基本的に、2018年の7月の後半に行った投稿の再掲で(投稿文は、2018年の7月の後半の投稿を前提としています)、2018年の6月の初めに、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、猿(saru)島を中心とした、横須賀(yokosuka)に遊びに訪れた時の物です。
6月の初め、彼女と、猿(saru)島を中心とした、横須賀(yokosuka)に遊びに訪れた(デート(date)で訪れた)時(以下、この日と書きます)の物です。この時は、自動車で、横須賀(yokosuka)に訪れました。
横須賀(yokosuka)は、東京の、南部近郊の海沿いに位置する中都市(中規模程度の人口の都市)です。
横須賀(yokosuka)は、中都市(中規模程度の人口の都市)としては、人口は、多く、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の、主要都市の一つとなっていると共に、東京の主要な、衛星都市 (satellite city)の一つとなっています。
ちなみに、ここでは、衛星都市
(satellite
city)とは、都市圏にあり、都市圏の中心都市(東京の場合、東京中心部(東京23区))と、ある程度の、経済的・文化的な繋がりを持つが、都市圏の中心都市(東京の場合、東京中心部(東京23区))からは、離れており(比較的、遠い場所にあり)、都市圏の中心都市(東京の場合、東京中心部(東京23区))に、通勤する人々は、少ない都市と言う意味で使っています。
横須賀(yokosuka)(横須賀(yokosuka)の中心市街地)は、東京都心部(品川(shinagawa)駅(東京都心部の南部に位置する。東京の6大主要駅(東京駅、新宿駅、渋谷(shibuya)駅、池袋(ikebukuro)駅、上野(ueno)駅、品川(shinagawa)駅)の一つ))から、特別料金が不要な(特別料金を支払う必要がない)、通勤電車の、快特(express)で、40分位、横浜(神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の中心都市。東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、第二の人口を有する都市)の都心からは、特別料金が不要な(特別料金を支払う必要がない)、通勤電車の、快特(express)で、25分位となっています。
横須賀(yokosuka)は、東京都心部からは、遠い為、東京都心部に通勤している人々は、少ない様ですが、横浜の都心部に通勤している人々は、ある程度いる様です。
ちなみに、東京都心部の西部に位置する我が家から、横須賀(yokosuka)まで、電車で行く場合、乗り換えもあり、若干(少し)、不便となっています。
横須賀(yokosuka)は、伝統的に(古くから)、日本最大の、軍港都市であると共に、日本を代表する、軍港都市となっています。
横須賀(yokosuka)は、近代以降、日本の海軍(第二次世界大戦後は、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する))が、東京圏における拠点を置いている都市であり、伝統的に、日本の海軍(第二次世界大戦後は、海上自衛隊)の、主要な拠点となっている都市の一つであると共に、最も、重要な拠点となっている都市です。
横須賀(yokosuka)には、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する)の隊員(兵隊)、及び、その家族、その他の、海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する)の関係者、及び、その家族が、多く暮らしている様です。
また、横須賀(yokosuka)は、第二次世界大戦後は、アメリカの海軍も、基地を置き(駐屯をし)、横須賀(yokosuka)の、アメリカ海軍の基地は、アメリカ海軍の、海外における、最大の基地となっていると共に、東アジア地域における、アメリカ海軍の、最も、重要な基地となっています。この事から、横須賀(yokosuka)の、食文化等は、日本の他の都市よりも、比較的、アメリカの影響を強く受けた物となっています。
この様に、横須賀(yokosuka)は、伝統的に、海軍(第二次世界大戦前は、日本の海軍、第二次世界大戦後は、日本の海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する)と、アメリカ海軍)と共に、発展して来た、軍港都市となっています。
また、現代の、横須賀(yokosuka)は、日本を代表する、軍港都市であると言う事を、観光に利用(活用)しています。横須賀(yokosuka)の、日本の海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する)と、アメリカ海軍の、軍港を、船で巡り、停泊している、日本の海上自衛隊(第二次世界大戦後の、日本の海軍に該当する)と、アメリカ海軍の、軍艦(軍事用の船)を見る、ツアー(tour)は、東京圏に暮らす人々を中心に、とても、高い人気を集めています、
