参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。今の彼女も含み、相手の女性は、それはそれで、私色に染まって、私の影響を受けて、私と共に、楽しんで来てくれました(楽しんでくれてます)。ちなみに、私の今の彼女は、元々、好奇心が強い性格です。」
先月(11月)の第4土曜日(以下、この日と書きます)は、(前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後)、彼女と、新宿(shinjyuku)歴史博物館に訪れました。
新宿(shinjyuku)歴史博物館は、新宿(shinjyuku)区(下の補足説明を参照)が運営する、公立の、新宿(shinjyuku)区の歴史に関する博物館です。
新宿(shinjyuku)区:東京中心部(東京23区)の西部に位置する区。東京中心部(東京23区)の中でも中心的な地域に比較的近い西部に位置する。渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)(私が暮らす区)の北部から中部の東部に隣接している。新宿(shinjyuku)区で、最大の繁華街は、新宿(shinjyuku)区の南西端部に位置する、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)で、東京最大級の繁華街の一つとなっている。ちなみに、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)は、東京の大規模繁華街の中で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)から、最も、近い繁華街の一つで、我が家の、最寄りの通勤電車(電車)・地下鉄駅から、新宿駅まで、通勤電車(電車)で5分程です。
新宿(shinjyuku)歴史博物館は、電車・地下鉄の新宿(shinjyuku)駅から、通勤電車(電車)で、東に(東京都心部でも中心的な地域方面に)、5分程の、新宿(shinjyuku)区の、四ツ谷(yotsuya)areaにあります。
以下、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。四ツ谷(yotsuya)areaの風景例、新宿(shinjyuku)歴史博物館の概要、この時、新宿(shinjyuku)歴史博物館で見て来た、展覧会(exhibition)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
新宿歴史博物館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3881855?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、新宿(shinjyuku)歴史博物館の常設展示の例の続きです。新宿(shinjyuku)歴史博物館の常設展示の例に関しては、すぐ上でリンクを付けた前回の投稿も参照して下さい。
写真以下17枚。四ツ谷(yotsuya)areaにあった、和菓子(日本伝統菓子)店の、18世紀から19世紀半ば頃の、住宅兼店舗の建物の一部を、復元した展示です。
以下、「」内。基本的に、展示の解説文より。。。
「江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)の、日本の、菓子店は、郷土色(地域的特徴が強い)一種類の菓子又は限られた種類の菓子を販売する店と、京都(kyoto)(日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市)の菓子を中心として、幅の広い(種類の多い)和菓子(日本伝統菓子)を販売する店の、2種類ありました。後者の、菓子店の中には、政府や、地方領主、仏教の寺、神道(Shinto)の神社(shrine)等に、お菓子を納入する役割を担う店として、特別に認められた店もありました。江戸(edo)時代の中期以降は、菓子店は、同業組合を作り、様々な、規約を設けました。新宿(shinjyuku)区内においては、四ツ谷(yotsuya)の菓子店が、職人の取り扱いや価格に関する取り決めをしています。」
写真以下2枚。四ツ谷(yotsuya)の菓子店の、住宅兼店舗の建物で、実際に使われていた瓦(江戸(edo)時代)。
菓子を作る際に使う、菓子の型(1864年)。
写真以下3枚の、置物・飾りは、犬張子(inuhariko)。犬張子(inuhariko)は、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)からの、歴史を有する(起源は、もっと、ずっと古い時代にあるとされますが、江戸(edo)時代に、広まった)、子犬(子供の犬)の形をした、日本の伝統的な、子供向けの玩具・おもちゃ(toy)、安産や子供の健康な成長の為の、お守りです(犬は、多産(子供を、たくさん生み)・安産で(お産が軽く)、子犬(子供の犬)は、健康で、よく育つ事から)。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、犬張子(inuhariko)に関する参考の投稿。
犬張子(inuhariko)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3813589/page/14?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、猫と犬は、古くから(伝統的に)、日本人に、大切にされ、可愛がられて来ました。
以下、参考の投稿。
動物百景(古い動物絵画等)展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3828255/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
山種美術館 犬派?猫派?展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3826356/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
展示のガイド(解説)より。。。江戸(edo)時代において、四ツ谷(yotsuya)の菓子店を営む家(家族)で、正月に、食べられていた物の解説です。
