7月の第4日曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、この時、太田(oota)記念美術館(とても近場にある美術館です)で行われていた、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品の展覧会(exhibition)を見て来た時の物です。
彼女と泊りがけで、遊びに出掛けて来て、この前日(7月の第4土曜日)に、我が家に帰って来ました(前日の夕食は、遊びに出掛けて来た帰りの、新幹線(shinkansen)の中で、駅弁(ekiben)(鉄道旅行者の為の弁当(bento)(簡易な食事))で済ませました)。
この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから我が家を出ました。
ちなみに、この日の、遅い朝食兼昼食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じ内容でした。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
太田(oota)記念美術館は、原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaにある、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)の専門の美術館です。
原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaは、東京の大規模繁華街の中で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)に、最も近い繁華街の一つで、我が家の最寄り駅から、地下鉄で5分程の場所にあります(運賃178円)。
表参道(omotesando)は、原宿(harajyuku)area(東京都心部の主要な繁華街の一つ。渋谷(shibuya)区の中部の東端に位置する)と原宿(harajyuku)areaに隣接する青山(aoyama)area(東京の代表的な、高級商業地の一つ)を結ぶ、1.5km程の通りで(東京都心部の西部に位置する)、銀座(ginza)(東京都心部でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京を代表する、shopping街(street)となっています(もっとも、銀座(ginza)には、歴史を格も、足元にも及びませんが。。。)。
写真以下4枚。表参道(omotesando)の風景例。
日本には、もちろん公営美術館も全国に、たくさんありますが、私営美術館も、全国たくさんあり、私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開する目的の物です。この様に、日本全国に、たくさんある私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開している物ですが、中には、中々、質の高い、美術品を、収蔵、公開している、私営美術館も、かなりあり、(入場料こそ取られるものの)、一般庶民もこうした収集品を見る事が出来て、公立の美術館・博物館以外でも、質の高い美術品に身近に接する機会が与えられていると言う点で、利益を受けています。太田(oota)記念美術館も、その様な、私営美術館の内の一つです。
太田(oota)記念美術館は、日本(及び、世界)有数の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、収集家(collector)であった、日本の生命保険会社の社長を務めていた、日本のビジネスマン(businessman)、太田
清蔵(oota
seizou)(1893年生まれ。1977年に亡くなる)の、浮世絵(ukiyoe)の、コレクション(collection)を公開する為に、1980年に開館した、浮世絵(ukiyoe)専門の美術館です。
写真以下3枚。太田(oota)記念美術館の建物の一部。太田(oota)記念美術館は、小ぢんまりとした(小規模な)美術館ですが、土曜日・日曜日・祝日(国民の休日)でも、それ程混まずに(それ程、混雑せずに)、落ち着いて作品を鑑賞出来る、穴場と言った感じの美術館です。
前述の通り、この日は、この時、太田(oota)記念美術館で行われていた、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)を見て来ました。
この展覧会(exhibition)は、私も彼女も、気になっていた展覧会(exhibition)です。
この展覧会(exhibition)、興味深く、良かったです(彼女も、良かったと言っていました)。
この時、この展覧会(exhibition)の会期の終了が迫っていましたが(私も、彼女も、出足が遅いw)、前述の通り、太田(oota)記念美術館は、穴場の美術館であるので、それ程混まずに(それ程、混雑せずに)、落ち着いて作品を鑑賞出来ました。
ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、3歳から(3歳の時に、父の仕事の関係で、日本を訪れた)、64歳で亡くなるまで、日本に暮らし、1934年頃から活躍した、フランス人の、新版画(shinhaga)の、版画家です。
参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。
以下、参考の投稿。
Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3593602/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
新版画(shinhaga)とは、近代版の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)である、版画です。
新版画(shinhaga)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
120年前の別荘跡他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3733506?&sfl=membername&stx=nnemon2
前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)(1896年生まれ。1960年に亡くなる)は、3歳から(3歳の時に、父の仕事の関係で、日本を訪れた)、64歳で亡くなるまで、日本に暮らし、1934年頃から活躍した、フランス人の、新版画(shinhaga)の、版画家です。
以下、「」内。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)に関する説明は、基本的には(補足の説明を加えています)、wikiから抜粋して来た物です。
