後から、若干、内容を追加しました。
以下、「」内。前の私の投稿の他の方のレスに対する私のレスより。。。
「私もバタ臭顔ですw 私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、父がバタ臭顔です。母は、それをバタ臭顔と言うのか分かりませんが、母はYOUよりも遥かに年上の世代ですが、特に、今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が(老けてからのw)YOU(タレント)に似ていると言われていた事がありますw(今はさすがに、(いかに年齢の割に若く見えると言っても)、私の母は絶対的に年を取っているので(もう高齢者なので)、現時点のYOUに似ていると言うのも無理がありますw)。
母方の方では母方の祖母がバタ臭顔です。近所の実家は元々私の母方の祖父母の家で母方の祖父母が同居していたのですが(既に、母方の祖父母ともに亡くなっています)、私は大のおばあちゃん子で、私が実家で母方の祖母の部屋に遊びに訪れると母方の祖母はいつも満面の笑みで私を迎えてくれて、その母方の祖母の笑顔が今でも鮮明に記憶に残っているのですが、その母方の祖母の満面の笑顔と映画の中の原節子の笑顔のイメージが重なります。」
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、すぐ上の「」内の話に関する参考の投稿。
小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708?&sfl=membername&stx=nnemon2
私と、私の母方の祖母の関係性に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。ちなみに、私は、大の、おばあちゃん(母方の祖母)子でした。
母方の祖母の話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下2つ。すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿→
蕗谷虹児(fukiyakoji)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3634899/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2
ペットの話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3634898/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、参考の投稿・関連投稿。
母方の祖父の話他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3618227/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
特急列車の思い出→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3398328?&sfl=membername&stx=nnemon2
付属自然教育園他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3340656/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
前の投稿より(私の母方の祖母の姉の話他)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3584064?&sfl=membername&stx=nnemon2
湘南(syonan)drive→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3340654/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
湘南(syonan)モノレール(monorail)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3398314?&sfl=membername&stx=nnemon2
おかげです&曲→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3689235/page/7?&sfl=membername&stx=nnemon2
別荘周辺のスープ(soup)料理レストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3453906/page/1?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、基本的に、去年の5月の後半に行った投稿から抜粋して来た物です。
ちなみに、私の母方の祖母と母方の祖母の姉は、兄弟姉妹は、兄が2人おり、母方の祖母の、田舎の実家は、長男(私の母方の祖母と母方の祖母の姉の、上の兄)が継ぎました(私の母方の祖母の実家は、戦後、徐々に、没落して行った様です。現在も、一応、少しは、立派な家に暮らしているらしいですが。。。)。
以下、2月上旬に行った投稿から抜粋して来た物です。
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。
私の母方の祖母は、若い頃の写真を見ると、中々、綺麗で、(自分の親族に対して言うのもなんなのですが)美人なのですが、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw
