以下、山口 淑子(yamagichi yoshiko)に関する説明は、wikiを参考にしました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)(1920年生まれ。2014年に亡くなる)は、日本の、女優・歌手です。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、様々な名前で活動し、(第二次世界大戦以前の)中国・満洲国(Manchukuo)・日本、第二次世界大戦後の香港(Hong Kong)で、李 香蘭(Li Hsiang-lan・ri koran)、第二次世界大戦後の、日本で、山口 淑子(yamagichi yoshiko)、アメリカで、シャーリー・ヤマグチ(Shirley Yamaguchi)の名で、映画、歌等で活躍しました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)の父方の祖父は、侍(samurai)の家の出身の、日本の、漢学者(中国学者)であり、その影響で、山口 淑子(yamagichi yoshiko)の父親は親中でした。山口 淑子(yamagichi yoshiko)の父親は、1906年に中国に渡りました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1920年に、当時、南満洲鉄道株式会社(The South Manchuria Railway)(下の補足説明を参照)で、日本人職員に中国語を教えていた、佐賀(saga)県(九州(kyusyu)(日本の南部)に位置する県の一つ)出身の父親(日本人)と、福岡(fukuoka)県(九州(kyusyu)(日本の南部)に位置する県の一つ)出身の、日本の女性との間に、中国で生まれました。
南満州鉄道株式会社(The South Manchuria Railway):満州(中国東北部地域)に、存在した、日本の、(実質的に、植民地経営の)国策会社。1906年設立。1945年解散。鉄道事業を中心として、様々な事業を展開し、日本の満州(中国東北部地域)経営の中核を担っていた。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、南満洲鉄道株式会社(The South Manchuria Railway)で、日本人職員に中国語を教えていた父親の影響で、幼少期から、(父親の方針もあって)中国語に親しんで育ちました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、山口 淑子(yamagichi yoshiko)の家の隣人で父親の友人であり家族ぐるみで交流のあった、瀋陽(Shenyang)銀行の頭取(社長)(中国人)の、義理の娘となり、「李香蘭(Li Hsiang-lan)」という中国名を得ました。その後、後に天津(Tianjin)市長になった中国人とも義理の娘として縁を結びました。中国の旧習(古い習慣)では、元来、縁を深めるために互いの子供を義子とする習慣がありました。これは実際に戸籍を移す法的な養子と言う関係ではなく、それぞれの姓で互いの子供に名前を付けあう等のものでした。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、瀋陽(Shenyang)の、ヤマトホテル(Ymato Hotel)(下の補足説明を参照)で、コンサート(concert)の前座(opening act)の歌手として歌っていた所、1932年の、満州国(Manchukuo)(中国東北部地域。日本の、傀儡国家(操り人形国家・実質的には、日本の植民地国家)の誕生と共に、開局した、瀋陽(Shenyang)の、公共ラジオ放送曲の、企画課長に、目にとまる事になり、日本語も中国語も堪能であり、また、その絶世の美貌と澄み渡るような歌声から、瀋陽(Shenyang)の、公共ラジオ放送曲の番組の歌手に抜擢されました。
ヤマトホテル(Ymato Hotel):南満州鉄道株式会社(The South Manchuria Railway)が経営していた、高級ホテルのチェーン(chain)。最盛期には、満州(中国の東北部地域)に、20以上の、高級ホテルを展開していた。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1938年には、満州国(Manchukuo)の、国策映画会社から、中国人の専属映画女優「李香蘭(Li Hsiang-lan)」としてデビュー(debut)し、以後、1930年代後期から1944年頃まで、満州国(Manchukuo)の、国策映画会社の専属女優として、日本の映画に、多く出演し、人気を得ました。山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、映画の主題歌も歌って大ヒット(hit)させ、女優として歌手として、日本や満洲国(Manchukuo)で、大人気となりました。そして、山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、流暢な中国語等から、日本でも満洲(Manchukuo)でも多くの人々から中国人スター(star)と信じられていました。
1943年6月には、阿片戦争(First Opium War)で活躍した中国の英雄・林則徐(Lin Zexu)の活躍を描いた、日本占領下の上海(Shanghai)の中国の映画会社と満州国(Manchukuo)の国策映画会社の合作の、長編時代劇映画、「萬世流芳(Eternity)」(中国の映画の歴史上、初の、大ヒット(hit)作品となった映画)に、林則徐(Lin Zexu)の弟子の恋人(後の妻)役で、出演し、中国全土で、公開されると、直ちに、山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))が歌った、主題歌と、挿入歌が、中国で、大ヒット(hit)し、山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))は、日本と満洲(Manchukuo)だけでなく、中国の民衆からも、人気を得ました。その後、山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、次々と、中国で、曲が、ヒット(hit)し、日本と満洲(Manchukuo)だけでなく、中国でも、人気スター(star)となりました。山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))は、1930年代から1940年代に、上海(Shanghai)で活躍していた、七大歌后(Seven Great Singing Stars)(7大、女性歌手)及び、七大歌后(Seven Great Singing Stars)の中でも、特に有名な、五大歌后(5大、女性歌手)の一人に数えられ、中国での人気は、日本の敗戦により、第二次世界大戦が終わるまで(1945年まで)留まる事を知らず、1945年6月に、上海(Shanghai)で行われたコンサート(concert)では、自分のヒット(hit)曲や、中国・日本・欧米の歌曲等披露し、観客の喝采を浴びました。
日本の第二次世界大戦の敗戦を、中国の、上海(Shanghai)で迎えた、山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、中国人として祖国を裏切った容疑で、中国の軍事裁判に掛けられたものの、日本人であることが証明され、国外追放処分となり、日本に帰国しました。日本に、帰国後は、山口 淑子(yamagichi yoshiko)名義で芸能活動を再開し、1940年代後期から1950年代初めにかけて、日本映画で活躍した後、1950年代には、香港(Hong Kong)やアメリカの映画等でも活躍しました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1952年から1958年にかけて、香港(Hong Kong)で、香港(Hong Kong)映画に主演し、中国語圏で、「李香蘭(Li Hsiang-lan)」の名前を復活させました。また同時に、香港(Hong Kong)で、主演映画の主題歌もヒット(hit)させました(それ等の山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))の曲は、現在でも、世界中の、中国人・中国系の人々の間で歌い継がれています)。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、私生活においては、イサム・ノグチ(Isamu Noguchi。1904年生まれ。1988年に亡くなる。1940年代から1980年代にかけて活躍した有名な彫刻家、画家、デザイナー(designer)。日本系、アメリカ人。アメリカ生まれだが、2歳から13歳まで日本で過ごした)と1951年に結婚しましたが、1956年に離婚しました。山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1958年に、日本の、外交官と、再婚しました。
山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1958年に、結婚の為、芸能界を、基本的に、引退しましたが、1969年から1974年3月まで、日本の、テレビ番組の司会者を務めました。山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1974年から1992年までの18年間は、日本の、国会議員を務めました。
写真以下7枚(写真は、借り物)。山口 淑子(yamagichi yoshiko)。