「1896年、パリ(Paris)に生まれる。1897年に、父親が、現在の一橋(hitotsubashi)大学(東京の国立大学の一つ。日本を代表する名門国立大学の一つ。1920年に大学となる。元々、東京都心にあったが、1927年に東京の西部郊外に移転)の前身の日本の国立の高等教育機関(1875年に創立。以下、一橋(hitotsubashi)大学と書きます)の、フランス語科講師として、日本に訪れ、日本で暮らすようになる。ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、その2年後の1899年、3歳の時に、母と共に日本に訪れ、両親と共に日本で暮らすようになる。日本文化を学び、日本語、書道(calligraphy)、音楽、ダンス(dance)等を習い、10代の前半から、一橋(hitotsubashi)大学で、父の同僚であり、一橋(hitotsubashi)大学で講師をしていた、黒田
清輝(kuroda
seiki)(1866年生まれ。1924年に亡くなる。1890年代から活躍した、日本の有名な近代画家(西洋画家)。日本の初期の近代画(西洋画)を代表する画家の一人。美術教育者としても活躍)と久米
桂一郎(kume keiichirou)(日本の西洋画家。一橋(hitotsubashi)大学で教授をしていた)から、油絵(西洋画)を学ぶ。
1907年からは、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)の流れを汲む、池田
輝方(ikeda
terukata)(1883年生まれ。1900年代から活躍した、日本の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家・日本伝統画家。1921年に亡くなる。池田
蕉園(ikeda syouen)の夫)と池田 蕉園(ikeda
syouen)(1886年生まれ。1900年代から活躍した、日本の、女性、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家・日本伝統画家。1917年に亡くなる)に、日本画(日本伝統画)を学ぶ(これが、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の、芸術家としての原点となる)。
油絵(西洋画)及び日本画(日本伝統画)を学んだ、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、一時、フランスに帰国した後、再び、日本に戻り、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)に強く魅せられ、日本画(日本伝統画)に親しんだ。
1927年頃からは、水彩画を描くようになった。ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、1929年から1932年まで、毎年、療養目的で(ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、生まれつき病弱であった)、ミクロネシア(Micronesia)の島々等に滞在し、マリアナの島々(Mariana
Islands)(サイパン島(Saipan)等。当時、日本の、委任統治領であった)、カロリン諸島(Caroline
Islands)(当時、日本の、委任統治領であった)、スラウェシ島(Sulawesi)
、フィジー諸島(Fiji)等の、現地の人々を、水彩画として描いている(後に、版画化している)。
ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の父が亡くなった後、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の母が、日本人の、医師(医者)と再婚し、韓国(当時は、日本の統治下にあった)のソウル(Seoul)に引っ越した事をきっかけに、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、1930年頃から、5回、韓国を訪れて、滞在している。
ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1931年より、木版画の制作を始め、1934年頃から、新版画(shinhaga)の、版画家として活躍するようになり、有名となる。
以降、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、南方の島々(ミクロネシア(Micronesia)の島々等)だけでなく、韓国や中国にも、滞在し、韓国や中国の人々を描いた、新版画(shinhaga)も、多く制作する様になる。
ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1942年に、技法上の贅を尽くした、5点連作の「中国宮殿風俗」を版行した後は、第二次世界大戦のために制作の中断を余儀なくされた。
1944年には、軽井沢(karuizawa)(下の補足説明を参照)に疎開(sokai)した。
軽井沢(karuizawa):長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県)の群馬(gunma)県(東京圏の北西端に位置する県)に接する辺りに位置する、避暑地・別荘地。東京圏周辺を代表する避暑地・別荘地の一つであると共に、日本を代表する避暑地・別荘地の一つ。
疎開(sokai):疎開(sokai)とは、戦争中、空襲の被害から逃れる為、空襲の被害を受け易い、大都市や中都市(中規模程度の人口の都市)の中心部を離れ、郊外や田舎に、一時的に滞在、若しくは、一時的に移り住む事で、第2次世界大戦中、空襲の被害が大きかった、日本とヨーロッパでは、盛んに、行われました。比較的裕福な層は、郊外や田舎に、家を購入して移り住んだり、(元々保有していた)郊外や田舎の別荘に滞在する事が可能でしたが、庶民は、(田舎から大都市に出て来ている場合等は)実家を頼るか、若しくは、親戚を頼るか、学校疎開(学校毎の疎開(sokai))に、子供を送るしかありませんでした
ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、第二次世界大戦後も、軽井沢(karuizawa)に住み続けて、版画の制作を続けた。
第二次世界大戦後(日本の第二次世界大戦敗戦後)、日本駐留の、アメリカ軍関係者達が、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品を競って買い求めた。
ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、軽井沢(karuizawa)では、ジョージ6世(George VI
)(イギリスの国王)とエリザベス2世(Elizabeth II)、ハリー・S・トルーマン(Harry S.