上の絵は、福茶。以下、「」内、福茶の説明(基本的に、展示のガイド(解説)より)。「福茶は、日本で、伝統的に、正月に飲まれていた、小さい梅を塩に漬けた物と炒った大豆を、お茶に入れた物です(地域によって、中に入れる物は違い、色々な物があります)。現代の日本においては、福茶を飲んでいる家庭は、とても少ない様です。」
真ん中の絵は、お雑煮(zouni)。お雑煮(zouni)は、餅の入った汁(soup)料理です。日本では、伝統的に、正月に、お雑煮(zouni)を食べる習慣があります。お雑煮(zouni)は、日本全国各地域で、様々な物があります(展示のガイド(解説)より)。
下の絵は、お節(osechi)料理(日本の家庭で、伝統的に、正月に食べられている料理)の例で、伊達巻(datemaki)です。伊達巻(datemaki)は、代表的な、お節(osechi)料理の一つで、白身魚や海老の練り物と、卵を使って作った、甘い料理です。
江戸(edo)時代においては、日本では、正月に限らず、毎月、何らかの行事があり、盛んに行われていました(基本的に、展示のガイド(解説)より)。
新宿(shinjyuku)区で、最大の繁華街は、新宿(shinjyuku)区の南西端部に位置する、新宿(shinjyuku)(新宿(shinjyuku)駅の周辺)(以下、単純に新宿と書きます)です。新宿に関しては、以下の補足説明を参照して下さい。
新宿:電車の新宿駅の周辺。東京中心部(東京23区)の西部に位置する。渋谷(shibuya)(電車の渋谷(shibuya)駅周辺。東京中心部(東京23区)の西部に位置する)・池袋(ikebukuro)(電車の池袋(ikebukuro)駅周辺。東京中心部(東京23区)の北西部に位置する)と共に(新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro)は、何れも、大衆的な繁華街です)、第二次世界大戦後(特に、1960年代以降)、急速に発展し、東京最大級の繁華街の一つとなったが、新宿は、既に、1930年代において、東京の新興繁華街として急速に発展して、東京の主要な繁華街の一つとなっていた。ちなみに、東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街であると共に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。

写真は、借り物。1925年に建てられた、3代目の、日本国有鉄道(現在のJR)の、電車の、新宿(shinjyuku)駅の建物。前述の通り、新宿は、第二次世界大戦後(特に、1960年代以降)、急速に発展し、東京最大級の繁華街の一つとなりましたが、既に、1930年代において、東京の新興繁華街として急速に発展して、東京の主要な繁華街の一つとなっていました。
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以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿・関連投稿。
明日 待子(ashita matsuko)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3881588?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京都は、主に、東京中心部(東京23区)及び、東京の西部郊外・近郊から成る地方自治体で、日本の47の都道府県(prefecture)の一つです。
東京都(東京都が成立する前は、東京市(現在の東京中心部(東京23区)に該当する、地方自治体))は、東京で最大の、路面電車(tram)路線網を運営していて、最盛期には、運営する路面電車(tram)路線の、総距離は、213kmに及びましたが(wikiより)、地下鉄(地下を走る電車)路線網の発展等に伴い、1960年代から1970年代初めにかけて、ほとんどの路線を廃止し、1972年には、東京都(主に、東京中心部(東京23区)及び、東京の西部郊外・近郊から成る地方自治体)が、運営する、路面電車(tram)路線は、唯一、都電(toden)荒川(arakawa)線(路線距離、12.2km)のみとなりました。
写真以下10枚は、電車の、新宿駅の駅前を発着していた、1930年にデビュー(debut)した、東京市が運営する路面電車(tram)路線の車両の、前半分を復元した展示です。
1927年の、東京の、路面電車(tram)及び電車(通勤電車)の路線図です。
写真以下2枚。展示のガイド(解説)より。。。
これは、(おそらく、1920年代から1930年代頃の)、東京市が運営する路面電車(tram)路線の路線図が描かれた、東京市が運営する路面電車(tram)の切符です。
新宿(shinjyuku)歴史博物館の、パンフレット(leaflet)より。新宿(shinjyuku)歴史博物館の展示例で、1920年代から1930年代頃の、日本の、ホワイトカラー(white-collar worker)(事務職、企画職、営業職、販売職、研究開発職等の)の会社員の、通勤時の、服装と持ち物の展示です。
写真以下18枚。1935年頃の、新宿(shinjyuku)区内の、小さい(小学生から幼稚園位の)子供が2人いる、若い夫婦(夫は、会社員。妻は、専業主婦)の、一部西洋式を取り入れた日本伝統式の、借家(借りている一戸建て住宅)の一部を復元した物です。こうした世帯向けの、比較的手頃な家賃の借家(貸す・借りる事を前提とした一戸建て住宅)は、購入する事を前提とした一戸建て住宅よりも、広さや質の面等で、劣っていました。
以下、おまけ。この時、新宿(shinjyuku)歴史博物館においてあった、チラシ等(leaflet)より。
佐伯
祐三(saeki
yuzo)は、1898年に、大阪(東京に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する都市)で生まれ(仏教の寺の、男4人女3人の兄弟の次男として生まれた)、1928年、30歳の若さで亡くなった、1920年代に活躍した、日本の近代画家(西洋画家)です。
佐伯
祐三(saeki
