松本
零士(matsumoto
reiji)(1938年生まれ。一昨年(2023年に)、急性心不全により、85歳で亡くなる)は、1950年代中期から活動を行い、1970年代初め頃から活躍していた、日本の漫画家で、日本の漫画界の巨匠の一人です。代表作は、「銀河鉄道999(Galaxy
Express 999)」(1977年(漫画)。1978年から1981年にかけて、アニメ(anime)テレビシリーズ(television
series)として放映)、「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star
Blazers)」(アニメ(anime)テレビシリーズ(television series)(1974年))等があります。松本
零士(matsumoto reiji)は、フランスの芸術文化勲章(Ordre des Arts et des
Lettres)の、Chevalierを受賞しています。
以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、参考の投稿。
銀河鉄道の夜・銀河鉄道999→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3899494?&sfl=membername&stx=nnemon2
「宇宙戦艦ヤマト(Space
Battleship Yamato・Star Blazers)」(日本の、アニメ(anime)テレビシリーズ(television
series)。1974年から1975年にかけて放映。私が、生まれる前の作品です)は、松本 零士(matsumoto
reiji)の作品で、海底に眠る、第二次世界大戦の日本海軍の戦艦、大和(yamato)(後述します)の、艦体を改造した、宇宙戦艦(宇宙を航行する戦艦)、ヤマト(大和・yamato)が活躍する、アニメ(anime)テレビシリーズ(television
series)です。
動画は、借り物。「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star Blazers)」(日本の、アニメ(anime)テレビシリーズ(television series)。1974年から1975年にかけて放映)の、オープニング(始まりの)、テーマ曲。
動画は、借り物。「宇宙戦艦ヤマト(Space Battleship Yamato・Star Blazers)」(日本の、アニメ(anime)テレビシリーズ(television series)。1974年から1975年にかけて放映)の、エンディング(終わりの)、テーマ曲(これは、1978年の再放送時に、使用された、編曲版の様です)。
写真以下2枚(写真は、借り物)。大和(yamato)。


写真の作者:Alexpl
以下、大和(yamato)に関する説明で、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。
日本は、日露戦争(1904年から1905年にかけて、日本とロシア(Russia)の間で行われた戦争。日本の実質的な勝利に終わる)後から、第二次世界大戦まで、世界有数の海軍力を持つ国でした。大和(yamato)(基準64,000トン、満載72,900トン。1941年)は、日本海軍が建造した、世界の歴史上、最大の戦艦です(ちなみに、世界の、歴史上、建造された艦艇(軍事用の船)に搭載された主砲の中で、一番口径の大きい主砲は、日本の、大和(yamato)型戦艦(大和(yamato)と武蔵(musashi)の46cm砲です)。日本海軍は、1944年に、それまでの、世界の歴史上、最大の空母、且つ、第二次世界大戦中、世界、最大の空母(1961年、アメリカ海軍の空母、エンタープライズ(Enterprise)(基準75,700トン。満載93,284トン)が登場するまで、世界の歴史上、最大の(世界の歴史上、最大の排水量の)空母だった。wikiより。。。)、信濃(shinano)(基準62,000トン。満載71,890トン。大和(yamato)、武蔵(musashi)に次ぐ、三番目の大和(yamato)型戦艦を、建造中に、空母に設計変更した物)も、建造しています。日本は、空母において、世界で、先駆的な国の一つでした。以下、「」内は、wikiを参考にしました。「空母の前段階の水上機母艦は、フランスのフードル(Foudre)(常備5,994トン。水上機母艦時6,089トン。水上機母艦としては、1912年に就役)が、世界で最初の物ですが、日本は、第一次世界大戦初期の1914年に(日本は、当時、日英同盟(日本・イギリス同盟)を結んでいた為、第一次世界大戦の勃発後、間もなく、ドイツに対して宣戦布告し、連合国側として参戦した)、日本海軍の水上機母艦、若宮(wakamiya)(基準5,180トン。常備5,895トン)を、ドイツ軍基地のあった中国の青島沖に派遣し、搭載機が攻撃を行いました(水上機母艦であるため、搭載機の発着は海面を用い、機体はクレーン(crane)で揚収した)。また、1922年に完成した、日本海軍の空母、鳳翔(housyou)(基準7,470トン。満載10,500トン)は、最初から空母として起工された船で、世界で最初に完成した物です(なお、鳳翔(housyou)は、あくまで、設計・開発段階の当初から純粋空母としての運行を目的として建造された空母(正規空母)で、世界で最初に完成した物。改造空母(既成の軍艦を改造して出来た空母)は、これ以前にもイギリスとアメリカに存在し、イギリスのフューリアス(Furious)(基準22,450トン。排水28,500トン。1917年)が、世界初の空母であり第一次世界大戦にも参加している。また、世界で最初に、最初から空母として起工された船は、イギリス海軍のハーミーズ(Hermes)(基準10,850トン)であったが、ハーミーズ(Hermes)は、鳳翔(housyou)よりも遅れて完成した(最初から空母として起工された船で、鳳翔(housyou)に次いで、世界で2番目に、1924年に完成))」。
