華街で、東京最大級の繁華街の一つです。池袋(ikebukuro)は、第2次世界大戦後に急成長した、新興の大繁華街です。
写真以下5枚。池袋(ikebukuro)の外れの住宅地に有る、熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館。熊谷 守一(kumagai morikazu)が、1932年から1977年に亡くなるまで暮らした家の敷地を利用して(家の建物は、美術館の建物を建てる際に取り壊されてしまったと思います)、1985年に開設された、熊谷 守一(kumagai morikazu)専門の、小ぢんまりとした美術館です。私は、熊谷 守一(kumagai morikazu)は、個人的に、その作品が好きな、芸術家の一人なので、熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館は、私の、お気に入りの美術館の一つとなっています。熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館周辺は、静かで落ち着いた住宅地となっています。






熊谷 守一(kumagai morikazu)。1880年生まれ、1977年に亡くなる。第2次世界大戦前から1970年代にかけて活躍した、日本の有名な、近代・現代画家です。ピカソ(picasso)の様に、普通に絵を描いても上手な画家ですが、絵は、だんだんと単純化された物になって行きました。金や名声と言った物に執着は無く、人が、たくさん来ては、困るからと、文化勲章授与者に選ばれながらも、それを受ける事を辞退し、絵は、描きたい時に描き、生活は、決して豊かでは無かった様です。
写真以下13枚。絵葉書等の写真で申し訳ありませんが、熊谷 守一(kumagai morikazu)の作品例。


「白猫」。1959年。

「蝉」。1961年。

「どろ(泥)人形」。1962年。

「冬の夜」。1964年。

「桜」。1964年。

「つゆ草」。1964年。

「母子像」。1965年。

「野草」。1972年。

熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館のパンフレット(leaflet)の表紙から。。「アゲ羽蝶」(1976年)。

「とんぼ(トンボ)」 1977年。

「蟻」 制作年が、ちょっと分かりません。。。

「眠猫」 制作年不詳。

「とんぼ(トンボ)」制作年が、ちょっと分かりません。。。
熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館周辺を含む、池袋(ikebukuro)の西の外れに広がる広い範囲の住宅地(1920年から1930年代頃は、東京の都心に、比較的近い、東京の郊外と言った感じだった)は、1920年代から第二次世界大戦まで、アトリエ(studio)付き借家が建ち並ぶアトリエ(studio)村郡があり、この地域に住む、若手芸術家達の間で、池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)と呼ばれていました。この地域に集まって来た、多くの若い芸術家達は、日夜、熱く語り合い、切磋琢磨して制作に励み、創作を持って主張しました(この地域のある、豊島(toshima)区(東京中心部(東京23区)の北西部に位置する区。中心繁華街は、池袋(ikebukuro))の資料より。。。)。以下、「」内は、wikiより。。。「池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)は、無名で、貧困生活を送る活力あふれる画家(や芸術家)たちの集まりであった。だが、多くの芸術家が戦争で召集され芸術運動としては終末を迎えた。軍国主義の政治環境の中で、退廃的・不健全と評価されたことが影響している」。
この時、熊谷
守一(kumagai morikazu)美術館では、小熊 秀雄(oguma
hideo)の絵画作品の展覧会(exhibition)をやっていました。展覧会(exhibition)とは言っても、熊谷 守一(kumagai
morikazu)美術館自体が、熊谷 守一(kumagai
morikazu)の家の敷地を利用して建てられた小ぢんまりとした美術館なので、小ぢんまりとした展覧会(exhibition)でしたが。。。今回、熊谷
守一(kumagai morikazu)美術館を訪れた、主目的は、この展覧会(exhibition)を見る事でした。

小熊 秀雄(oguma hideo)。1901年生まれ、池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)で暮らし、同じく池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)に暮らす芸術家達と交流しながら、1930年代に活躍し、1940年、39歳の若さでな亡くなった、詩人、小説家、漫画原作者です。詩作にとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍し、原作を担当した漫画「火星探検」(1940年)は、SF漫画(manga)の先駆的傑作とされ、手塚 治虫(tezuka osamu)、小松 左京(komatsu sakyo)、筒井 康隆(tsutsui yasutaka)、松本 零士(matsumoto reiji)等に大きな影響を与えました(wikiより)。
写真以下。パンフレット(booklet)の写真で申し訳ありませんが、小熊 秀雄(oguma hideo)の絵画作品例。小熊 秀雄(oguma hideo)が、描いた、油彩画、水彩画、素描です。全て、1920年代後半から1930年代に描かれた物です。


「すみれ」。

「スミレと時計」。

左、「月夜の幕開」。右、「きのふ(昨日)は嵐けふ(今日)は晴天」。

写真左上から、時計回りに、「飛翔するイメージ 童話風に」、「詩人の食卓」、「ピストル」、「三人の人物とカエル」、「道は帝政か?共和か?」、「たき火にあたる人物」

「飛翔するイメージ 童話風に」

「たき火にあたる人物」

「ピストル」





「激情(自画像)」



「電車内」

「荷積み」


「新聞を読む男」



「作業場」