私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)で、私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが、私の母の、痩せの大食いの体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)は、私の母方の祖父、又は、私の母方の祖母の姉(やはり、生涯、痩せている体質であった)に似たのだと思います。ちなみに、私の母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、比較的、高い方ですが、それは、母方の祖母(私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方であった)からの遺伝であると思います(私の母方の祖父は、身長は、165cm位と小柄であった)。ちなみに、私の父の家系は、長身の家系です。
諏訪 根自子(suwa nejiko)(1920年生まれ。2012年に亡くなる)は、1930年代の初め頃から1950年代頃にかけて活躍していた、日本の、女性、violinistです。諏訪 根自子は、1930年代の初めから1930年代の中期にかけて(諏訪 根自子が、10代の初めから10代の中頃にかけて)、(年齢の割に、とても高い実力があった事から)天才と呼ばれ、また、美人(美少女)であった事から、日本の、大衆の間で、現在で言う、女性、アイドル歌手的な、人気を博しました(おそらく。。。)。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。私の母方の祖母は、大人しくて、上品な性格でした。
母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
以下、前に行った(去年の12月に行った)投稿から抜粋して来た物です。
私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(私の母の、私の母と同年代の、女性の、いとこの母。既に亡くなっています)に似ています。私の母は、幼い頃から、よく、近所の、私の母の、女性の、いとこの家に遊びに行っていました。ちなみに、逆に、私の母の、女性の、いとこは、性格は、上品で、おっとりとしていて、大人しい性格で、性格は、私の母方の祖母に似ています(ちなみに、私の母の、女性の、いとこも、幼い頃・子供の頃、私の母の家(我が家の近所の私の実家)に、よく、遊びに来ていた様です)。
私の母方の祖母は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。
私の母方の祖母は、東京での学生時代・独身時代、私の母方の祖母の父が、東京の麻布(東京都心部の高級住宅地の一つ)に保有していた東京の別宅に暮らしていたそうです。私の母方の祖母の父は、当時、東京及びその郊外(現在の東京23区内)に、いくつかの、土地と家を保有し、人に貸したり、また、用事が有って、東京に出てくる際の、滞在先等として使ったりしていましたが、その内の一つが、(私の母方の祖母が、見合いによって、私の母方の祖父と結婚した際に)私の母方の祖父母に、与えられました。これが、先に説明した、私が、生まれ育った我が家の近所の実家です(前述の通り、家の建物は、私が生まれる前に建て替えられています)。麻布の家の方は、これよりも、はるかに大きくて、立派だったそうですが、第2次世界大戦後、他人の手に渡ってしまったそうです(私の母方の祖母の実家は、戦後、徐々に、没落して行った様です。現在も、一応、少しは、立派な家に暮らしているらしいですが。。。)。
私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました。もっとも、私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。
私の母方の祖母は、東京のA学院大学と言う、キリスト教系の大学(私の母方の祖母が、卒業した時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、東京のキリスト教の教会に就職したものの、間もなく、私の母方の祖父と結婚、祖父と結婚した後は、アルバイトを含めて、一切、仕事した事がない、専業主婦であり、人生において、ほとんど社会人と言うものを経験した事がないまま亡くなりました。私の母方の祖母は、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw
私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です。この、私の母方の祖母の姉と、私の母方の祖母の関係は、丁度、私の母と、私の母方の祖母の姉の、一人だけの子供である、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの関係に重なります。私の母と、私の母の、女性の、いとこは、お互いに、同年代で、一人っ子(一人娘)同士で、また、子供の頃から、ずっと家が、近所同士である事から、幼い頃から、二人共、高齢者の年齢になる、現在に至るまで、ずっと、親友同志と言った感じで、現在に至るまで、よく、二人で、一緒に、遊びに出掛けていますが、私の母と、私の母の、女性の、いとこが、一緒に、遊ぶ時は、いつも、私の母がリードして、私の母が、お姉さん的な役割を担っている様です。
私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同様)東京のA学院大学を卒業した後、結婚するまで、東京で事務員として働いていました(おそらく、OLの先駆けの様な存在であったと思います)。私の母方の祖母は、前述の通り、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じですが、私の母方の祖母の姉は、ミーハーな性格であり(私の母方の祖母の姉の、ミーハーな性格は、私の母が、よく受け継いでいますw)、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、自ら、相手を選び、京都大学(当時は、京都帝国大学)を卒業した、エリート銀行員と結婚しました。結婚した際には、私の母方の祖母と同様、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から、東京の私の街にある、敷地面積100坪程(約330平方m)の、一戸建て住宅を与えられました。もっとも、私の母方の祖母の姉夫妻は、東京郊外(当時)の別の家に暮らし、私の街の家の方は、別宅の様な感じで使っていた様です。