釈迦(The Buddha)は、北インド(インド北部)の人物で、仏教の開祖(創始者)です。
釈迦(The Buddha)は、存命していた時代については、紀元前7世紀、紀元前6世紀、紀元前5世紀など複数の説があり、正確な生没年は分かっていません(wikiより)。
「釈迦(The Buddha)」(映画)は、1961年の、日本の、長編、SF(science fiction)、大作映画で、釈迦(The Buddha)の生涯を描いた映画です。
「釈迦(The Buddha)」(映画)は、エンターテイメント(entertainment)性を、重視した事から、日本国内の仏教界・仏教の寺、東南アジアの仏教国から、反発・抗議運動が起こった映画です。
以下、「」内。基本的に、wikiから抜粋して来た物です。日本国内の仏教界・仏教の寺、東南アジアの仏教国から、特に問題視されたのは、ヤショダラー(Yaśodharā)(釈迦(The Buddha)の妻)に関する話の部分です。
「釈迦(The Buddha)の生涯における逸話には諸説があるが、主に一般的に知られている伝承と「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)の描写との違いを記す。
釈迦(The Buddha)の母が、釈迦(The Buddha)の生後7日で亡くなる事なく、生きている。
釈迦(The Buddha)との間に子を生み、後に出家するヤショダラー(Yaśodharā)(釈迦(The Buddha)の妻)が、子供を儲ける事なく、ダイバ・ダッタ(Devadatta)(釈迦(The Buddha)の従兄)に強姦された後に自殺する。
釈迦(The Buddha)の入滅後、100年以上経った後のクナラ(Kunala)王子のエピソードが、釈迦(The Buddha)存命中の事になっている。」
「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)は、現在、期間限定で(1月17日の19時59分まで)、you tubeで、公式で、フル映画が公開されています。
「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)は、彼女と、正月の休みを、我が家で過ごしている際に、彼女と、我が家のテレビで、見ましたが(私も彼女も、「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)は、今回、初めて見ました)、彼女の、「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)(以下、この映画と書きます)に対する評価は、低かったです。彼女は、この映画の話の展開に関し、特に、釈迦(The Buddha)が、ヤショダラー(Yaśodharā)と結婚した後、釈迦(The Buddha)の意思により、釈迦(The Buddha)が、一度も、ヤショダラー(Yaśodharā)とエッチしなかった事に関して、釈迦(The Buddha)が、ヤショダラー(Yaśodharā)と結婚した意味が分からないと言っていました。彼女は、この映画を見ている途中、退屈で、眠そうになっていましたw(この映画は、確かに、途中、話の展開が、ダラダラとした部分があります)。また、この映画からは、釈迦(The Buddha)の教えの有難みが、全く伝わって来なかったと言っていました。
この映画(「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画))の、私の感想は、長い時間の映画の割りには、話の内容が薄く、話がペラッペラッで、なお且つ、途中、話の展開がダラダラしている一方で、話の展開が強引な部分もあり、確かに、釈迦(The Buddha)の教えの有難みが、全く伝わって来ない映画でしたが、予算をかけた(お金をかけた)、セット(舞台装置)は、それなりに見応えがあり、予算がかかっている分(お金が、かかっている分)、FX(special effects・特殊効果)も、当時としては、良く出来ており、映画史(映画の歴史)の資料として楽しむ事を含めて(映画史(映画の歴史)の資料としての興味深さを含めて)、総合的には、(内容が薄い、エンターテイメント(娯楽)映画としては)、まあまあ、楽しめた映画でした。
この映画は、ヤショダラー(Yaśodharā)の役は、フィリピン(Philippines)の、国民的なスター(star)女優、Charito Solis(Rosario Violeta Hernández Solís)(1935年生まれ。1998年に亡くなる。もしかしたら、スペイン(Spain)系の血が流れているのかもしれません)が演じていますが、それ以外の役は、全て、日本の、俳優・女優が演じています。
ちなみに、この映画では、クナラ(Kunala)王子(理不尽な命令によって目を焼かれて盲目となったが、後に、釈迦(The Buddha)の力により、視力が回復した)の妻の役を、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)で紹介している、山本 富士子(yamamoto fujiko)(1931年生まれ。主として、1950年代から1970年代中期頃にかけて活躍していた、日本の女優)が演じています。
山本 富士子(yamamoto fujiko)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
「黒い十人の女」(1961年の映画)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3887365?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、おまけです。

写真は、借り物。藤原 あき(fujiwara aki)。1962年。1897年、東京生まれ。1967年に亡くなる。日本の、女性、政治家。福澤 諭吉(fukuzawa yukichi)(下の補足説明を参照)の姉の長男である実業家・ビジネスマン(businessman)の娘(三女)として生まれる。
福澤 諭吉(fukuzawa yukichi):1835年生まれ。1901年に亡くなる。日本の有名な、思想家・教育者。慶応(keio)大学(東京にある私立大学で、早稲田(waseda)大学(同じく東京にある)と共に、日本を代表する、有名な、私立大学)の、創設者。
以下、藤原 あき(fujiwara aki)に関する説明は、wikiを参考にしました。
藤原 あき(fujiwara aki):1913年、17歳の時に一度の見合いもなく、19歳年上の東京都心の医者(最初の夫)と強制的に結婚させられてしまい、最初の夫との間に、2人の娘を儲ける。
1923年4月に、藤原 義江(fujiwara yoshie)が、日本に帰国。帝国ホテル(Imperial Hotel)(1890年に開業。東京を代表する歴史のある高級ホテル)で開かれたベルギー(Belgium)大使主催のパーティー(party)の席で、藤原 あき(fujiwara aki)と藤原 義江(fujiwara yoshie)は、知り合う。やがて二人は恋に落ち、箱根(hakone)(東京の南部近郊に位置する。東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であると共に、日本有数の温泉保養地)へ一泊の、不倫旅行へ出掛ける。藤原 あき(fujiwara aki)は、1928年に最初の夫と離婚して、藤原 義江(fujiwara yoshie)の後を追ってイタリアのミラノ(Milan)に移住。
1930年1月、藤原 義江(fujiwara yoshie)と正式に結婚し、1931年10月、息子を出産。