Truman)、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)、ウィンストン・チャーチル(Winston
Churchill)等の為の新作を完成させるとともに、3万点にも及ぶ蝶のコレクション(collection)を所有していた。なお敬虔なクリスチャン(Christian・キリスト教徒)であったポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、得た収入の多くを軽井沢(karuizawa)の教会や幼稚園に寄付していた。
1960年に軽井沢(karuizawa)で糖尿病により亡くなった。ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の作品のコレクター(collector)には、ハリー・S・トルーマン(Harry S.
Truman)、グレタ・ガルボ(Greta Garbo)、ピウス12世(Pope Pius XII)(第260代ローマ教皇)等もいた。」
前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の父が亡くなった後、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の母が、日本人の、医師(医者)と再婚し、韓国(当時は、日本の統治下にあった)のソウル(Seoul)に引っ越した事をきっかけに、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、1930年頃から、5回、韓国を訪れて、滞在しており、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、1934年以降、韓国の人々を描いた、新版画(shinhaga)も、多く制作しています(前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、1931年より、木版画の制作を始め、1934年頃から、新版画(shinhaga)の、版画家として活躍するようになり、有名となりました)。
ちなみに、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)が、1934年に、韓国から招いた、韓国人の助手は、以降、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)が、1960年に、64歳で亡くなるまで、日本で、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の事を支え、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、その韓国人の助手の長女を養女にしています(養女は、1970年に日本国籍を取得)。したがって、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、韓国とも縁が深いです。ちなみに、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)は、生涯独身で、実の子供はいませんでした。ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の養女(横浜美術館に多くの、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の作品を寄贈した)は、2015年に、横浜美術館(下の補足説明を参照)の、元(かつて)主席学芸員であった、日本の女性(長年に渡る、ポール・ジャクレー(Paul
Jacoulet)の研究と、日本とフランスの文化交流に貢献した実績が評価された)と共に、フランス政府から、芸術文化勲章(Ordre des
Arts et des Lettres)、シュヴァリエ(Chevalier)を授与されています。
横浜美術館:横浜市(東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、人口が多い都市。東京圏の南部に位置する)が運営する、美術関連施設の一つで、規模の大きな、公立の美術館です。
写真以下3枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例。パンフレット(leaflet)及び、絵葉書より。。。全て、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の、新版画(shinhaga)の作品です。
「打ち明け話の相手」(1942年)。連作、「満州(Manchuria)宮廷の王女達」より。
左端。「貝を持つファララップ(ミクロネシア(Micronesia)にある島の一つ)の女」(1935年)。
上側。右から。。。「北風 韓国」(1953年)。「太平洋の神秘、南洋」(1951年)。「オロール島(カロリン諸島(Caroline Islands)にある島の一つ)の少年、東カロリン」(1940年)。
下側、右から。。。「オウム貝。ヤップ島(Yap)」(1958年)。「真珠 満州(Manchuria)」(1950年)。「清馨さん」(1935年)。
「花婿。ソウル(Seoul)」(1950年)。
写真以下6枚。おまけ。この時、太田(oota)記念美術館に置いてあった、パンフレット(leaflet)より。。。
写真以下4枚。8月1日から8月27日にかけて、太田(oota)記念美術館で行われていた、「歌川広重(utagawa
hiroshige) 山と海を旅する」と言う、歌川広重(utagawa
hiroshige)(下の補足説明を参照)の、山と海の、景勝地を描いた作品の展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、見に行くつもりはなく、見に行きませんでした。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家の一人。
写真以下2枚。山種(yamatane)美術館(下の補足説明を参照)で、7月29日から9月24日まで行われていた、日本画(日本伝統画)の近代化及び「近代・現代の日本画(日本伝統画)の画家達は、如何に、伝統に向き合い、様々な、表現や技法を探求して来たのか」と言う事をテーマとした、近代・現代、日本画(日本伝統画)の、一流の画家達の作品の、総合的な、展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、見に行くつもりはなく、見に行きませんでした。