1933年。

1940年。日本にて。

1940年代。

1941年。資生堂(shiseido)(下の補足説明を参照)の、ポスター(poster)。
資生堂(shiseido):1872年創業。東京に本社を置く。日本の大規模化粧品会社の一つであると共に、日本最大、且つ、日本を代表する化粧品会社です(世界でも、有数の規模の化粧品会社です)。

「わが生涯のかがやける日(我が生涯の輝ける日)」(1948年の、日本の映画)より)

「醜聞(Scandal)」(1950年の、日本の映画)より。

「風雲千両船」(1952年の、日本の映画)より。
以下3つ(動画は、借り物)。山口 淑子(yamagichi yoshiko)。
以下2つ。山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))の曲の例。山口 淑子(yamagichi yoshiko)-「夜来香(Fragrance of the Night)」(1944年)。「夜来香(Fragrance of the Night)」は、元々、中国の歌謡曲ですが、山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))版の曲により、中国全土に、広まりました。山口 淑子(yamagichi yoshiko)は、1945年6月に、上海(Shanghai)で行われたコンサート(concert)では、「夜来香(Fragrance of the Night)の香りも、やがて消える。今の内に楽しみましょう、その香りを」と観客に語りかけました。
前半、中国語版。後半、日本語版。
「支那(中国)の夜」(1938年の、日本の映画)より。山口 淑子(yamagichi yoshiko)(李香蘭(Li Hsiang-lan))が、歌っているのは、同映画の主題歌で、「支那(中国)の夜」(1938年)(山口 淑子(yamagichi yoshiko)の曲の一つ)。