「また、日本が、アメリカ・イギリス等に宣戦を布告し、第二次世界大戦に参戦して間も無い、1941年12月、マレー半島(Malay
Peninsula)東方沖にて、日本海軍の爆撃機隊が、当時世界最強の海軍を自認していたイギリス海軍東洋艦隊の、当時最新鋭の戦艦プリンス・オブ・ウェールズ(Prince
of
Wales)(1941年。基準36,727トン。満載43,786トン)と、巡洋戦艦レパルス(Repulse)(1916年。満載38,200トン)を撃沈しました。これは、世界史上初の、航空機の攻撃のみによる、行動中の戦艦の撃沈であり、当時の、「作戦行動中の戦艦を航空機で沈めることは出来ない」と言う常識を覆し、戦艦への攻撃に、航空機が効果的である事を証明し、又、大艦巨砲主義(巨大な主砲を持つ巨大な戦艦を開発・建造し、保有する事は、その国の海軍力の証明となると言う、戦艦中心の考え方)の転換についての示唆を与え、その後の世界各国の戦術・戦略に大きな影響を与えました」。
しかしながら、その一方において、日本(日本海軍)は、戦艦大和(yamato)の様な船を建造・戦力として温存し、その最終的な威力を期待していました。大和(yamato)には、当時の最新技術が多数採用さていましたが、史上最大の戦艦と言う発想は、急速に時代遅れとなり、(1944年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて沈没した、同じく、日本海軍の、戦艦武蔵(musashi)(基準65,000トン。満載72,809トン。二番目の大和(yamato)型戦艦。戦艦大和(yamato)同様、世界の歴史上、最大の戦艦。1942年)と同様)、目立った活躍をする事なく、1945年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて、沈没しました。
なお、戦艦大和(yamato)(当時の日本の最高技術を結集し建造された)を、設計・建造する事によって蓄積された技術は、第二次世界大戦後の、日本の産業・技術に、応用され、役立てられました。
以上、大和(yamato)に関する説明で、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
以下、去年の12月の上旬に行った「日本の近代の船の歴史前編」と言う投稿の再掲です。
ちなみに、後述する、船の科学館の建物は、建物の老朽化により、今年、閉館・取り壊しが発表され、現在、建物の解体工事中です。なお、博物館自体は、場所を移転し、営業を再開する検討は、引き続き、行われている様です。
以下、基本的に、2017年の3月の下旬に行った投稿の再掲です(投稿文は、2017年の3月の下旬の投稿を前提としています)。
以下、第二次世界大戦前の、日本の造船の歴史に関する、写真と説明文は、船の科学館と、三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館の展示に基づいた物となっています(写真は、全て、前にアップ(upload)した写真の再利用です)。

ちなみに、日本では、海事博物館(maritime museum)は、他に、神戸(kobe)(関西(kansai)大都市圏(東京圏に次ぐ、日本第二の都市圏人口を有する大都市圏)に位置する都市)の、神戸(kobe)海洋博物館(1987年開館。前身は1962年に開館した神戸国際港湾博物館。海事博物館(maritime museum)としては、世界有数の規模。wikiより。。。)等が、有名です。
三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館は、1994年に開館した、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)にある、三菱(mitsubishi)重工業の技術を中心とした、科学技術に関する資料館です。主として、子供を対象にした施設と言った感じですが、大人でも、十分楽しめます。
三菱(mitsubishi)重工業(1884年創業)は、日本最大級の重工業会社の一つであり、日本を代表する重工業会社の一つです。
日本の近代造船の歴史は、19世紀中期に始まりましたが、その後、(島国である日本において、国防上・経済(貿易)上、重要な産業であった事から)国策事業として、国の支援を受けながら、日本の造船業は、急速に成長し、日本は、造船先進国へ追いついて行きました。
1914年に第一次世界大戦が起こり1918年まで続きました。この間、日本の造船業は、空前の好況に恵まれ、1917年には、進水量において、アメリカ、イギリスに次いで、世界3位を記録しました。



ちなみに、日本海軍は、第二次世界大戦末期(1944年から1945年)において、それまでの、世界の歴史上、最大の潜水艦、且つ、第二次世界大戦中に就航した潜水艦の中で、世界、最大の潜水艦、伊400型潜水艦(水上攻撃飛行機を3機搭載し、潜水空母とも呼ばれている)(下の補足説明参照)を製造しました(日本海軍直営の、造船所・工場製)。