写真以下2枚。これは、参考に。。。東郷 平八郎(togo
heihachiro)(写真は、借り物)。日露戦争(1904年から1905年にかけて行われた、日本と、ロシア(Russia)との間の戦争)において、日本海軍の連合艦隊を率いて(この戦いにおける、旗艦(flagship)であった、三笠(mikasa)に乗船し)、(当時、世界最強の艦隊の一つと言われた)ロシア(Russia)のバルチック艦隊(Baltic
Fleet)と戦い、圧倒的な勝利を収めた、日本の軍人(海軍大将)。この戦いの勝利は、この戦争の、日本の、実質的な勝利を決定づける、重要な要因の一つとなりました。


この日、横須賀(yokosuka)に遊びに訪れた主目的は、猿(saru)島に遊びに訪れる事にありました。
猿(saru)島は、横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、船で、10分程の所にある無人島で、現在は、ちょっとした観光地として整備されています。横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、猿(saru)島に渡る船は、一時間に、1本くらいの割合で出ています。
写真以下2枚。戦艦、三笠(mikasa)。三笠(mikasa)は、日露戦争(1904年から1905年にかけて行われた、日本と、ロシア(Russia)との間の戦争。日本が、実質的に勝利した)で活躍した、近代の、日本の海軍の、戦艦(battleship)です(1902年に完成。15,140トン。イギリス製)。三笠(mikasa)は、横須賀(yokosuka)の中心市街地の海沿いの小規模な公園(この公園は、実質的に、三笠(mikasa)を保存・展示する為に、整備された公園であると言った感じです)に、永久保存・展示されています。三笠(mikasa)は内部を見学出来るようになっています。
前述の通り、この日、横須賀(yokosuka)に遊びに訪れた主目的は、猿(saru)島に遊びに訪れる事にありました。猿(saru)島は、前からちょっと気になっていたのですが、この時、初めて訪れたのですが、中々良かったです。
猿(saru)島は、横須賀(yokosuka)の中心市街地の沖にある無人島です。
猿(saru)島の名前の由来は、1253年の5月に、日蓮(nichiren)(中世の日本の有名な仏教の僧侶。1222年生まれ。1282年に亡くなる)が、船に乗っている時に、嵐に遭い、船の進む方向さえ分からなくなった時に、近くの島に避難したところ、一匹の白猿(白い猿)が現れ、島の奥に案内したという言い伝えから、猿(saru)島の名前がついたと言う説があります(猿(saru)島のパンフレット(leaflet)を参考にしました)。
猿(saru)島は、19世紀中期から19世紀後期にかけて、日本軍の要塞として整備され、第二次世界大戦まで、日本軍の要塞となっていました(ただし、実戦では、使われた事がありません)。
猿(saru)島は、横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、船で、10分程の所にある無人島で、現在は、ちょっとした観光地として整備されています。横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、猿(saru)島に渡る船は、一時間に、1本くらいの割合で出ています。
写真以下3枚。猿(saru)島のパンフレット(leaflet)。
猿(saru)島の、島内の地図。
猿(saru)島は、バーベキュー(barbeque)や釣りを楽しむ事が出来、又、海岸線の一部は、海水浴場となっており、夏には、横須賀(yokosuka)の市街地を眺めながら海水浴が出来る、横須賀(yokosuka)の中心市街地から、最も近い海水浴場となっています。猿(saru)島は、若者を中心に、人気が高い島となっており、また、デート(date)場所としても、人気が高い場所となっています。
写真以下。猿(saru)島。
写真以下6枚。猿(saru)島は、横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、船で、10分程の所にある無人島で、現在は、ちょっとした観光地として整備されています。横須賀(yokosuka)の中心市街地の、海沿いの港から、猿(saru)島に渡る船は、一時間に、1本くらいの割合で出ています。
猿(saru)島から眺めた、横須賀(yokosuka)の市街地。
横須賀散歩・猿島他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3879134?&sfl=membername&stx=nnemon2