山種(yamatane)美術館:日本の、米の大手(大規模)卸売会社、山種(ヤマタネ。
yamatane)等の、オーナー(owner)で有った、日本の実業家、山崎 種二(yamazaki
taneji)の個人コレクション(collection)を基礎にした、1966年に開館した、日本伝統画専門の私営美術館で、近代日本伝統画を中心とした、質の高い収蔵品(collection)を有しています。広尾(hiro)(渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)の南部)に位置している。
1929年の作品。
右側の右、1934年の作品。右側の左、1907年の作品。
下、1915年の作品。
左側、上から、1987年の作品、1970年の作品、1944年の作品。
この日の夕食は、我が家に帰って来て、彼女と食べました。
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、主に、赤ワイン(wine)を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、この日、帰りに、私の街のマートの一つで、我が家の最寄りの通勤電車・地下鉄駅に入っているマートで買って来た、ステーキ(beefsteak)肉を焼いて、ステーキ(beef
steak)にしました(量よりも、質と言った感じで、山形(yamagata)牛(山形(yamagata)県(日本の東北地方の県の一つ。高品質な牛肉の、有名な産地の一つ)産の、高品質な牛肉(黒毛和牛(日本原産の高級牛肉))の、シンシン(shinshin)(内股の下にある、丸い形の肉の中心部分の肉)の、ステーキ(beefsteak)肉、1枚90g程を、2枚焼き、一人一枚ずつ食べました)。
ちなみに、この日の夕食時は、私も彼女も、ご飯(rice)・パンは、パンを食べました。
写真以下2枚。何れも、この日の夕食で、メイン(main)料理(ステーキ(beef steak))以外に食べた物の一つで、何れも、この日、帰りに、私の街のマートの一つで、我が家の最寄りの通勤電車・地下鉄駅に入っているマートで買って来た物です。
合鴨(鴨とアヒルの交配種の肉)のロース(loin)の、パストラミ(pastrami)。さっぱりと、そのまま食べるのと、温めて、こってりと柔らかく食べるのと、2種類の食べ方で食べました。何れも、食べ方も、美味しいです。
北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方。乳製品を含む、良質な食材の、一大(主要な)産地となっている)の極、蟹クリームコロッケ。食べる際に、温め直してから食べました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。ちなみに、この日の夕食時も、野菜サラダ(salad)(手作り)を食べました。
「我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容であり、又、我が家で、夕食を食べる時は、野菜サラダ(salad)を食べる事が、多い事から、我が家の、ドレッシング(dressing)の、需要は、大きいです。
我が家には、常時、概ね、3、4種類の(少なくとも3種類の)、ドレッシング(dressing)を買って使えるように用意しています(特に、どのドレッシング(dressing)とか決まっている訳ではありません)。」
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。
「お茶は、我が家には、少なくとも、常時、紅茶、(少なくとも複数の種類の)ハーブティー(herbal
tea)、緑茶を買い置いています。紅茶は、常時、少なくとも、数種類買い置いていますが、中でも、アールグレイ(Earl Grey
tea)は、必ず、買い置いています(私も、彼女も、アールグレイ(Earl Grey tea)が、好きです)。」
これは、頂き物ですが、この日の夕食の、デザート(dessert)と共に飲んだ紅茶。TWG
Tea(シンガポール(Singapore)の、高級、紅茶ブランド(brand))の、紅茶です。以下、「」内。この、紅茶製品の、説明。TWG
Teaの、日本の公式siteより。。。
「まるで結婚を祝福するような華やかで甘い香りの紅茶です。パイナップルの甘くエキゾチックな香りに心が躍ります。
フルーツの甘い香りがお好きな方におすすめです。賑やかなティータイムにもぴったりのお茶です。原材料名:紅茶(スリランカ)、パイナップル、マリーゴールド。
100% コットン ティーバッグ:TWG Tea のお茶の味わいをしっかりとティーカップに表現できる、手縫いのコットンティーバッグ。」
写真以下。この日の夕食の、デザート(dessert)。彼女の、希望で、原宿(harajyuku)のケーキ(cake)店の一つ(以下、このケーキ(cake)店と書きます)で、この日、買って来た、カスタードプリン(crème
caramel)とケーキ(cake)。何れも、彼女が、選んだ物で、何れも、2人で(彼女と)、分けて食べました。この店のケーキ(cake)等は、複雑な味のハーモニーを奏でると言った感じではなく、素直な味ですが、使っている素材は、何れも、質が高い感じで、普通に、美味しいです。
このケーキ(cake)店は、前から、彼女が、ちょっと気になっていた店で、5月の上旬に、前日に我が家に泊まった彼女と、その時、太田(oota)記念美術館で行われていた、猫の(猫を題材にした)浮世絵(ukiye)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、展覧会(exhibition)を見て来た帰りに、初めて利用しました(ケーキ(cake)を買って来ました)。
5月の上旬に、その時、太田(oota)記念美術館で行われていた、猫の(猫を題材にした)浮世絵(ukiye)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、展覧会(exhibition)を見て来た時の事と、その時、このケーキ(cake)店で買って来た、ケーキ(cake)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