伊400型潜水艦:説明は、wikiを参考にしました。基準3,530トン。常備5,223トン。水中6,560トン。理論的には、地球を一周半する事が可能と言う、長大な航続距離を持ち、日本から、地球上の、何処にでも出かけて、任意に攻撃を行い、そのまま、日本に帰る事が可能であった潜水艦。大柄な船体を持ちますが、水中性能は良好で、急速潜航に要する時間は、1分でした。伊400型潜水艦は、伊15型潜水艦(日本海軍の潜水艦)による、アメリカ本土攻撃が成功していた1942年に、18隻の建造が計画されましたが、戦局の悪化と共に、計画は、5隻に縮小され、最終的に3隻が完成しました(伊号第400潜水艦(1944年)、伊号第401潜水艦(1945年)、伊号第402潜水艦(1945年))。伊400型潜水艦が、完成した頃は、日本海軍は、アメリカ軍により、日本周辺の制海権、制空権共に失い、壊滅的な状態となっており、伊400型潜水艦は、既に、活躍出来る機会を失っていました。伊400型潜水艦は、前述の通り、三隻が完成しましたが、いずれも、具体的な戦果を上げる前に、日本が、アメリカを中心とする連合国に対して無条件降伏し、第二次世界大戦が終結しました。アメリカ軍は、戦後間もなく、伊400型潜水艦を接収し、技術調査をした後、冷戦による、当時のソビエト(Soviet)連邦への技術情報の漏洩を恐れ、海没処分にしました(破壊し、海に沈めて処分しました)。

日本は、空母(aircraft carrier)において、世界で、先駆的な国の一つでした。以下、「」内は、wikiを参考にしました。「空母(aircraft carrier)の前段階の水上機母艦は、フランスのフードル(Foudre)(常備5,994トン。水上機母艦時6,089トン。水上機母艦としては、1912年に就役)が、世界で最初の物ですが、日本は、第一次世界大戦初期の1914年に(日本は、当時、日英同盟(日本・イギリス同盟)を結んでいた為、第一次世界大戦の勃発後、間もなく、ドイツに対して宣戦布告し、連合国側として参戦した)、日本海軍の水上機母艦、若宮(wakamiya)(基準5,180トン。常備5,895トン)を、ドイツ軍基地のあった中国の青島沖に派遣し、搭載機が攻撃を行いました(水上機母艦であるため、搭載機の発着は海面を用い、機体はクレーン(crane)で揚収した)。また、1922年に完成した、日本海軍の空母(aircraft carrier)、鳳翔(housyou)(基準7,470トン。満載10,500トン)は、最初から空母(aircraft carrier)として起工された船で、世界で最初に完成した物です(なお、鳳翔(housyou)は、あくまで、設計・開発段階の当初から純粋空母としての運行を目的として建造された空母(正規空母)で、世界で最初に完成した物。改造空母(既成の軍艦を改造して出来た空母(aircraft carrier))は、これ以前にもイギリスとアメリカに存在し、イギリスのフューリアス(Furious)(基準22,450トン。排水28,500トン。1917年)が、世界初の空母(aircraft carrier)であり第一次世界大戦にも参加している。また、世界で最初に、最初から空母(aircraft carrier)として起工された船は、イギリス海軍のハーミーズ(Hermes)(基準10,850トン)であったが、ハーミーズ(Hermes)は、鳳翔(housyou)よりも遅れて完成した(最初から空母(aircraft carrier)として起工された船で、鳳翔(housyou)に次いで、世界で2番目に、1924年に完成))」。
「また、日本が、アメリカ・イギリス等に宣戦を布告し、第二次世界大戦に参戦して間も無い、1941年12月、マレー半島(Malay Peninsula)東方沖にて、日本海軍の爆撃機隊が、当時世界最強の海軍を自認していたイギリス海軍東洋艦隊の、(当時最新鋭の戦艦(battleship))プリンス・オブ・ウェールズ(Prince of Wales)(1941年に完成。基準36,727トン。満載43,786トン)と、巡洋戦艦レパルス(Repulse)(1916年に完成。満載38,200トン)を撃沈しました。これは、世界史上初の、航空機の攻撃のみによる、行動中の戦艦(battleship)の撃沈であり、当時の、「作戦行動中の戦艦(battleship)を航空機で沈めることは出来ない」と言う常識を覆し、戦艦(battleship)への攻撃に、航空機が効果的である事を証明し、又、大艦巨砲主義(巨大な主砲を持つ巨大な戦艦を開発・建造し、保有する事は、その国の海軍力の証明となると言う、戦艦(battleship)中心の考え方)の転換についての示唆を与え、その後の世界各国の戦術・戦略に大きな影響を与えました」。
しかしながら、その一方において、日本海軍は、大和(yamato)・武蔵(musashi)の様な船を建造・戦力として温存し、その最終的な威力を期待していました。大和(yamato)・武蔵(musashi)には、当時の最新技術が多数採用さていましたが、史上最大の戦艦(battleship)と言う発想は、急速に時代遅れとなり、武蔵(musashi)は、(1945年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて、沈没した、大和(yamato)と同様)、目立った活躍をする事なく、1944年に、アメリカ軍の航空隊の、激しい攻撃を受けて、沈没しました。
なお、大和(yamato)・武蔵(musashi)(当時の日本の最高技術を結集し建造された)を、設計・建造する事によって蓄積された技術は、第二次世界大戦後の、日本の産業・技術に、応用され、役立てられました。
第二次世界大戦以前から、日本は、既に、世界有数の造船技術を持っていた為、(それを基に発展した、第二次世界大戦後の日本の)造船業は、第二次世界大戦後の、日本の経済復興と経済成長の、主要な原動力の一つとなりました。日本の造船業は、1956年に、イギリスを抜いて、世界一位となりました。
日本の近代の船の歴史後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3877760?&sfl=membername&stx=nnemon2