しかし、私の母方の祖母の姉の夫は、現在で言うDVの傾向があった等、性格上、問題があった男性で、その事が原因により(その事に耐え切れなくなった、私の母方の祖母の姉が、その事を、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)に相談した結果)、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の仲介により離婚、幼い一人娘(私の母と、同年代の、私の女性の、いとこ)と共に、元々、結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から与えられた、私の街の、一戸建て住宅に暮らす様になりました(私の母方の祖母の姉は、既に亡くなり、現在、その一戸建て住宅は、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いで暮らしています)。私の母方の祖母の姉は、離婚が成立すると共に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)のコネにより、デパートに就職。東京都心のN本橋のM越と言うデパートで働きながら、シングルマザーとして(女手一つで)、私の母の、女性の、いとこを育て上げました。ちなみに、色々とあって(その事に関しては、また機会があれば書きます)、私の母方の祖母の実家が、最後まで、東京に保有していた不動産である、東京中心部(東京23区内)にある、小さな土地は、私の母方の祖母の姉が貰い、私の母方の祖母の姉は、その土地にアパートを建て、アパート経営も行っていた為(現在、そのアパート経営も、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いでいます)、その家賃収入もあり、私の母方の祖母の姉は、収入的には、ゆとりがあった様です。
ちなみに、私の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいます。ちなみに、私の母は、私の母から私の父にアプローチしての、バリバリの恋愛結婚ですw

私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、自分の親族に対して、こう言う事も、何なんですが、美人姉妹でした。参考の写真。写真は、借り物。内田 有紀(uchida yuki)の(1975年生まれの、日本の女優)。私の母方の祖母の姉の顔は、丁度、この写真の内田 有紀(uchida yuki)の顔を、顔の輪郭、そのままで、老けて、おばあさんのようにした顔でした。ただし、内田 有紀は、肌の色は、色黒の(たぶん。。。)、女性ですが、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母と同様、肌の色は、色白(白)でした。
私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方でしたが、私の母方の祖母の姉は、さらに背が高く、身長は、162cm位ありました。私の母方の祖母は、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんが、体質の違いや、母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた事と、実に対照的で、私の母方の祖母の姉は、絶えず動いていないと気が済まない性格と言った違いもあったのだと思いますが、(私の母方の祖母も、私の母方の祖母の姉も、食べ物を食べる量は、おそらく、ほとんど変わらなかったのにもかかわらず)、私の母方の祖母の姉は、生涯、痩せ型の体質でした(生涯、痩せていました)。
私の母方の祖母は、率直に言って、性格に、怠け者で、ものぐさで、ぐうたらな面があった女性でw、私が記憶を遡れる限りから(私が、幼い頃・子供の頃から)、姿勢は、猫背気味で、歩く速度も、のんびりとして(よく言えば、ゆったりとして)、遅かったのですが、私の母方の祖母の姉は、生涯、姿勢の良さや、歩く姿の美しさ等に気をつけて、生涯、背筋が伸び(年齢の割に、非常に姿勢が良く)、歩く速度も速く、矍鑠とした、凛々しい人でした。私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同じく)80歳代の前半(普通に女性が健康に生きたら生きる寿命より短い)で、突然に心筋梗塞で亡くなる直前まで、至って(とても)元気で、普通に生活をしていました。
私は、私の母方の祖母には、私が記憶に残る限り、一度も、叱られた事がなかったのですが、子供の頃、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(私の母方の祖母の姉の、娘(私の母の、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)の家族の家)に遊びに行った際に、挨拶の仕方等で、私の母方の祖母の姉には叱られた事がありますw 私の母方の祖母の姉は、自分の孫(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの子供)にも、他人の孫(まあ、他人の孫と言っても、私は、私の母方の祖母の姉の、妹の孫なのですが。。。)にも、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。とは言っても、基本的には、(私の母方の祖母と同様に)性格は優しく、厳しさの中に優しさがあると言うよりも、優しさの中にも厳しさがあると言った人でした。また叱る際にも、感情的に叱るのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする人で、愛情を持って叱る人でした。