太田記念美術館 猫の浮世絵展覧会他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
写真以下3枚。カスタードプリン(crème caramel)。熊は、チョコレート(chocolate)です。前述の通り、複雑な味のハーモニーを奏でると言った感じではなく、素直な味ですが、使っている素材は、何れも、質が高い感じで、普通に、美味しいです(彼女も、同様の感想です)。
写真以下。チョコレート(chocolate)ミント(mint)系の、ケーキ(cake)。熊は、チョコレート(chocolate)です。
チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっていて、怒っているみたいで、彼女は、ちょっと残念がっていました。店員さんの責任ではありませんが(このケーキ(cake)店は、見本で置いてあるケーキ(cake)の中から、お客が選んだ種類のケーキ(cake)を、店員さんが、店の奥の冷蔵庫から出して来て、渡すと言う形式で、店員さんは、機械的に(何も考えずに・無意識に)、この種類のケーキ(cake)の内、店の冷蔵庫の一番手前にあった物を出して来ただけと思います)、ケーキ(cake)を作る時点で(ケーキ(cake)を作る人)が、もっと、しっかりとして欲しいです。ケーキ(cake)を、箱に入れる前に、店員さんは、このケーキ(cake)で宜しいでしょうか?(このケーキ(cake)でいいですか?)と、お客に確認しますが、他の人も、通常、そうだと思いますが、私も彼女も、選んだケーキ(cake)と違う種類のケーキ(cake)ではないかどうかと言う事を確認するだけで、ケーキ(cake)の、チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっているかどうか等と言う細かい所までは、よく見て、確認していませんでした。彼女は、ちょっと残念と言う気持ちと、このハプニングを(チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっていて、怒っているみたいだったと言う事をw)楽しむ気持ちと半々と言った感じのようでした。
もちろん、このケーキ(cake)店の、ケーキ(cake)等の、チョコレート(chocolate)の熊は、皆、この様に、目が吊り上がっていると言う訳では、全くなく、5月の上旬に、太田(oota)記念美術館で、展覧会(exhibition)を見て来た帰りに、このケーキ(cake)店で買って来た、ケーキ(cake)(彼女が選んだ物。上でもリンクを付けましたが、すぐ下でリンクを付けた投稿を参照して下さい)の、ケーキ(cake)のチョコレート(chocolate)の熊は、目が吊り上がっておらず、穏やかな顔をしていました。
太田記念美術館 猫の浮世絵展覧会他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、彼女は、この店の、ケーキ(cake)等について、味も含めて、納得と言った感じで、この店は、もう利用しなくてもいいかなと話していますw
この日も、彼女は、我が家に泊まりました。
以下、比較的最近の投稿(我が家での食事の話を含む投稿を中心に)。
バターナッツ南瓜(butternut squash)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735874?&sfl=membername&stx=nnemon2
目黒の秋刀魚(落語(日本の伝統的な話芸))・鬼瓦焼き他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735529?&sfl=membername&stx=nnemon2
Dalloyau(フランスの340年以上の歴史を有する菓子・食品会社)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735150?&sfl=membername&stx=nnemon2
100年近く前に建てられた銀行の建物他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732616?&sfl=membername&stx=nnemon2
ビリヤニ(南アジア・東南アジアの伝統料理)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732615?&sfl=membername&stx=nnemon2
倉敷の110年以上の歴史を有する食品会社他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3730714/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
生人形(日本の伝統的な人形)・松濤美術館他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3730709?&sfl=membername&stx=nnemon2
冨士三十六景 駿河三保之松原他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3724120/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
油揚げ(日本の伝統的な食品)他色々→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3722446/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
竜田揚げ(日本の伝統的な揚げ物料理)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3721278/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
薩摩揚げ(鹿児島県の伝統料理)・黒玉(山梨県の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3718863/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2