写真は、借り物。1930年の1月17日、東京會舘での、藤原 義江(fujiwara yoshie)と藤原 あき(fujiwara aki)の、結婚披露宴(結婚のparty)にて、左、藤原 義江(fujiwara yoshie)(下の補足説明を参照)、右、藤原 あき(fujiwara aki)。
藤原 義江(fujiwara yoshie):1898年生まれ。1976年に亡くなる。国際的に活躍していた、日本の、父親がスコットランド(Scotland)系の、オペラ(opera)歌手。
東京會舘に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
国際ビル(歴史的建造物)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3864673/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京會舘他(すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658266/page/49?&sfl=membername&stx=nnemon2
第二次世界大戦後、藤原 義江(fujiwara yoshie)は、多くの女性と、浮気・不倫をし、夫婦関係は、破綻した。
1954年、藤原 あき(fujiwara aki)は、資生堂(shiseido)(下の補足説明を参照)に入社し、美容部長に就任した。
資生堂(shiseido):1872年創業。東京に本社を置く。日本の大規模化粧品会社の一つであると共に、日本最大、且つ、日本を代表する化粧品会社(世界でも、有数の規模の化粧品会社)。
1957年、藤原 あき(fujiwara aki)は、藤原 義江(fujiwara yoshie)の治まる事のない女性遍歴に愛想を尽かしたとして、藤原 義江(fujiwara yoshie)と離婚した。
1959年、藤原 あき(fujiwara aki)は、資生堂(shiseido)美容学校の初代の校長に就任した。
1962年、藤原 あき(fujiwara aki)は、政治家の、いとこから、国会議員選挙への出馬依頼を受けて、国会議員選挙に出馬し、当選、国会議員となり、1962年から1967年にかけて、日本の、国会議員を務めたが、1967年、国会議員の任期中に、悪性リンパ腫(癌の一種)の為、69歳で亡くなった。

写真は、借り物。叶 順子(kanou jyunko)(1930年生まれ。1950年代後期から1960年代初めにかけて活躍していた、日本の、女優)。1962年頃。
以下、叶 順子(kanou jyunko)に関する説明は、wikiを参考にしました。
叶 順子(kanou jyunko):1930年、中野(nakano)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区の一つ)の、スッポン(softshell turtle)(日本で、古くから食べられて来た食材)料理の、日本料理店の娘として生まれる。
中野(nakano)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
YMO-TECHNOPOLIS/中野(nakano)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3741214?&sfl=membername&stx=nnemon2
古い欧州の服を元にしたコスプレ衣装他(すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3823149/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2
高校を卒業した後、1954年に、ミス(Miss)資生堂(shiseido)に選ばれた事をきっかけに、資生堂(shiseido)に入社し、資生堂(shiseido)で勤務する。その美貌を目にした、藤原 あき(fujiwara aki)(当時、資生堂(shiseido)の美容部長をしていた)の推薦で、大映(daiei)(日本に、かつて存在していた、大規模、映画会社。2002年に、角川(kadokawa)(日本の大規模映画会社の一つ)に吸収合併される)に、新人、女優として入り、1957年に、映画女優として、デビュー(debut)し、以後、1960年代初めまで、多くの映画に出演し、女優として活躍していたが、1963年7月、人気のピークで(叶 順子(kanou jyunko)の、女優としての経歴の中で、最も人気があった時期に)、女優を引退し(引退の理由は、当時の、撮影所長によると、当時のカラー撮影は顔のクローズアップを撮る時に600から800ワットの照明を当てる必要があり、この種の撮影が続いた後、目の縁に異常を来し、医務室でもこのままでは失明すると判定され、引退となってしまったとの事)、一般人に戻る。1964年に結婚。
叶 順子(kanou jyunko)は、「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)において、喉の渇きの為に倒れたアナン(Ananda)(釈迦(The Buddha)の十大弟子の一人)に水を与えて介抱し、アナン(Ananda)が説く平等の教えに感銘を受け、アナン(Ananda)に恋をし、後に、釈迦(The Buddha)の弟子となる、奴隷の娘の役を演じています。
以上、おまけでした。
https://youtu.be/7VtgudOO8sU?si=NOhxsJU3Hwy-k8R7
動画は、借り物。「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)の予告編。ちなみに、予告編(この動画)には、前述した、叶 順子(kanou jyunko)は、出て来ません。
現在、期間限定で(1月17日の19時59分まで)、公式で公開されている、「釈迦(The Buddha)」(1961年の、日本の映画)の、フル映画→
https://youtu.be/SPWUOeIJX7o?si=HUMLX4T8c8Eculo-