私は両親に甘やかされて自由奔放に育ちましたし、私の母も両親(私の母方の祖父母)に甘やかされて自由奔放に育ちましたが、(さすがに、私の母は、大人になってからは、私の母方の祖母の姉に叱られるような事はなくなったようですし、私の母方の祖母の姉は、年を取ってからは性格が丸くなったようですが(ちなみに、私が知っている、私の母方の祖母の姉は、性格が丸くなってからの、私の母方の祖母の姉です))、私の母は、相対的に、私の母方の祖母(私の母にとっては母)よりも、私の母方の祖母の姉(私の母にとっては伯母)に、はるかに(ずっと)、多く叱られたようでw、母は、(もう、母方の祖母の姉が亡くなってから、長い年月が経っているので、今は、あまり言いませんが)、かつては、常々、伯母(私の母方の祖母の姉)は、(本質的には)優しい人であるが、厳しい人であったと言っていましたw 私の母方の祖母の姉は、やはり、自分の子供(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)も、他人の子供(私の母。まあ、他人の子供と言っても、私の母方の祖母の姉にとっては、妹の子供なのですが)も、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。と言うか、大人しくて、お行儀が良い(性格は、私の母方の祖母に似た)、私の母方の祖母の姉の娘(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)よりも、活発でチャラチャラした私の母の方が、私の母方の祖母の姉に、相対的に、はるかに(ずっと)、多く叱られていたようですw
前述の通り、私の母の、女性の、いとこは、私の母と同様、一人っ子です(一人娘です)。私の母の、女性の、いとこは見合いで、会社員の男性と知り合い結婚しました。また、私の母同様、実質的には、婿養子の様な感じで、自分の実家に夫を受け入れ、子供の頃から、今まで、ずっと実家暮らしです(私の母と、子供の頃から、ずっと近所同士)。
私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの見合いによる結婚は、私の母方の祖母の姉(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの母)の影響であった事は、確かであると思います。その背景には、私の母方の祖母の姉が、見合いによる結婚とは言え、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、ミーハーな基準により、自ら、相手を選び、結婚相手選び(男選び)を失敗した経験から、自分の、一人だけの子供であり一人きりの娘には、同じ失敗・同じ思いをさせたくないと言う強い気持ち(母心)があった事は明らかであると思います。
前述の通り、私の母方の祖父も、私の父も、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性ですが、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)も、やはり、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性です。また、私の母の、女性の、いとこの夫は、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父と、私の父と共通しています。
私の母の、女性の、いとこの夫は、大学から、田舎から東京に出て来た、K大学を卒業した会社員で(今は既に定年退職したか半分定年退職状態にあるのか、ちょっと分かりません)、昔から、穏やかで、お洒落な(ファッションにとても気を遣っている)紳士です。
ちなみに、私の母方の祖母の姉は、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の一人娘)が大学を卒業し(私の母と同様、通常の(4年制の)大学を卒業しています)・見合いにより結婚し・また自身が(私の母方の祖母の姉が)仕事を退職し、ゆとりが出来た後は、元々、趣味としていた、ガーデニング(gardening)に、益々、精を出すようになり、私の母方の祖母の姉の生前は、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭は、私の街の住人の間で、花々が美しい庭の家として、ちょっとした評判でした(ちょっと有名でした)。母方の祖母の姉が亡くなってからは、母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭の手入れは、主に、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)が、引き継いで行っていますが、見栄えという点に関して、私の母方の祖母の姉の生前の頃とは、比べ物になりません。
ちなみに、我が家の近所の、私の実家の庭は、一部、私の母方の祖母が花や植物を植えたり・鉢植えの花を置いたりしていた場所がありましたが(母方の祖母が亡くなった後は、その部分の手入れは、私の母が引き継いでいます)、基本的には、日本庭園で(日本伝統式の庭園で)、昔から、手入れは、定期的に、植木屋さんに入って貰って(基本的に植木屋さん任せで)やっています。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
前述の通り、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所に暮らしていた、私の母方の祖母の姉(既に亡くなっています)が、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店に勤めていました。
以下、前に行った(去年の8月に行った)投稿から抜粋して来た物です。
ちなみに、私の父は、会社員で、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが、会社員としてバリバリに働いていた時、会社員としての仕事の関連で、お帳場カードを持っていました。私の実家は、金持ちではなく、会社員の、普通の中流の家庭であるので、外商の人が、家(実家)に来ると言った事はなかった様ですが、その関係で(父がお帳場カードを持っていた関係で)、両親(父と母)は、父が、会社員としてバリバリに働いていた時、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店を、よく利用していた様です(私は、父の仕事に関心はなく、昔から、父の仕事について詳しくないのですが、父の昇進祝いのお返し等にも利用していた様ですが、プライベートでも、よく利用していた様です)。私が知る限り、父がお帳場カードを持っていた時の、プライベートの、三越、日本橋店での、大きな買い物として、両親は、一度、母の宝石を、三越、日本橋店で買っている様です。
