俺の尊敬する詩人です。
彼女は隣の国の言葉だからと韓国語を勉強した。
この本の冒頭は、こんな文章で始まる。
現れる反応は、判で押したように決まっている。
「また、どうしたわけで?」「動機はなんですか?」(中略)
隣の国の言葉を習っているだけだというのに、われひとともに現れるこの質問の
なんという不思議。「英語を習っています」「フランス語をやっています」と
言われれば、「いま、運転を習っています」と聞いたときのようにその実用性を
しごく当たり前のこととして受け入れる。
全くそのとおりです。 俺も韓国語を勉強を始めた時、何度も同じ質問を受けた。 俺の場合、大学の第二外国語の単位が欲しかったと言う理由が有ったのだがw 彼女の詩は、戦争に対しての怒りを感じる。 一つ有名な詩を紹介したい。 自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
この詩を思い出す度、青春と呼べる若い時期を戦争が台無しにしたと恨む彼女が脳裏をかすめる。 どんな戦争でも、戦争時代を生きた人たちは、みんな犠牲者なんだな。 しかし、時代の性にするなと彼女は言う。 時代の性だと言う奴はばかもので、俺はまさしくばかものだ。
