基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
東京都心部の東部(北東部)に位置する、浅草(asakusa)は、現在は、東京の主要な繁華街の一つに過ぎませんが(それでも、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街となっている)、第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街であると共に、隣の有楽町(yurakucho)と合わせて(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho))、東京最大級の繁華街の座を維持)。
それでも、浅草(asakusa)は、今でも、上野(ueno)と共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)(東京都心部の東部)最大級の繁華街であると共に、東京の下町(shitamachi)(旧市街)を代表する繁華街となっています。浅草(asakusa)は、東京の庶民的な繁華街の代表的な存在であると共に、昔の東京の、大衆の繁華街の雰囲気が、食文化、食堂、工芸品、土産物店等、文化として、たくさん残っている為に、東京を代表する観光地の一つとして、栄えています。浅草(asakusa)には、歴史が古い、食堂・レストラン・店舗等が、多くあります。
写真以下(写真は、借り物)、かつて、浅草(asakusa)に存在した、近代建築の搭、凌雲閣(ryounkaku)。1890年に完成(開業)した、観光用のタワー(tower)で、東京で最初の、近代・現代建築の、高層且つ、観光用の展望台が付いた、搭(tower)です。設計は、イギリス人が行いました。12階建て、高さは、約52.4m(約66.7mと言う説もあり)で、1階は、入口(ロビー(lobby)と言った感じかな)、2階から7階は、世界中の(世界各国の)品物を販売する店舗が入り、8階は、休憩室、10階から12階は、展望台となっていました。開業して、しばらくの間(1890年代)は、東京の主要な観光場所の一つとして、とても多くの人々で賑わった様ですが、1900年代に入ると、飽きられ、徐々に、人気を失って行った様です。巨大地震に耐えられる様な、近代建築の設計技術・耐震技術が未熟であった事から、1923年の、関東大震災(1923年に東京areaを襲った巨大地震。東京都心部等が、非常に大きな被害を受けた)で、8階部分よりも上が崩壊し(地震発生当時、展望台には、12、3名(12名から13名)がいたが、1名を除き、全員が崩壊に巻き込まれ亡くなりました。wikiより。。。)、運営していた会社が、復旧を諦めた事から、同年(1923年)、爆破解体処理されました。