以下2つの動画(借り物)。三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
以下、再び、去年の12月に行った投稿から抜粋して来た物です。
動画は、借り物。「晩春(Late Spring)」(1949年)。私は、個人的に、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津 安二郎(ozu yasujiro)は、黒澤 明(kurosawa akira。1910年生まれ。1998年に亡くなる。日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late Spring)」(1949年)です。その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。原 節子(harasetsuko)と言う日本の女優が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。原 節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
映画、「晩春(Late Spring)」では、父と娘は、鎌倉(kamakura)に暮らしているという設定となっており、鎌倉(kamakura)は、「晩春(Late Spring)」の主要な、舞台となっています。
以下、前に行った以下の投稿から抜粋して来た、紅葉時期の、鎌倉(kamakurra)の風景例です。私の、今の彼女との、デート(date)の時の物です。
鎌倉の1934年創業の中国料理レストラン→
http://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_24/view/id/2970140/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京の南部近郊にある、鎌倉(kamakura)は、中世(1185年から1333年まで)に、日本の政治の中心地であった中都市であり、中世以来の歴史を有する、寺や神社(shrine)が、数多くあります(ただし、鎌倉の寺や神社(shrine)の、現在の建物については、(極一部の例外を除き)中世よりも後の時代に、火事等の焼失により、再建された物であったり、時代に合わせて、建て替えられている物です)。
写真以下20枚。円覚(engaku)寺。1282年に創建された、規模の大きな、仏教の寺です。円覚(engaku)寺は、鎌倉の、主要な観光場所となっている寺の一つです。
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、鎌倉(kamakura)の、日本料理の例です。私の今の彼女との、デート(date)の時の物です。
写真以下。この前日(土曜日)の夕食は、(彼女と)、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の、カジュアル(casual)な雰囲気の、フランス料理レストランで食べたのですが(その時、飲み物は、私は、主にワイン(wine)を飲みました)、この日の夕食は、鎌倉(kamakura)の、時々、利用する、日本料理食堂・レストランで食べました。この、日本料理食堂・レストランは、比較的、高級な、日本料理食堂・レストランです。ただし、高級日本料理食堂・レストランという程ではありません。この、日本料理食堂・レストランは、食事が美味しく、また、昼は、混んでいますが、夜は、穴場的に、空いていて、落ち着いて食事が出来ます。この日は、日曜日の夜でしたが、客は、私達と、もう一組だけでした。
写真以下2枚。この時、私は、飲み物は、主に、日本酒を飲んだのですが、これで、全てではありませんが、この時、この、日本料理食堂・レストランで、私が飲んだ、お酒(アルコール (alcoholic)飲料)。
容器に入ってしまっては、何だか分かりませんがw、千峰天青(senpoutensei)と言う、熊澤(kumazawa)酒造(syuzou)と言う、1872年創業の、鎌倉(kamakura)の周辺地域の、日本酒の会社の日本酒です。
グラス(glass)に入ってしまっては、何だか分かりませんがw、森伊蔵(moriizou)酒造(syuzou)と言う、鹿児島(kagoshima)県(九州(kyusyu)(日本の南部)の南部に位置する県)の、1885年創業の焼酎の会社の、森伊蔵(moriizou)と言う、芋、焼酎の、ロック(on
the
rocks)。美味しいです。鹿児島(kagoshima)県(九州(kyusyu)(日本の南部)の南部に位置する県)は、芋、焼酎の、主要な産地となっています。
写真以下17枚。この、日本料理食堂・レストランで食べた、この日の夕食。
写真以下14枚は、全て、一人一皿ずつ(写真は、一人分)です。
小さな前菜。柿等の、胡麻ソース(sauce)。
写真以下2枚。茶碗蒸し。スッポン(softshell turtle)の、スープ(soup)を使った、胡麻豆腐入りの、茶碗蒸し。
前菜。右下は、辛子蓮根という料理です。
玉子の黄身を使った、海老しんじょう(海老を使った料理)。
写真以下2枚。刺身。鮪、鯛、海老。
写真以下2枚。焼き物。カマス(魚)の、焼き物。
揚げ物。鯛の、カマ(えらの下から胸びれの部分)の、揚げ物。
写真以下4枚。湯葉(yuba。豆乳から出来る食材)、茶漬け(ご飯(rice)に出汁(soup)をかけた料理)。
デザート(dessert)と共に出される、キンモクセイ(sweet osmanthus)の、烏龍茶(oolong tea)。
写真以下2枚。デザート(dessert)。胡麻プリン(pudding)。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。