参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。」
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、基本的に、2010年の6月の下旬に行った投稿の再掲で(投稿文は、2010年の6月の下旬の投稿を前提としています)、2010年の3月の半ばに、当時、交際していた、女性と、新宿(shinjyuku)、池袋(ikebukuro)エリア(area)を散歩して来た時の物です。
3月の半ばの週末に、近場で、遊んで来た時の物です。土曜日は、個人的に仕事だったのですが、翌日の日曜日は、休みだったので、近場で遊んで来ました。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。林 芙美子(hayashi fumiko)記念館に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
戦前に開発された住宅地他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3880015?&sfl=membername&stx=nnemon2
林
芙美子(hayashi
fumiko)記念館を見学した後は(前回の投稿を参照)、新宿(shinjyuku)区の北西部を離れ、池袋(ikebukuro。東京中心部の北西部に位置する大きな繁華街。東京最大級の繁華街の一つ)の外れの住宅地にある、熊谷
守一(kumagai morikazu)美術館を訪れました。
写真以下5枚。池袋(ikebukuro)。東京中心部の北西部に位置する大きな繁華街で、東京最大級の繁華街の一つです(写真は、美術館を訪れた後、帰りに撮影した物)。第2次世界大戦後に急成長した、新興の大繁華街です。





写真以下5枚。池袋(ikebukuro。東京中心部の北西部に位置する大きな繁華街。東京最大級の繁華街の一つ)の外れの住宅地に有る、熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館。熊谷 守一(kumagai morikazu)が、1932年から1977年に亡くなるまで暮らした家の敷地を利用して(家の建物は、美術館の建物を建てる際に取り壊されてしまったと思います)、1985年に開設された、熊谷 守一(kumagai morikazu)専門の、小ぢんまりとした美術館です。私は、熊谷 守一(kumagai morikazu)は、個人的に、その作品が好きな、芸術家の一人なので、熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館は、私の、お気に入りの美術館の一つとなっています。熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館周辺は、静かで落ち着いた住宅地ですが、新宿(shinjyuku)区の北西部よりかは、比較的庶民的な雰囲気となっています。






熊谷 守一(kumagai morikazu)。1880年生まれ、1977年に亡くなる。第2次世界大戦前から1970年代にかけて活躍した、日本の有名な、近代・現代画家です。ピカソ(picasso)の様に、普通に絵を描いても上手な画家ですが、絵は、だんだんと単純化された物になって行きました。金や名声と言った物に執着は無く、人が、たくさん来ては、困るからと、文化勲章授与者に選ばれながらも、それを受ける事を辞退し、絵は、描きたい時に描き、生活は、決して豊かでは無かった様です。
写真以下13枚。絵葉書等の写真で申し訳ありませんが、熊谷 守一(kumagai morikazu)の作品例。


「白猫」。1959年。

「蝉」。1961年。

「どろ(泥)人形」。1962年。

「冬の夜」。1964年。

「桜」。1964年。

「つゆ草」。1964年。

「母子像」。1965年。

「野草」。1972年。

熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館のパンフレット(leaflet)の表紙から。。「アゲ羽蝶」(1976年)。

「とんぼ(トンボ)」 1977年。

「蟻」 制作年が、ちょっと分かりません。。。

「眠猫」 制作年不詳。

「とんぼ(トンボ)」制作年が、ちょっと分かりません。。。
熊谷 守一(kumagai morikazu)美術館周辺を含む、池袋(ikebukuro)の西の外れに広がる広い範囲の住宅地(1920年から1930年代頃は、東京の都心に、比較的近い、東京の郊外と言った感じだった)は、1920年代から第二次世界大戦まで、アトリエ(studio)付き借家が建ち並ぶアトリエ(studio)村郡があり、この地域に住む、若手芸術家達の間で、池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)と呼ばれていました。この地域に集まって来た、多くの若い芸術家達は、日夜、熱く語り合い、切磋琢磨して制作に励み、創作を持って主張しました(この地域のある、豊島(toshima)区(東京中心部(東京23区)の北西部に位置する区。中心繁華街は、池袋(ikebukuro))の資料より。。。)。以下、「」内は、wikiより。。。「池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)は、無名で、貧困生活を送る活力あふれる画家(や芸術家)たちの集まりであった。だが、多くの芸術家が戦争で召集され芸術運動としては終末を迎えた。軍国主義の政治環境の中で、退廃的・不健全と評価されたことが影響している」。
この時、熊谷
守一(kumagai morikazu)美術館では、小熊 秀雄(oguma
hideo)の絵画作品の展覧会(exhibition)をやっていました。展覧会(exhibition)とは言っても、熊谷 守一(kumagai
morikazu)美術館自体が、熊谷 守一(kumagai
morikazu)の家の敷地を利用して建てられた小ぢんまりとした美術館なので、小ぢんまりとした展覧会(exhibition)でしたが。。。今回、熊谷
守一(kumagai morikazu)美術館を訪れた、主目的は、この展覧会(exhibition)を見る事でした。