yuzo)は、1921年、東京美術学校(現在の東京芸術大学。日本の芸術系の大学の中で、最高峰の大学。東京大学、京都(kyoto)大学等と並ぶ、日本を代表する名門大学の一つ)在学中に結婚、それを機会に、新宿(shinjyuku)区の北西部(静かで落ち着いた住宅地)に、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)兼住宅を建て、新しい生活を始めました。この頃、新宿(shinjyuku)区の北西部には、佐伯
祐三(saeki yuzo)だけでなく、若手エリート(elite)画家達が、多く暮らしていました。
写真以下2枚。新宿(shinjyuku)区の北西部(静かで落ち着いた住宅地になっています)に、1921年に建てられた、佐伯
祐三(saeki
yuzo)の、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)兼住宅の、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)部分。保存され、現在は、新宿(shinjyuku)区が所有・管理を行い、佐伯
祐三(saeki yuzo)アトリエ(studio)記念館として、一般に公開されています。佐伯 祐三(saeki
yuzo)アトリエ(studio)記念館のチラシ(leaflet)より。。。
右側の写真は、佐伯 祐三(saeki yuzo)。
佐伯 祐三(saeki yuzo)について、詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
佐伯 祐三(saeki yuzo)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3881374?&sfl=membername&stx=nnemon2
中村
彝(nakamura
tsune)(1887年生まれ。1924年に亡くなる)は、1900年代後期から活躍し、1924年に、病気により、37歳の若さで亡くなった、日本の、近代画家(西洋画家)です。中村
彝(nakamura tsune)は、生涯、独身でした。中村 彝(nakamura tsune)は、生活は、質素であった様です。
中村 彝(nakamura tsune)は、1916年、新宿(shinjyuku)区の北西部(静かで落ち着いた住宅地)に、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)兼住宅を建てました。
写真以下2枚。新宿(shinjyuku)区の北西部に、1916年に建てられた、中村
彝(nakamura
tsune)の、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)兼住宅(現在は、新宿(shinjyuku)区が所有・管理を行い、中村
彝(nakamura
tsune)アトリエ(studio)記念館として、一般に公開されています)のアトリエ(studio)(作品制作の作業場)部分(後に、増築されましたが、1916年に建てられた当時の姿に復元されています)。中村
彝(nakamura tsune)アトリエ(studio)記念館の、英語版の、パンフレット(leaflet)より。。。
新宿(shinjyuku)区の北西部に、1916年に建てられた、中村 彝(nakamura
tsune)の、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)兼住宅の、アトリエ(studio)(作品制作の作業場)部分(後に、増築されましたが、1916年に建てられた当時の姿に復元されています)。中村
彝(nakamura tsune)アトリエ(studio)記念館の公式siteより→
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/tsune/40357/?doing_wp_cron=1734479065.7320768833160400390625
中村 彝(nakamura tsune)。中村 彝(nakamura tsune)アトリエ(studio)記念館の、英語版の、パンフレット(leaflet)より。。。
中村 彝(nakamura tsune)の作品例。中村 彝(nakamura tsune)アトリエ(studio)記念館の、英語版の、パンフレット(leaflet)より。。。1923年の作品です。
中村 彝(nakamura tsune)について、詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
中村 彝(nakamura tsune)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3881373?&sfl=membername&stx=nnemon2
林 芙美子(hayashi fumiko)(1903年生まれ、1951年に亡くなる)は、1920年代末から1951年に亡くなるまで活躍した、日本の有名な、女性、小説家です。
林 芙美子(hayashi fumiko)記念館のチラシ(leaflet)より。新宿(shinjyuku)区の北西部(静かで落ち着いた住宅地になっています)にある、林 芙美子(hayashi fumiko)記念館。林 芙美子(hayashi fumiko)が、1941年から1951年に亡くなるまで暮らしていた家で、現在も、保存され、現在は、新宿(shinjyuku)区が所有・管理を行い、林 芙美子(hayashi fumiko)記念館として、林 芙美子(hayashi fumiko)に関する資料館となっています。
林 芙美子(hayashi fumiko)に関しては、詳しくは、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。
林 芙美子(hayashi fumiko)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3881375?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。
新宿歴史博物館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3881851?&sfl=membername&stx=nnemon2