小熊 秀雄(oguma hideo)。1901年生まれ、池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)で暮らし、同じく池袋(ikebukuro)モンパルナス(Montparnasse)に暮らす芸術家達と交流しながら、1930年代に活躍し、1940年、39歳の若さでな亡くなった、詩人、小説家、漫画原作者です。詩作にとどまらず、童話・評論・絵画など幅広い分野で活躍し、原作を担当した漫画「火星探検」(1940年)は、SF漫画(manga)の先駆的傑作とされ、手塚 治虫(tezuka osamu)、小松 左京(komatsu sakyo)、筒井 康隆(tsutsui yasutaka)、松本 零士(matsumoto reiji)等に大きな影響を与えました(wikiより)。
写真以下22枚。パンフレット(booklet)の写真で申し訳ありませんが、小熊 秀雄(oguma hideo)の絵画作品例。小熊 秀雄(oguma hideo)が、描いた、油彩画、水彩画、素描です。全て、1920年代後半から1930年代に描かれた物です。


「すみれ」。

「スミレと時計」。

左、「月夜の幕開」。右、「きのふ(昨日)は嵐けふ(今日)は晴天」。

写真左上から、時計回りに、「飛翔するイメージ 童話風に」、「詩人の食卓」、「ピストル」、「三人の人物とカエル」、「道は帝政か?共和か?」、「たき火にあたる人物」

「飛翔するイメージ 童話風に」

「たき火にあたる人物」

「ピストル」





「激情(自画像)」



「電車内」

「荷積み」


「新聞を読む男」



「作業場」
池袋(ikebukuro)から、私の街に近い、新宿(shinjyuku)に移動しました。新宿(shinjyuku)駅南口のサザンテラスの冬のイルミネーションを見ようとしましたが、終っていましたorz。もっと早く終っていたのに、この日までと、思い込みで勘違いしていましたw。普段、仕事の外回り中に、サザンテラスの冬のイルミネーションなんて、いくらでも見ているのに、改めて、休日に、ゆっくり見ようと思ったら、終っている。。。皮肉ですねw。写真以下、5枚。一応、行きましたよ。。と言う事で写真だけ。。。新宿(shinjyuku)駅、南口付近の夜景。中には、かなりボケている写真があって、済みません。。。






新宿(shinjyuku)にある、Keioデパート新宿(shinjyuku)本店(写真は、私が撮影した物ではなく、借り物です)。1964年の開業以来の建物を、現在も使用し続けています。庶民的な繁華街である(まあ、池袋(ikebukuro)もそうですが)新宿(shinjyuku)にあるデパートの中でも、最も、庶民的なデパートです。
写真以下4枚。夕食は、Keioデパート新宿(shinjyuku)本店の食堂街に入っている、カジュアル(casual)な洋食(yoshoku)(日本人の視点からすれば、日本人好みに、改良された西洋料理)レストランで食べました。この店は、今回、初めて利用しました。味は、まあまあと言った感じで、まあ、予想通りと言った感じでしたw
Keioデパート新宿(shinjyuku)本店の食堂街は、もう間も無く改装される様です。Keioデパート新宿(shinjyuku)本店の食堂街の中では、イタリア料理の「La
villetta」、豚カツの「さぼてん」、日本料理の「光悦」を、まあまあ、よく利用して来ましたが、この3店舗は、どうなるのかな。。。(まあ、この3店舗は、何れも、特に思い入れのある店と言う訳ではないので、別に、無くなっても、個人的には、惜しいとは、思いませんが。。。)。
写真以下4枚は、全て、一人一皿ずつです。これにパンが付きました。

付け合わせ(side dish)のスープ(soup)。

付け合わせ(side dish)のサラダ(salad)。

蟹クリーム(cream)コロッケ。

ビーフシチュー(beef stew)。
写真以下。我が家に帰って来てから食べた物。
新宿(shinjyuku)にあるtakanoは、建物は、新しいビルですが、1885年創業の、120年以上の歴史を有する高級果物店&fruit
parlor(フルーツ(果物)料理のレストラン&cafe)です。世界中から一流の高級果物を集めて、販売し、またレストラン&cafeで提供しています。
写真以下5枚。takanoの、新宿の地下街の支店で買ったデザート(dessert)。






お茶菓子。東京都心部東部の人形町(ningyoucho)のケーキ(cake)・西洋菓子店、シュークリー(Sucre-rie)の、クッキー(cookie)等。